第二百十九話 竜と人の証明
「ああ……」
絶望のうめき声をあげて、パスティスが僕にしがみついた。
雪原に突き立ったアディンの角は、そのところどころに黒い火の粉を舞わせていて、これがたまたま削れ落ちてここまで飛んできたとは、到底思えなかった。
――直撃。
むしろ残ったのはこの角だけ、という不吉な予感すら覚え、僕はどくどくと脈打つ眼球を、爆心地へと向ける。
立ち上がった黒い火柱は、その火の粉で周囲の雪にさえ燃え移りながら、なおも猛り盛っていた。
尋常な火ではない。生命の、いや、存在の根底まで焼き尽くすような、そんな禍々しさが、パスティスを感じる僕の左腕を震えさせる。
アディン。アディンが。大切な、僕の、アディンが。そんな……!
ウソだ。こんなの、ウソだ!
――ガアアアアアオ! ガアアアアアオオオオ!
竜たちが鳴いている。
それは慟哭なのか。
家族を失ったことへの。決闘に敗れたことへの。自分たちの正しさが証明されなかったことへの。
くそ、くそ……。こんな……。こんな結末……!
「……き、騎士殿……。様子が変じゃ、ないか……?」
僕を我に返らせたのは、恐る恐るかけられたアルルカの声だった。
「……………え?」
かすれた声で応じると、アルルカはカイヤの大腕で、黒竜を指さした。
ガアアアアア! グガアアアアア!
吠えている。
四肢で地面を踏みしめ、前かがみになって吠え続けている。勝利の咆哮、とは何かが違う。もっと切迫した様相――まるで、威嚇……?
――グルルルル、ギリリリリ! ギリリリリ!
一方のディバとトリアの鳴き声はまるで違う。
こちらは、まるで何かを囃し立てるような。何かを急かしているような。
どくどくと心臓が高鳴ってきた。
なんだ、これは。
さっきまで冷たかった僕の全身が、何かに興奮するように高ぶってきている。
「パスティス、パスティス……!」
僕に揺さぶられると、彼女は失意の涙に濡れた双眸を向けてきた。
「まだだ。まだ、終わってない」
「え……?」
僕は彼女の肩を抱いて支えながら、目線で黒い火柱を示した。
パスティスも周囲の異変に気づいたらしい。
ここにいるすべての竜が、アディンがいた場所に向かって吠えている。吠え続けている。
「まだ終わってない。まだ何か――」
何かが、起こる。
鼓動が早くなる。
まるで、卵から生まれた彼女たちを見たときのように。
竜たちの声も激しくなる。
それが最高潮に達した瞬間――不意に、震えるような静寂が訪れた。
まるで世界が怯えたように。
その静まり返った空に、パスティスが叫んだ。
「アディン!」
――VAアアアアアアAAAAアAAHHHHァァァHHHRRRルRRRルR!!!
黒い炎と煙の中から、白く輝く何かが飛び出してきた。
雪原への一蹴りで風のように疾り、十分な距離を取っていた黒竜の眼前へと一瞬で到達する。
「!!!!!!」
白刃一閃。繰り出された前脚による一撃は、いともたやすく黒竜の大角の一本をへし折り飛ばした。
「やっぱり無事だったか!!」
僕は泣きたくなるような気持ちで叫んだ。
――ギャアアアアアア!
黒竜が折られた角から蛍光色の体液を吹き出しつつ、絶叫する。
巨体に似合わず、軽やかな動きで後退した黒竜を、アディンは即座の跳躍で追撃した。
頭上を越えつつ、空中で体をひねりながら繰り出した爪の一撃が、ダメージを負った黒竜の頭部を引っ掻けて共に地面に倒れ込む。
――シャガアアアアアアアアアアア!
体勢の立て直しが遅れた黒竜の首に、アディンが食らいつく。飛び散る鮮血。しかし黒竜は力でアギトをもぎ離し、逆にアディンをなぎ倒しながら肩へと食いついた。
素早い反撃に対して、アディンは動じることなく、相手を噛みつかせたまま起き上がると、腕の力でその頭部を思い切り地面に叩きつける。
血に濡れた咆哮が、雪の層を蹴散らして広げた。
す、すげえ……!
見ていて震えがくるほどの野生の闘争だった。
そこで僕は、ようやくあることに気づく。
アディンの体の至るところが、白く光っているのだ。雪か魔法の何かかと思ったけど、違う。
鱗だ。戦いの中で、一気に生えていっている。
アディンは、白いサベージブラックになりつつあるんだ……!
