疲労困憊の錬金術師
美食保護区での採取を終えた俺は、グランテルに帰還し、『猫の尻尾亭』にて清々しい朝を迎えた。
ベッドから起き上がり、身支度を整えると、階段を下りる。
食堂フロアにやってくると、大勢の宿泊客や新規の旅人などが席に座っており、朝から大賑わいの様相を呈していた。
そんな混雑したフロアの中をするりするりとすり抜けて、数々の料理を配膳していくのが従業員である獣人たちだ。
可愛いらしい耳や尻尾がピコピコと動いており、見ているだけで癒される。
「シュウ、おはようにゃ」
「おはよう、ミーア」
「いつものカウンターが空いてるにゃ!」
「ありがとう」
これだけ忙しいのに、すぐに俺の気配を察知して案内してくれるとはさすがだ。
「注文はどうするにゃ?」
「渡した食材のおすすめ料理で」
保護区から戻ってきて、俺は食材のいくつかをバンデルさんに預けてある。それらを自由に使って料理を食べさせてもらっているというわけだ。
「今日はバイローンの肉と岩じゃが、千本タマネギでシチューを作った」
「それでお願いします」
「ああ、今温めてやるから待ってろ」
バンデルさんはそう言うと、厨房にある大きな鍋を温め始めた。
程なくすると、深皿にクリームシチューが盛り付けられた。
琥珀色のスープの上にごろりと浮かんでいるバイローンの肉、岩じゃが、ニンジン、ブロッコリー。見ているだけで美味しさが伝わってくるようだ。
「いただきます」
早速匙を伸ばしてシチューを口へ運んだ。
「舌の上でバイローンの肉が溶けた!」
しっかりとした下処理や火入れによって極限にまで柔らかくなっている。歯を突き立てる必要はまったくない。
「へへ、その肉は三日かけて下処理をしてるからな」
バンデルさんがどこか得意げな声音で言う。
弾力の強いバイローンの肉がここまで柔らかくなるとは驚きだ。
濃厚なミルクスープにはバイローンに肉汁だけでなく、岩じゃが、千本タマネギの旨みがしっかりと染み込んでいる。
ごろりとした具材が次から次へと口の中へ飛び込んできて、旨みを爆発させる。
食べ進めてもまるで飽きることがない。
付け合わせに置かれているのはただの固パンだが、それがスープの強い旨みを邪魔することなく吸い込んでおりとても美味しかった。
「ごちそうさまでした」
「おう」
あっという間に食べ終わってしまった。朝から美味しい料理を食べることができて幸せだ。
「夕食はシチューを使ったグラタンにしようと思うが、それ以外はどうする?」
厨房には明らかに一人前では食べきれない量のシチューが入った鍋がある。
マジックバッグで鍋ごと保存してもいいが、あちこちから突き刺さる視線を考えると独占するのは憚られた。
シチューを食べている間、ずっと獲物を狙うような視線が集まっていたんだよなぁ。
「バンデルさんたちの賄いにするか、他の皆さんに振舞ってあげてください」
「じゃあ、全部俺の賄いだ」
「にゃあああああ! 料理長、横暴にゃ! あたしたちにも食べる権利はあるにゃ!」
「そうだそうだ! 金は払うから俺たちにも食わせろ!」
鍋を抱えて独占しようとしていたバンデルさんに従業員、宿泊客からのまとめての大ブーイング。
「冗談だっての。そんなに殺気立つなよ」
あまりの団結の強さにバンデルさんもすぐに白旗を上げた。
冗談と言っているが多分、半分くらいは本気だったと思う。
「シュウの夕食と俺たちの賄いの分を引くと提供できるのは二十食程度だな」
「美食保護区の食材を使った限定シチュー! 一人前、銀貨五枚にゃ!」
バンデルさんの呟きを聞いて、ミーアが即座に頭の中で計算して声を張り上げた。
「たっけえ! たった一食だけでここに五日は泊まれるじゃねえか!?」
「原価を考えると、一食金貨五枚でも足りないくらいにゃ」
ミーアの言う通りだ。バイローンの肉、千本タマネギ、岩じゃが、どれもこの辺りでは手に入れることのできない稀少食材だ。それに加えて採取に向かった俺の人件費、輸送費、バンデルさんの調理費用などを加えれば、一杯で軽く金貨数枚に達してしまうだろう。
「俺は食うぞ! 美食保護区の食材を使った料理なんて滅多に食べられねえしな! 金貨を払ってでも食う!」
「あたしも買うわ! バイローンって危険度B+の魔物でしょ? 上位ランクの魔物の肉、一度食べてみたいと思っていたのよね!」
即決して頼んでいる者は、食材の稀少性などを理解している者だろう。
冒険者の多くは注文を頼み、それに釣られて宿泊客や旅の人たちも続くように注文をした。
「にゅふふ、これで今日もうちはがっぽりにゃ! 後でシュウの口座に謝礼分を支払っとくにゃ!」
「程々にね」
悪い笑みを浮かべるミーアに苦笑しながら俺は『猫の尻尾亭』を後にした。
●
『猫の尻尾亭』を出て、俺はグランテルの西区にあるルミアの店に向かった。
美食保護区で採れた素材の売却や、フランリューレに頼まれた食材の品種改良をサフィーにお願いするためである。
前回二人に会ったのはスライムゼリーを食べた時。
あれから三週間ほど経過しているが、元気にしているだろうか?
