まぁそれはそれ、これはこれってことで
しかし雰囲気的に、特に警戒をする必要はなさそうだ。
警戒していた全身を緩め、弛緩した筋肉を解す様に首を鳴らしながら問い掛ける。
「お前は何者だ?
その見た目は冒険者だと思うが、リーヴの街ではあまり見掛けた事の無い顔だな」
「何よ、この街は一見さんお断りとでも言うの?
確かにあたしは二ヶ月前位にこの街に来たけど、知り合いだってちゃんといるんだよ!」
ささやかな胸を精一杯反らして強調し此方を見上げてくる女を見て、気付いた。
あぁ、確かに。
先月に起こったこの街にしては珍しい事件を思い出して、つい街に居る見慣れない相手に対して意識してしまった様だった。
「すまない。
気を悪くさせてしまったようだ、謝るよ」
「謝って済むだなんて思ってないでしょ?」
「……謝って済まないのならば、何をしろと?」
最近はどうしてこう、対価を要求してくる女ばかりなのだろうか。
胸中で盛大に溜息を吐いて、聞く。
すると相手は満面に笑みを浮かべて、此方の肩を一度叩く。
「フルボッコしていい?」
「断る」
即座に返答するが。
残念そうな顔で掌に拳を打ち付けているのが見えた。
えええ、何で滅茶苦茶残念そうなの。
別に何をした訳でもないというのに、何故大人しくフルボッコされなければならないのだ。
意味が解らないよ。
一度咳払いをしてから、言う。
「俺とお前は、初対面だろう。
その相手に向かって堂々と暴行宣言とは何事だ」
「初対面?」
きょとん、と首を傾げられた。
あれ? もしかして何処かで会っていた?
記憶の糸を辿ろうと思考を深く沈めようとすると、いきなり女が笑い出した。
「あぁ、そう、そうだね!
多分初対面だ、そうそう!」
多分、て。
何なのだ、この女は一体何なのだ。
緩めた警戒を再び行いながら、僅かに半身を引く。
――そっと。
引いた右手首に、女の左手が添えられた。
ぎゅっと握られ、彼女は言う。
「そんな警戒しなくったっていいじゃん」
「……この状態でその台詞を吐くか?」
「だって別にあたし、奇襲しようなんて思ってないんだもん」
「この体制で?」
胡乱気に見詰めてやると、心外だとでも言いたげに鼻から息を吐いた。
「当たり前じゃん!
きちんと宣言の上でじゃないと、冒険者の名折れだよ」
「まぁ冒険者という職に名誉があるかは解らんが。
と言う事は、お前は宣言を行った上で俺に暴行を行うつもりか」
声に少しの怒気を含ませて言うと、女は数秒考え込むそぶりをしてから、笑う。
ジークルトの右手首をぽんぽんと叩くと、半歩身を引いた。
「まぁそれはそれ、これはこれってことで」
そんな宣言があるか。
思わず口を開いて問う。
「戦うなら相手はしてやろう。
しかし何故俺なんだ?
この街には腕に覚えのあるものが多く居るはずだ」
んー、とまたしても考え込むそぶりをする。
胡散臭いその言動に、一度は解いた筈の警戒心がまた再び編み上がる。
「どういった戦い方が好みだ?
こんな狭いところは出て、広場にでも行こうか」
「何で?」
裏路地と広場への道を交互に指し示したジークルトに、女は不思議そうに問い返す。
その何を言っているのか解らない、という表情に困惑してしまう。
彼女から持ちかけてきた勝負ではなかっただろうか。
それとも彼女にはそんな気などなくて、もしかして俺が異様に好戦的に対応してしまっただけなのだろうか。
だとしたら、結構……否かなり、恥ずかしいのだが。
そんな事を脳内で考えていると、女が此方の腰元に手を伸ばして来た。
ふと気づいた時には、彼女の手には年季の入った革袋。
(――俺のっ?!)
反射的に腕を伸ばすものの、先程までの場所にはもう既に彼女は居ない。
更に数歩下がった場所に立っている彼女は、その手に持った革袋を己の腰元に結わえた。
「あたしがあんたみたいなのと戦う訳ないじゃん。
悔しかったら捕まえてごらんよ、無理ならこの中にある貨幣は全部あたしが貰っちゃうからさ!」
そこまで言われて、やっと把握する。
彼女はジークルトと真っ向から向かい合って決闘をする予定はないのだ。
誘われているのは、先程までの追跡者を捕らえる事――つまり、立場の逆転だ。
単純な話、追いかけっこをして彼女の手にした革袋を奪い返せ、と言われている。
その結果ジークルトが彼女を捕まえる事が出来なければ、その手の革袋は彼女が没収する、という話を――
「お前ふざけんな返せ!」
「きゃー! こわーい!!」
前へ駆け出しつつ手を伸ばすが、するりと逃げられてしまった。
両手を頭の後ろへ回して若緑色の髪をざっくりと集めて結わえ直す。
それからくるりとその場で一回転してから、右拳を固める。
「鬼さんこーちら!」
そのような言葉をその場に残して、女はジークルトの居る場所とは反対方向へ、軽やかに駆け出して行った。
一瞬呆気に取られてしまったが、慌ててジークルトも女の後を追うように走り出す。
はためく外套を皮ベルトで固定しながらも足は前へ前へと運ぶ。
逃がすことは出来ない。
……あの革袋の中の貨幣が、今晩の宿代に他ならないのだから。