体勢を立て直した黒竜が、アディンに前脚を振り下ろした。
瞬間、白い軌跡を残してアディンがその横をすり抜ける。
「は、速いッ……!?」
これまでの俊敏さをさらに上回る速度。どこか既視感のある光の中に、僕は正体を見つける。
「アディンのヤツ、〈ヘルメスの翼〉を足に履いてる……!」
パスティスとアルルカも、「あっ!」と声を上げてその様子を凝視する。
間違いなかった。四つの足から翼に似た形の光の粒子を放っているのは、僕が毎回強制スクロールに使わされてきた高速ブースター魔法だ。
攻撃をかわしたアディンが跳躍し、黒竜の背中に飛び乗りながら、爪の一撃を加える。
激昂した黒竜が着地を狙おうとするも、瞬間的に加速してタイミングを外したアディンが逆に体当たりを食らわせて押し戻した。
緩急自在な動きに、僕は再び声を上げる。
「自分の動きに合わせてそれぞれの翼の出力を調整してるのか?」
「そ、そんなことできるわけないわ。一つでさえ制御は難しいのよ! それを四つなんて!」
アンシェルが否定してくるけど、目の前の現実は覆せない。
「やっぱり天才だよあいつは!」
アディンが正面から黒竜に躍りかかる。
だが、今度は黒竜の体勢が万全だった。アディンの爪に合わせ、絶妙なタイミングで右前脚のカウンターを繰り出す。
思わず目を閉じてしまいたくなるような、決定的な瞬間。
しかし、黒竜の肢は空を切った。
アディンが振り上げた爪を地面に叩きつけ、急制動をかけたのだ。
直後に舞い上がった雪を、銀色の弧光が横に断ち切る。
ヘヒッ!?
変な声出そうになった。
尻尾! アディンが黒竜のカウンターに、よりリーチのある尻尾でカウンター返しを仕掛けたのだ。
ギギャアアアア!!
頭部を切りつけられた黒竜が悲鳴を上げる。
「い、今の尻尾の使い方、なんか、パスティスっぽかった……!」
「えっ……」
僕の指摘に、パスティスが目を丸くする。
リーン、リーン……。
黒竜が詠唱に入った。
緩やかなカーブを描く光の筋が、立て続けにアディンを襲う。
それらを機敏な動きで回避しつつ、アディンが逆襲の魔法閃を放つも、こちらも難なくよけられてしまう。
単なる魔法戦では、互いに効果が薄いか?
アディンもそう感じたのか、魔法を止めて再び突進する。
と、思ったら、突然その場で地面に伏せた。
何だ!!?
黒竜も、そして僕も、その行動の意図を理解できなかった。
しかしその直後、潰れたアディンの上を幾筋もの光が走り、黒竜に直撃する。
ああ!?
見れば、アディンはさっきまでいたところに光の粒をいくつか残していた。
設置したんだ、魔法の銃口を! そして発射の直前まで自分の体を盾にして隠すトリックショット!
しかも、さっきは直撃してもノーダメージだった魔法が、今度は通用している!
「今の、背中を通して魔法を撃つの、騎士様、みたい、だった……」
「ふぇぇ!?」
今度はパスティスに指摘され、僕が唖然とする番だった。
「学習していたんだ。二人の戦いを……」
アルルカが目を見張りながら言った。
「普通にやっても当たらない攻撃をどう当てるか。その思想を、これまでの戦いで二人から学んでいたんだ……。サベージブラックは天性の狩人だ。戦うすべは生まれつき知っている。外部からの学習なんて不要だった。だがもし、他者の戦いを会得するだけの余白を、本能が残していたのなら……!」
「……!」
やべえ。
やばすぎるぞ、うちの仔たち!
自然界は弱肉強食。その階級は、生まれつき決まっている。
それは捕食者同士でも同じ。チーターがライオンを噛み殺すことなんてない。
だけどもし、やり方次第で、ライオンを殺せると知ってしまったら。その方法を実践できるだけの技量が自分にあるとわかってしまったら。
誰にも負けなくなる。
殺せない相手がいなくなる……!
アディンは黒竜に対して、自身と魔法による単体波状攻撃に入っていた。
その姿は、無数の超兵器を従えたアルルカの姿を髣髴とさせる。
このフェーデで証明すべきものすべてを、相手に見せつけているようだった。
ようやくわかる。なぜアンシェルが、決闘に介入しようとする僕らをあんなに必死に止めたか。
アディンが誇りたかったものが何なのか。
これは奪えない。どんな理由があっても、たとえ命を失うことになっても。もし奪おうとすれば、それは重大な裏切りになる。
力だけじゃない。戦い方だけじゃない。もっと大切なものを、アディンは証明しようとしている。
しかし、ここまでやって、なお。
――ガアアアアアアアアアアア!
振り払った黒竜の爪にかすめられ、アディンの体が吹き飛んだ。
このタフネスさ。そしてパワー差は健在!
成竜は伊達じゃない。スピードとテクニックではアディンに押されても、豪快な一撃ですべてをひっくり返せる打撃力を持っている。
焦るなよ、アディン……!
僕は心の中で念じる。
必殺の一撃はどちらにもあるんだ。ただ、圧倒的に黒竜の方が大きいだけ。
けれど、アディンの動きで引っ掻き回せば、必ず勝機は訪れる。それまで辛抱強く待つんだ。
「危ない!」
アルルカが僕とパスティスを後ろに引っ張りこんだ。
弾き飛ばされたアディンが、僕らのすぐ近くに墜落する。
幸い、ダメージらしきものはなく、即座に身を起こした。
が。
――ゴオオオオオォォォ……!
黒竜が、例の黒炎のブレスの発射体勢に入っていた。
本来ならすぐに身をひるがえす場面で、アディンが踏みとどまる。
どうして!?
