幕間2
「グレゴリオ聖歌隊、『ロンギヌスの槍』の詠唱を終了しました」
ヴァチカン・聖ピエトロ大聖堂の一室にて、リュドミアの言葉を聞いたユリアはニヤリと笑った。手元には、教皇直々にサインを記された爆撃許可の書類が置かれている。
「いよいよ、か。意外と長くかかったな。いくら核兵器規模の破壊力があったって、すぐに使えない様じゃ、兵器として何の価値もない。……この辺りはまだ、調整・修正が必要みたいだな」
広域爆撃魔術・ロンギヌスの槍発案者のユリアは、つまらなそうに呟く。実際、彼にしてみればつまらない。彼が考えたオリジナル魔術は、魔力の装填に七時間、詠唱に一時間はかかているのだ。それも、グレゴリオ聖歌隊が万全の状態で、かつ全員揃っていなければ意味がない。いや、例え一人欠けたところでロンギヌスの槍は使用可能だが、あれは三三三三人全員がいなくては霊格が著しく下がるのだ。完璧な状態ならば、例え世界最硬クラス、イギリスのウィンザー城の結界を全て吹き飛ばす程の破壊力になる筈なのだ。
故に、研究が必要となる。今回の爆撃の真相は、アントニオ=ゲルリンツォーニの抹殺……と極東の魔術師連中や当の本人は考えているのだが、彼にしてみれば、それすらも『オマケ』に過ぎない。
その真実は、テスト運用。理論的にはウィンザー城の城壁クラスの霊格を誇る、史上最強魔術となる『予定』の超大規模儀式魔術。が、いくら数値を見ていても始まらない。やはり、信用に値するデータは実施データ以外あり得ない。
だからこそ、今回は爆撃を実行したのだ。極東の国一つが吹き飛んだところで、他の組織には何のデメリットもない。どうやら『オンミョウリョウ』とかいう日本特有の魔術結社があるらしいが、異教の猿が一億人集まったところで、神同然である彼の敵ではない。子供が、蟻の巣を水鉄砲で破壊する事が、子供にとって何ら問題ではない様に。
《イスカリオテ》ナンバー1、謎の青年ユリア。《イスカリオテ》ナンバー5の地位を持つアントニオさえ、どうでもいいと切り捨てる。
「どうせ、イスカリオテは俺を含め、一〇人いるんだ。一人減ったくらいどうって事はないし、何より、あの程度の代えはいくらでも利く」
かつて聖堂騎士の団長すら勤めた男を、無碍にもなく見下す傲慢な態度。傍らに立つリュドミアは、冷や汗が頬を伝うのを感じながら、生唾を飲んで呼吸を落ち着けようとした。
先程、ユリアがいない間に、アントニオに長距離通信をしたのだ。彼の命に背いて。それがバレたらどうなるか、考えただけで卒倒して仕舞いそうだ。
気付かれない様に、術式の痕跡は隠蔽しておいた。元々、ここヴァチカンは多数多様の結界が何十何百と渦巻いて、強固なシェルターとして機能しているのだ。いくらユリアでも、こんなに濃密な魔力の渦が漂う国、その中でも取り分けセキュリティが強固な聖ピエトロ大聖堂にいては、気付く事はないだろう。
「……おい、リュドミア」
「はい」
若干、声が上擦って仕舞った事に、リュドミアは内心動揺しながら、それでも平常を保ちつつ命令を待つ。
「ロンギヌスの槍を、射出しろ」
「……了解、しました」
ズキン、と心が痛む。今から自分は、何の罪もない極東の国の住人を殺そうとしているのだ。止められない罪悪感がリュドミアを苛む。心の中で、届きもしない謝罪を繰り返しながら、リュドミアは箱庭に近付く。
「Io do il giudizio di Dio」
たった一言。それだけを呟いた瞬間、
轟! と、聖ピエトロ大聖堂より離れた場所で、稲妻の様な轟音と閃光が世界を埋め尽くした。
たった今、殲滅術式・ロンギヌスの槍が、発射された。
ロンギヌスの槍。
ユリアの考案した殲滅術式を便宜的にそう呼ぶ。
ロンギヌスの槍は射出後、成層圏を突破し、宇宙空間へ出る。その後、衛星軌道に乗ってサイドブースターを噴出、時速五八〇〇キロという驚異的な超音速で着弾ポイント上空へ進行し、軌道修正を繰り返しながらポイント上空に差し掛かったところで急旋回し、入射角七五度の状態を保ったまま再び成層圏を突破する。この際、超高温となる第一表部、及び第二表部は切り離され、大気圏で蒸発する。
だが、ロンギヌズの槍本体は、内蔵した永久凍土術式を展開しつつ急落下運動を行い、地表二五〇〇〇メートル上空で崩壊術式が起動する。着弾後、超高温の爆炎で半径一〇キロを焦土にした後、超高速の爆風で半径三〇キロが吹き飛ばされる。が、被害はそれだけには留まらない。爆風に乗せられた摂氏二〇〇〇を超える爆熱と、吹き飛ばされた被爆物が雨の様に降り注ぐ。蒸発した海水が地球の自転風によって移動し、推定摂氏五〇〇を超える蒸気を運ぶ風が、周辺国家を茹で上がらせる。
その被害範囲は、想定された範囲で、凡そ二〇〇キロ。まさに、神をも殺す事の出来るだろう、殲滅の槍。
そして、何よりも恐ろしいのは、ロンギヌスの槍は、世界中のどこを標的にしようと――それこそ、地球の裏側でさえ、たった一時間もかからずに爆撃できる、という超高速性にある。
