――全力でお断りする
「今回に限らず、何時も淑やかだと良いのだがのぅ。
ジークルトの故郷辺りでは、女人は正座して三つ指付いて迎えてくれるそうじゃぞ」
「まぁじじさま。
そんなもの【お戯れ】やないですか。
うちかてたまにするんよ、こうやってな」
そう言いながら左手の細く長い指を三本くっつけた状態で、残りの空いた二本を動かしながら笑う。
そんな彼女の手元を見て、ジークルトは首を振る。
「俺もあまりに小さい頃で記憶が曖昧だけどな。
……因みにその三本じゃないからな、言っておくが」
「えぇ~? 小指はうち動かすの苦手なんよねぇ」
「親指な、親指。
戦意が無い事を表明する意味も込めて、本来武具などを持つ指を――」
「ほんならうち、無理やわぁ」
朗らかに笑って、ジークルトの唇に長い指を添える。
血の様に真っ赤なマニキュアが此方にその色を見せ付けていて、危険を訴えかけて来ているのではと肌が粟立つ。
つつつ、と彼の唇をなぞってからその指をそのまま己の咥内へ差し込んだ。
ちゅっと音を立ててから、妖艶に笑んで見せる。
「うちの手は、常に自由なんよ」
ついごしごしと、先程額を拭った手で口元も拭う。
さも可笑しそうに女は笑うが、構うもんか。
「どちらにしろ、三つ指付くような女は清楚で貞淑だ。
お前のような女には逆立ちしたって無理だろうさ」
「何だぁ詰まらんわぁ。
そないな女が愛しぃん?」
口を尖らせて、ヒュッケバインは言葉を紡ぐ。
愉しそうに、可笑しそうに、けれどある意味の退屈さを含めて、そして哀しく愛しく。
甘いその言葉や絡みつくような囁きは耳から脳内に届いてじんわりと思考を麻痺させて行く。
右手の拳を強く握り締めて意識を持って行かれないように気をつけなければ、ならない。
「少なくとも――」
更に紡がれる言葉に対して、意識して音を耳に届かせない。
けれど瞳を伏せるわけには行かずに彼女から目を離さない。
「アレは、そんな謙虚な女では無かったんちゃうかと思うんやけどなぁ」
「――ヒュッケバイン」
言葉が痛い。
馴染みの相手だからといって、己の心の奥底を曝け出すのは考えなければならないと悟る。
どのような思考でどのような興味でどのような真意で記憶されるかわかったものではないのだ。
ジークルトは彼女を見据えて、それでもあえて口を開く。
「その話はするな」
「何でなん?
だってもう関係あらへんのでしょう?
あかんよ、何時までも一人の女なんかに心を奪われているやなんて」
今度は真正面から抱き付いて来た。
一般男性よりもほんの少しだけ背が高いかどうか、といったジークルトだが、ヒュッケバインも女性にしては背が高い。
ジークルトと並び立つ位の身長で、脇腹から背中にかけて腕を回して絡み付いて来た。
真っ白の髪とその髪にすら負けていない透き通るような肌が、目前にあった。
瞳は昔の髪と同じ亜麻色、その瞳孔は確かに開いている。
思わず目前に迫ったその瞳を見詰めてしまい、くらりと脳が一度揺さ振られる。
「ジー君と仲良ぅ仲良ぅするんは、うちよ」
「全力でお断りしたいんだが、良いか?」
「相変わらず連れないお人やねぇ……。
うちが、こんなにジー君の事愛してると言うんに」
うっとりと囁いてくるその声音が、抗えない引力となってジークルトを引き寄せる。
口を開こうとして押し止まり、また開こうとして言葉にならず、そして口を閉じる。
彼女の異様な程にうず高く聳えている二つの胸がジークルトとの間で押し潰されて、その弾力を胸元にはっきりと感じる。
当然相手も分かっていてやっているのだが、これまたなんともはや。
「――全力でお断りする」
相手の肩を掴んで、押し返す。
僅かに彼女の瞳孔が細まり縦に伸びたように見えた。
こちらの瞳を覗き込み、そのまま顔を突き出してきた。
反射的に首を右へ傾げたがその隙に開いた左の首筋へ、彼女は顔を埋めて来る。
そっぽを向いたままにしておくと、首元にぬるりとした妙な感触がして反射的に突き飛ばしてしまった。
「やぁん」
油断でもしていたのか?
いやに簡単にヒュッケバインは突き飛ばされて、距離を開けた。
首元に手を当てると、どうやら首筋を舐められた様だ。
本当に何でもありだな、この女。
「ジー君、相手してくれへんからつまらんわぁ」
ぷいっとそっぽを向いてしまう彼女。
頬を膨らませて拗ねた表情を『作っている』が、そんなものには騙されない。
思いっきり半眼で睨みつけてやると、此方を見て来た彼女は嬉しそうに笑う。
「そうやん、それでえぇのよ。
何時までも何時までも初な僕チャンでは居たらあかんもの」
「世の僕チャン達に謝れ。
……否、別に良いか、直接言って来てやれ」
「そんな僕チャン達には興味あらへんわぁ。
それよりも」
再び彼女は指で、ジークルトの胸元を付く。
「さっきのお嬢ちゃん、可愛ぇね。
うち、あぁいう娘めっちゃ好きやわぁ」
あぁ気付いていたか、やはり。
もう予想済みだったからか、驚きは無い。
何の感のと言って来るものの、彼女は其処までフィアナには興味を持っていないのだろう。
もし何か興味を持っていたとしたら、彼女を逃がす訳が無い。
無理矢理にでも捉えて連れ込んで、じっくりと料理されてしまっていたに違いないのだ。
「あんなぁジー君?」
「何だ?」
反射的に返事をすると、ヒュッケバインは続ける。
「うち、お仕事でこの街に来たんよぉ。
お仕事の内容はさ」
亜麻色の瞳がすっと、細められた。
ジークルトの胸元に付いていた指を離し、白い髪をゆっくりと掻き揚げる。
その一挙一動から目を離せずに、ジークルトは彼女の言葉を待った。
「――ある商家の令嬢の暗殺、なんよねぇ」