「しまった……!」
察する。僕らだ。
よければ、僕らがまとめて焼き払われる。
あの黒竜にそこまであくどい知恵が回るかどうかは別として、状況としては完全に人質にされた。
「ダメだ、アディン! よけろ!」
僕は仲間たちに散開を指示しながら叫ぶ。でも、間に合わないであろうことを、アディンは知悉していた。
もしアディンがただのサベージブラックなら、ためらわず身をかわしただろう。
サベージブラックは群れない。だからこそ、守るべきものは己が身の内にすべて揃っている。
けれどアディンは違う。外にも守るべきものがある。卵をパスティスに託した母竜のように。
その差異が、捨てられるものと、決して捨てられないものを見分けさせる。
致命的な失策だとわかりつつも、彼女をここに踏みとどまらせてしまう。
しかしアディンは賢く、そして勇敢だった。
この子は、決して盾になることを選ばず。
前に走った!
黒い火の粉を口いっぱいに溜め込んだ、巨竜へ。
何をする気か、僕にははっきりとわかった。
速さの勝負!
黒炎と咆哮が迸る。
――バアアアアアアアアオオオオオオオオ!
※
一本の燃え盛る柱が、天を貫いていた。
引き寄せられた雲が次々に燃焼し、風を延焼させて、空を焦がしていた。
その根元。
天を炙る砲口は、地上で上を向いていた。
アディンの爪に、下あごを突き上げられる形で。
黒い炎に照らされた僕は、その光景を呆然と見つめる。
間に合った。
炎が放射される直前で、アディンは黒竜のあごを押し上げたのだ。爪がのど元に突き刺さり、蛍光色の血液を滴らせる。
が、浅い!
――ガアアアアアアア!
黒竜がアディンをもぎ離そうと、黒炎を吐きながらもがいた。
アディンもはがされまいと必死にしがみつく。
黒竜の爪がアディンを執拗に斬りつけた。鱗がはがれ、鮮血が飛び散る。
次第に、アディンが押し返され始める。
体格差は揺らぎようがない。純粋な力比べでは押し負ける。出血はすでにかなりの量になる。それでもアディンは踏ん張り続けた。懸命に。懸命に。僕らを守るために。
「負けるなアディン! 押し勝て!!」
僕は叫ぶ。
今更避難なんて意味がない。今逃げても、押し倒されたアディンは至近距離であの炎に焼かれることになる。さっきは無事だったけど、今度は相手もそうさせないだろう。
だったら、最後まで一緒にいなきゃ、うそだろ。
黒竜のあごがじわじわと下がってくる。アディンが後退する。
「アディン、頑張って!」
「負けるな! おまえには不利な状況をねじ伏せる力があるはずだ!」
パスティスとアルルカもその場にとどまって声を張った。
ディバとトリアも吠える。
アディンの後ろ足が、とうとう地面に沈み込む。
黒い火の粉が、猛然と僕らに降り注いだ。迫ってくる。死が。否定が。
ふざけるな。あれは僕の竜だ。大事な大事な家族だ。こんなところで終わっていいはずがない!
僕はありったけの声で叫んだ。
「おまえは僕たちの誇りだ! 誰にも負けない最高の竜だ! 僕のすべてをおまえに預けるぞアディン! だから勝て! ヤツに見せつけろ! おまえと僕のすべてを! それがどれくらい大きなことか、世界に! 今ここで、これまでの全部――おまえと僕の全部を、証明しろアディィィィィイイイイイイイイイイイイイイイン!!!!」
――ヴァアアアアアアアアルルアアアアアアアアアアアアアアアア!
アディンの全身から光の翼が生えた。
一斉に立ち上がった数十対の〈ヘルメスの翼〉は、自然物にはありえないいびつなシルエットを、アディンの背に描いた。
けれどそれは同時に、大地に生きる鳥や獣をはるかに超越した、神々しい異質さも感じさせる。
きっと神の世界にいる竜は、こんなふうに美しいんだろう。そう思わせるほどに。
――ガアアアアアアアアアアアアアアアアア!
余波だけで後方にいる僕らをまとめて吹っ飛ばすほどの推力を得たアディンが、黒竜の下あごを押し返したのはそのすぐあとだった。
成竜のサベージブラックを完膚なきまでに仰向けにひっくり返したアディンは、翼の威力を得た前脚を、その奇怪な臓物群の中で一際燃えて輝く心臓へと振り下ろす。
アディンの斬撃は、爪の範囲をはるかに超えて、胴体どころか地中深くにまでやすやすと到達し、その魔神の足音のような激震によって、周囲一帯にあまりにも強大な地響きを打ち鳴らした。
シャヴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!
僕の竜が勝利の咆哮を撃ち放つ。
サベージブラックのアディンは揺るぎなくここにいる。その家族と共に。
その事実は、この土地のあらゆる存在の記憶と魂を証人として、ここに示されたのだ。
この戦いは作者が愛するとあるロボットアニメを元に作られています。
知ってる人は懐かしんでいってね!
ヒントは、前回のウソ次回予告と「バーサークフューラー」。