しかもロンギヌスの槍は、迎撃のしようがないのだ。本来、科学の力で作られた大陸断道ミサイルは大気軌道を飛行してくる。故に、その中途で打ち落としてしまうカウンターミサイルがどこの国にも存在している。
が、このロンギヌスの槍は、宇宙空間からほぼ直角に近い角度で落ちてくる。先述したが、その入射角は七五度。しかも、速度は超音速を超える時速五八〇〇キロ。ロンギヌスの槍を探知した時点で迎撃は望めず、視認した瞬間には爆撃で全てが吹き飛ばされている。カウンターのしようのない、文字通りの殲滅術式なのだ。
そんな、人の身に余る究極の術式を考案したユリアは無表情でティーカップに口をつけ、箱庭を眺めていた。
実につまらなそうに。
「さて……どうなるかな」
自身の研究成果が実る時でさえ、ユリアは笑いもしない。本当にこの男は人間なのかと疑いたくなる光景だった。
彼の言葉は、何も、ロンギヌスの槍に不安を抱いている訳ではない。当然だ。あれは彼の研究成果であり、当然の様に、成功するに決まっている。あれは、地球の地形を著しく変化し、世界に甚大な影響を及ぼす物だ。
父なる主を殺す槍? とんでもない話だ。そんなとんでもない物を、父なる主の被造物である信徒が考案したのだ。冗句にしてはタチが悪い。度が過ぎている。
「なぁ、リュドミア。どうなると思う?」
「はっ?」
考え事をしていたせいで、ユリアの言葉に即座に反応出来なかった。リュドミアはユリアの問いを思い出し、自分なりに答えを整理して、この場でどう答えるのが正しいのかを自分なりに導き出した。
「はい、そうですね……きっと、国の魔術結社はロンギヌスの槍に対応出来ないものと――」
「バカか、お前は」
リュドミアの言葉に被せる様に、ユリアは罵倒した。は? と目を丸くして驚くリュドミアを他所に、彼は語る。
「そんなもんは決まってんだろ。あれは未だ、即時性のない未完成品だが、威力は俺が設定しているんだ、あれを防げる魔術も科学も、この世に存在する筈がない。俺が言ってんのはそういう事じゃねぇんだよ」
「……と、仰いますと?」
「WIKだ。どう動くかと思ってな」
WIK。科学世界の対称、世界の半分である魔術世界を司る国際組織。
それが、どう動くか? そんなの決まっている。世界に影響を与える国際宗派が、小国家とは言え一つの国を滅ぼすのだ。当然、――ッ!!
「まさか、ユリア様、貴方は……」
「あぁ」
事も無げに、ユリアは呟く。空になったティーカップをコースターに音もなく置きながら、彼は語る。
ここにきてようやく、心底から愉しそうに。
「ロンギヌスの槍の運用試験のついでに、WIKも潰しとくか」
語る。
その、あまりにも壮大で、そんな壮大な事を簡単に口にするこの男に、今度こそ本気で、リュドミアはゾッと背筋を凍らせた。
「……、あ」
気を抜くと、失禁でもして仕舞いそうな緊張感が、リュドミアを支配する。ユリアは固まるリュドミアを横目で一瞥しながら立ち上がり、すれ違う。
「イイ事を思い付いた。ロンギヌスの槍の全設定を縮小して、個人携帯出来る様にしてみるのもいいなぁ。火力には欠けるが、それを聖堂騎士団の正式武装にしてみようか」
誰かに語って聞かせている訳ではない。ただ、自分で思い付いた事を口にして確認しているだけだ。ユリアはブツブツと呟きながら、薄暗い一室の扉に手をかけた。これから、研究室にでもこもって研究を始めるつもりなのだろう。
「あ、そうそう」
ドアを開け、外の光を取り込んだ空間が、若干明るくなる。今まさに出ようとしていたユリアは何かを思い出した様に振り返り、相変わらず動けないでいるリュドミアを見つめ、一言。
「テメェが通信魔術を使った事ぐらい、知ってんだよ、クソガキ」
瞬間、ゴギン! と、リュドミアの華奢な身体が豪快に吹き飛んだ。まるで、自動車がノンストップで突っ走ってきた様な衝撃が、リュドミアを襲う。
「あ、ァガ、アアァァぁアァああアアああ!!」
ゴギベキ、と骨の砕ける音が、体内を通じて全身に駆け巡る。空中を錐揉みする様に回転しながらリュドミアがとてつもない速度で吹き飛び、壁に叩きつけられる。バギィ、と壁に蜘蛛の巣の様な放射状のヒビが刻まれる。
ユリアの魔術だろう。それがどういう術式なのかは、まるで分からなかった。巨大な鉄球が飛んで来た様な衝撃だった。掠れる意識の中でリュドミアがユリアを見上げると、逆光を背に立つその青年は、静かに言う。
「おい。今、お前が生きてる理由は、俺が殺さなかっただって理解しているよな? 俺はこれでも、お前は『使える』と買っているんだ。長生きするコツはな、自分より格上には逆らうな、だ。
治癒魔術師を呼んできてやる。感謝しろよ」
それだけ、自分勝手で乱暴な言葉を吐き捨てて、ユリアは去っていった。バタン、と扉が閉まると、再びその空間が闇に包まれる。
(……あぁ、)
薄れゆく意識の中で、リュドミアは、
(誰か、あの方を、止められないだろうか……)
それだけを、ただ願った。