ギルドからレインコートやスライム靴の発注を受けて忙しそうにしていたので、経営状況が改善しているといいのだが。
なんて考えていると、お店の前にたどり着いた。
しかし、お店の扉にはCLOSEの看板がかけられており、営業している様子はない。
店内にはたくさんの木箱が詰まれており、レインコートやらスライム靴が地面に散乱していた。壁にはロープがかけられており、スライムの皮が干されている。
そして、カウンターではルミアが死んだような目でレインコートを作成しているようだった。髪の毛もボサボサだし、肌にも張りがない。
前世で何度も目にしてきた社畜の目だ。そんなルミアと視線が合う。
「シュウさん!?」
生気のない目をしていたルミアだが、俺の存在に気付いたのだろう。
目に生気を宿らせて顔を赤くした。
「こんにちは、採取依頼から帰ってきたので素材の売却をと思ったのですが出直した方がいいですかね?」
「いえ、是非素材を見せてください!」
「わ、わかりました」
お取込み中なので出直そうと思ったが、迎え入れられては入るしかない。
店内に入ると、ルミアが大急ぎで灯りをつけてくれた。
明るくなると、いかに店内が荷物で溢れているのかがわかる。
「すみません。今、ちょっと仕事が立て込んでいるせいか散らかっていて」
「レインコート、スライム靴のやつですよね?」
「はい。冒険者ギルドからたくさんの発注を頂けたのですが、作業が追い付かなくて」
「そんなにたくさんの発注を受けたんですか?」
「いえ、量としてはそれぞれ三百くらいなので、そこまでたくさんってわけではないのですが……」
いや、十分大量発注だと思うんだけど……そこに関する突っ込みは置いておこう。
「じゃあ、何が問題なんです?」
「師匠が飽きたとか言って、まったく手伝ってくれないんです!」
尋ねると、ルミアが半泣きになりながら叫んだ。
なんというか、サフィーが酷い。
だけど、そのシンプルな理由に非常に納得できてしまった。あの人ならそういう理由で放り出しかねないと。
「師匠がちゃんと手伝ってくれれば、とっくに終わっているはずなんですよ!」
「そうですよね。相変わらずサフィーさんは困った人ですよ」
「そんなに二人して私のことを褒めないでくれ」
ルミアを慰めていると、その元凶であるサフィーが奥から現れた。
蒸留酒の瓶とグラスを手にしており、顔がほのかに赤く染まっている。
朝から呑んでいるのは明らかだった。
「褒めてません。貶してるんです」
「おっと、今日のシュウ君はいつになく冷たいな」
「きちんと仕事をやってあげてください。ルミアさんだけに任せては可哀想じゃないですか」
「シュウさん……ッ!」
ハッキリとモノ申す俺を見て、ルミアが感激している。
「つまらない仕事はしたくない。私のような腕を持った錬金術師は、私にしかできない仕事をやるのが相応しい」
サフィーは国に四人しかいないマスターの称号を持つ錬金術師。このような量産品より、彼女にしか作ることのできない一点ものを作ることが求められている。
サフィーの意見も正しいといえるのが、質の悪いところだ。
「とか言いながら、ライラート家からの品種改良の依頼を無視していますよね?」
「ええ!? 伯爵家からの依頼を無視してるんですか!?」
俺の言葉にサフィーはビクリと肩を震わせた。ルミアは知らなかったのか、大きく目を見開いている。
「……なぜ君がそれを知っている?」
「俺が採取に行ってきたのは美食保護区ですので」
「ということは、保護区にある素材をたくさん持ち帰ってきたわけだな?」
「そうなりますが、ギルドからの依頼で取り込み中とあってはそれどころではありませんね。ギルドで売却することにします」
そう言って店を出ようとすると、サフィーに力強く腕を掴まれた。
「今回の大きな獲物は?」
サフィーだけでなく、ルミアからも期待するような視線が向けられている。
二人の中では、今回も俺が危険な魔物と遭遇したのは確定事項らしい。
それについて物申したいところだが、事実なので否定もできない。
「……ガラルゴンです」
「戦いを求めて各地を放浪する危険度Aの鳥竜種! 羽、内臓、眼球、甲殻にすべてが稀少な錬金素材です! 師匠!」
「仕事はすぐに終わらせる。だから、ガラルゴンの素材はとっておいてくれ」
「わかりましたよ」
どうやらガラルゴンの素材でやる気が出たらしい。
サフィーだけでなく、疲労困憊のはずのルミアも張り切っていた。
ルミアは頑張っていたのでこれ以上頑張らなくてもいいんだけどね。
「ルミア、納品に必要な数は?」
「レインコートが百、スライム靴が残り二百足です。素材の下処理はすべて終わっています」
「夕方までに終わらせる! すぐに材料を引っ張り出せ!」
サフィーが手伝ってくれるようになってくれれば良かったのだが、二人がやる気になっているのであればいいだろう。
俺は二人の邪魔をしないように店を出た。
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