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ティアートロリアの謎  作者: えりせすと
第二章
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勤勉は美徳の筈なのに

 穏やかでない台詞を、穏やかな表情で言われた。

 まるで日常会話の様に。

 井戸端会議で身近な近況報告を行うかの様に。


 言葉が耳に届いて、脳がその言葉をなぞり、そして最終的に意味を理解するまでに数秒を要した。


 理解と同時に、心が、感情がざわつく。

 喉が渇いて喉が渇いて声が出そうに無く、無理矢理に唾液を飲み込む。

 じっとりしたものが喉から胃へ落ちて行くのを感じ取りながら、震えを気取られないように口を開いた。


「商家の令嬢?」


 その単語で思い付く存在(ヒト)なんて、一人しか居ない。

 先に帰しておいて良かった。

 無事に帰宅出来たかは解ろう筈も無いが、この女が今この場所にいる限りは大丈夫だろう。


 ヒュッケバインは、単独で目標を達成する事を良しとする。

 過去に組んで仕事をした時は、目標周りの露払いがジークルトを初めとする冒険者共の役目だった。

 単純に彼女の挙動が色々な意味で危険だったからというのもあるのだが。


 基本的には貴族だとか、道理に反した騎士だとか、そのようなものが暗殺目標(ターゲット)となっていた。

 何時の場合でも彼女は単独で乗り込み目標を達成している。

 彼女以外ならばこの時点で相手を切り上げてフィアナの様子を見に行く所だが、相手が彼女であるならば話は別だ。

 今即座にジークルトが彼女を放置して宿なりに向かった所で、ヒュッケバインは僅かな隙で暗殺をこなすだろう。

 助けるつもりで致命的な一撃を許してしまう事に成りかねない。


 だからこそ、ジークルトは女に向き直った。

 意識を散らばせている暇など無かった。

 真正面から押さえ込んでおかなければ、この大鴉(レイヴン)は直ぐに仕事を全うするだろう。

 勤勉は美徳の筈なのに、この女に限っては忌々しい事にそれが当てはまらない。


 良い性格しているよ、本当に。


 胸中で舌打ちしてから、出来る限り心を落ち着けて視線を定める。

 ヒュッケバインは相変わらず薄く微笑んだままで、此方を見ていた。

 何か問題でもありますか? とでも言いたげなその表情に向かって、声を掛ける。


「何でまたそんな仕事を。

 業突く張りな爺なんかがお前の得意な獲物じゃないのか?」

「そうなんよねぇ。

 うちかて、出来るなら楽なお仕事がしたかったんやけどぉ。

 ……お仕事持ってきた子が中々の綺麗所やったんで、つい断るのも悪いなぁ思て。

 勿論報酬も弾んでくれはったしねぇ」

「綺麗所、ね。

 態々大陸を移動してまで応じるほどに、その二つは価値があったのか?」


 そこまで問いかけると、ヒュッケバインは笑みを深めた。

 妖艶な形に歪められた薔薇色の唇から、甘い吐息が漏れる。


「ジー君は、どうやら令嬢(おじょう)サンに心当たりがあるみたいやねぇ?」


 一挙一動にすら注視してしまい目が離せなくなる。

 以前聞いた話によると、そういった動作も相手を惑わす技の一つだそうだ。

 その手練手管については過去に聞いたことがあるものの、彼女自身もあの時より時間が経ち腕も上がっている。

 ついふらふらと諸手を挙げて降参してしまいそうになるが。


「この街に居る面々は俺が世話になったり共に生活している人々だ。

 その街に来て、令嬢暗殺などと聞いて穏やかで居られる訳が無い。

 心当たりがあろうとなかろうと、お前のその発言はただただ不愉快だ」


 そう言い切る。

 すると先程から黙し続けたイヴェニルが、ゆっくりと口を開いた。


「今回は大人しくする。

 先程言った言葉は、その場限りの虚言かの」


 地を伝う低く重圧のあるその言葉を聴いて、ヒュッケバインが初めて表情を曇らせた。

 イヴェニルが更に続ける。


「お主は暗殺者(プロ)だと豪語しておったが。

 一度口を出た言葉に責任も持てぬのならば、そこらの素人(アマチュア)となんの差もないのぅ」

「じじさま」

「儂ぁ……嘘吐きは、好かぬ」


 きっぱりとそう言うと、イヴェニルは立ち上がって彼女には目もくれずに、カウンター裏の扉へと向かう。

 傍に控えていた青年は真っ赤な顔を隠すように、老男の後ろを付いて行った。


 ……あぁ、あいつ。

 さっきのヒュッケバインの言動を見て、照れてたのか。

 未熟な童貞め、暗殺()られてろ。


 そう辛辣な台詞を胸中で吐き棄てる。

 すると此方の言葉が聞こえる筈も無いのだが、振り向いた青年がジークルトにだけ見えるように親指を下に向けるジェスチャーを繰り出してきた。

 口元だけでにやりと笑ってやると、顔面を歪めて舌打ちしてからまた老男に付き従う。


 そんな二人の後ろに手を伸ばしながら、


「嫌やぁ、じじさま」


 何とも哀れっぽい声を出す、ヒュッケバイン。

 その様子を見ても――可哀想だとも思えないくらいには、女の表も裏も知り過ぎてしまったのだが。

 さっさと扉を開けて鍛冶屋の裏手に回ってしまったイヴェニルの後を追って、彼女もカウンターの中へと入る。


「怒らんといてぇな、堪忍やぁ」


 そんなヒュッケバインの為に青年は扉を開けてやり、彼女が裏手へ回ったと同時にしっかりと扉を閉めた。

 小振りの閂みたいなものまで下ろして、やれやれと一息。


「未熟者め」

「ジーク、お前に言われたくない」

「俺は一応会話していたしな!」

「僕はちゃんと店番していたし!」

「立ってただけだろう甘えんな」

「五月蝿いよ?! 誰だって入れないよあの空気!!」

「まぁ確かに……疲れた、な」


 軽口を叩きながら、その場に腰を下ろす。

 店内に居座ろうとする客に僅かに眉根を潜めた青年も、同じようにその場に腰を下ろした。

 否、二人ともへたり込んだと言っても過言ではないかもしれない。

 それ程までに、二人とも精神的に疲労していた。


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