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ティアートロリアの謎  作者: えりせすと
第二章
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義理人情に厚いだけの馬鹿

 穏やかなこの空気にずっと浸っていたい。

 そう願わずには居られない程に安心できる空間が、今此処に存在していた。


「この前のお嬢ちゃんとも実に親し気ではあったがのぉ。

 本命はどっちかの? ほれ、遠慮せずに儂に教えて見んかのぅ?」

「何が本命だ。

 ユノともフィアナともそんな関係じゃねぇよ!

 色惚け爺ぃが、よっぽど暇なんだな」

「流石にこんな街までわざわざ武具を見に来る物好きは少ないからのぅ。

 だが儂ぁ暇は嫌いじゃからの、日々生産だけは怠っておらぬでな」

「その製造した武具が全然消費されないから、こんなに破格の値段で売っていかなければならないんだろう?

 いっそ街の外に運んで売り捌いてしまえば良いじゃないか」

「お断りじゃの。

 この街の人々は儂の作品を愛してくれるが、外の人間に真実が理解できるとは思えぬしのぅ」


 髭を撫で付けながらそう言い切る老男に、やれやれと溜息を吐くジークルト。


 そんな二人を見ながら、成る程とフィアナは得心が行った。

 ユノの円月輪といい今此処に所狭しと並んでいる武具といい、何故此処まで破格の値段なのかと不思議だったのだ。

 その理由を調べ、また確認する為にわざわざ訪れたのだが――聞く手間が省けた。


 ようは、あの老男の道楽なのだ、この鍛冶自体が。

 それにしては完成度が高すぎて……ひょっとしたら他の街の鍛冶が揃いも揃って自害するかも知れない。

 若しくは鍛冶という道を諦めて、転売屋などになる可能性だってある。

 イヴェニルの店から通常価格で買い取って、外の街や国に売ったって余裕で暮らしていけるだろう。


 それ程までに価格は安く、また品の質が良かった。


 本当に何故、この街でだけ販売しているのだろうか。

 いっそジークルトが外の街に売りに行ったりすれば、良いのに……と考えてしまう。

 そうすれば、彼の食生活は大幅改善されるのではないだろうか?


 フィアナが食事をしているのを横目に見つつ黒パンなどをモソモソと齧る必要もないだろう。

 仕方なしに手元の料理を分け与えてあげて、その中の唐辛子が大量に入ったスープで悶絶する事もないだろう。

 勿論食事代どころではなく宿代すら払えずに、布一枚持って街の外で野宿をする事もないだろう。


 ……この男、義理人情に厚いだけの馬鹿なのではないかしら。


 まぁ、本人が拒否している以上は仕方ない事だろうが。

 そう思って見ていると、ふと真顔になったイヴェニルがこっそりとジークルトに何かを耳打ちしたのが解った。

 ジークルトは一度だけ頷くと、さてと、と言葉を漏らした。


「イヴェニルの鍛冶場も見たし、店内も見ただろう。

 そろそろ戻ろうか、フィアナ?」


 話の運びに僅かな違和感を感じる。

 別にフィアナ自身と彼が行動を共にする必要は殆ど無い筈なのだが。

 けれど此方へ僅かに手を伸ばして来ているジークルトの目は、妙に真剣だった。


「……そうね。

 では、また寄らせて頂きますわ、おじいちゃま」


 笑って手を振ると、節ばった大きな手をにこにこと振り返してくるイヴェニル。

 あの手で良くもこんな繊細なものが作れるものだ、と腕輪に触れながら思う。


 上機嫌な老男を、気持ち悪いようなものでも見る表情で眺めた後、ジークルトはフィアナの肩を軽く叩く。

 何か引っ掛かるものを感じたが、あえて無視する。

 例え視界の端に何かが映り込んだとしても、それは黙殺して良いものの筈で、だからなにも言わずなにも聞かずなにも見ずに出口へ向かった。


 扉を開くと、空から降り注ぐ陽光がとても眩しい。


 続いて外へ出たジークルトが、後ろ手に扉を閉める。

 その閉める僅かな時間に室内から声が聞こえた。

『じじさま、ジー君がおるってほんまなん?』


 ……ジー君?


 ちらりと後ろのジークルトを見ると、なんだか蒼白の表情で前を向いていた。

 表情も身体も何もかもが固まってしまったかのようだ。

 そんな彼を見て、そっと閉められた扉の様子を伺う。

 流石に扉が閉じきってしまうと音は漏れ聞こえない。


 人の気配は……二人分。――ふたりぶん? あれ?


 思わず首を傾げてしまうが、そんなフィアナの背中を硬直状態から脱したらしいジークルトが押す。

 ぐいぐいと押して、少しでも僅かでもフィアナを鍛冶屋の扉から遠ざけようとしているみたいだ。


 何が起こっているのだろうか。

 気にはなるものの、なんだか妙な不安がある。

 不安が、胸中の深い深いところにぽつりと突き刺さって染みを作る。

 片手で胸元を押さえてみるが、何だか呼吸が苦しい。

 息を吸っても吸っても酸素が肺に吸い込まれずに抜けていくように感じる。

 肺に穴でも開いたかのように、息が、酸素が、体内に取り込むことが出来ない。


「フィアナ」


 声が聞こえた。

 同時に、頭に大きな手が乗せられる。


 その確かな重さを感じた時、先ほどまでの苦しさが嘘だったかのように呼吸が楽になった。

 三度、その場で身振りもつけて深呼吸。

 最後に深く長く息を吐き出して――頭上の手を握った。


「……今の、何かしら?」

「対応が遅れてしまって悪い」


 答えになっていない。

 けれどそう言う事も出来ないくらいに、身体がとてもだるかった。

 まるで全身に鉛玉でも付着したのではないかと思ってしまうくらいに。

 一歩を前へ踏み出すのすら億劫で、それでも。


「……私は、宿に戻るわ。

 なんだか疲れてしまったの」


 それだけを言って、小さく息を吐き出す。


「ああ……それが良いだろう。

 俺は、ちょっと用事が出来たから……後から戻るよ」

「解ったわ、じゃあ――気をつけて」


 何を?

 何に?


 己が発した発言だったのだが、何故そんな台詞が口を付いて出たのか解らなかった。

 それでも背後のジークルトからは確りと頷く気配がしたし、僅かに返答も聞こえた。


 そのまま、フィアナは頭上の手を放し。

 後ろを一切振り向かずに数歩前へ歩くと、即座に緑の術式を展開して飛翔した。

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