次、お願いしても良いですか!
ふっ……と、呼気が漏れた音がした。
瞬間。
熱が顔中に広がる感覚が頬を中心として顔面が赤くなる。
両手でその頬を押さえて隠しながら、震える唇を開く。
さっきのは冗談だと。
別にお礼を言う気なんて無かったのだと。
妙な恥ずかしさに襲われて、そう誤魔化しを言葉にしようとした。
しかし、それより先に彼の低い声が耳に届く。
「どういたしまして」
優しい声だった。
耳から入ってじんわりと広がるような、そんな声だった。
喉元まで出掛かっていた声を無理矢理飲み込んで、改めて言葉を紡ぐ、声を出す。
「べ、別に。
ほら、幾ら引分だったからと言っても、私に華を持たせようとしてくれなかったのだから。
これはそのお詫び、みたいなものだと、思っておくわ」
「それでも構わないさ。
――さっきの可愛い反応だけで充分ご馳走様だってうわぁ?!」
反射的に、足で彼を蹴り倒してしまった。
靴の裏を丁度腹部のど真ん中に押し付けて、踵部分を刺すように抉るように蹴り出して、彼を床へ転ばせる。
……後ろの方で誰かが噴出したようだが、あえて気にしない事にする。
倒れ込んだジークルトの胸元に再び靴族を押し付けて、両腕をしっかりと組んだ。
寸分の隙も無い腕組み、完全なる拒絶の表明だ。
「何を考えているのジークルト!
冗談で済む事と済まない事があると知りなさい」
「別に馬鹿にして無いだろう!
褒めているのに何で――ぐえぇ」
「五月蝿い、喋るんじゃないわよ」
「ちょ、痛い痛い!
降参! 降参!!」
「もう、もうっ!
ジークルトの馬鹿、本当に馬鹿ー!!」
理不尽だという事は解っている。
本当は可愛らしくお礼でも言って、それからにっこり微笑むべきだったのだろう。
けれど素直になるという事は、難しい。
お礼を言うのだって、謝罪をするのだって、とてもとても難しい事なんだ。
さらりと何も考えずに言葉を紡げたら良いのに中々そうもいかない。
術式なら、術韻や術詞なら、気にする事なく言葉を紡げるのに。
(……心を伝えるのって、とても難しい事なのね)
そう思っていると、足元に居るジークルトの直ぐ隣に、青年が立っていた。
全然気付かなかった。
とても驚いてしまって、ジークルトを踏みつけていた足を止める。
フィアナとジークルトを交互に見た後で、その青年はジークルトの隣に膝を突いた。
その位置からフィアナを見上げて真っ直ぐと真摯な視線を向けてくる。
一体何をしているのか、と不思議に思っていると。
青年は一度深呼吸をしてから発言した。
「次、お願いしても良いですか!」
反射的にぐわしっと、頭を掴む。
その掌に赤の炎で術式陣を展開しようとして――
ずるりと。
体内の活力とか元気とか何だかそうったようなものが根本から引き抜かれるような感覚を得た。
慌てて青年の頭を押しのけて即座にその場から数歩後退り、先ほどの気持ちの悪い感触を忘れるように手を上下にぶんぶんと振る。
力を入れて手を腕を振り過ぎたせいか、指の関節が痛い。
うっかりすると指がすっぽ抜けてその辺りに散乱してしまいそうな程強く動かしてから、怪訝そうに青年を見やる。
「何なの……?」
得体の知れないものに触れてしまった感覚。
まぁジークルトに続いて踏んでくれ、など言われた時点でとてつもなく得体は知れない存在だと思ったのだが。
だからこそ、炎で焼いてやろうか……焼かずとも脅かしてやろうか、と考えただけだった。
そんなフィアナが術式陣を組み源素を流し込もうとした時に、妙な感覚がある。
気持ち悪い、未だ引っこ抜かれたような感触と冷たい何かが体内に侵入してきたような感触が残っていた。
右手を左手で揉み解し、両手で身体を抱きしめて縮こまるように身震いする。
「やだ、気持ち悪い」
「ありがとうございます!」
思わず足が出た。
同時に、フィアナが後退した為に自由を得ていたジークルトの拳骨が、青年の頭に落ちていた。
フィアナの靴底と、ジークルトの拳を食らって青年はそのまま倒れこんだ。
……何だか表情が満足そうなのが、更に気持ち悪い。
「何なの、この人!」
「一応、悪いやつじゃ……ないんだぜ?
まぁ変な奴だけど」
まったく補足出来ていない。
あぁ否、恐らくそのつもりも無いのだろう。
やれやれと息を吐いてから、ジークルトの顔を覗き込んだ。
「あの、あのね?」
「ん?」
恐々と声を掛けるフィアナに対して、不思議そうに首を傾げてくる男。
二十半ばを過ぎた男がその動きかよと思わないでもないが特に何も言わない。
軽く紅の唇を舐めてから、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「腕輪、ありがとう……嬉しい、大切にするわ」
顔を見詰めてなんて言えない。
だからつい、俯いて腕輪を左手で掴み、言葉を漏らす。
フィアナ自身は気付いていないが、か細く震える声で、それでもきちんとジークルトに届く声量で言葉は紡がれた。
そんな彼女を見て、ジークルトは口元を笑みに象る。
「気に入ってくれたなら何よりだ」
それだけ言うと、彼はくるりとフィアナに背を向けた。
声を掛ける間もなくずんずんと店内を突っ切って――カウンターの中にある扉に手を掛けた。
問答無用とばかりに勢い良く扉を開く。
――開かれた扉の向こうから、老男が蹈鞴を踏んで店内へ入ってきた。
「おっとっと」
そんな暢気な声を上げている。
「イヴェニル……何時からだよ。
何時から覗いているんだよ、あんた」
フィアナの位置からは見えないが、恐らく半眼で老男を睨み付けながらジークルトは低い低い声を出す。
そんな彼の表情を見てから肩越しにフィアナを見て、老男はばつが悪そうに頭をかいた。
けれど直ぐに、にっと笑って満面の笑みで二人を見詰めた。
「いやぁ、お邪魔だったかのぉ?」
妙に素っ頓狂な声でそう言われてしまうと、もう駄目だ。
思わずフィアナは噴出してしまって、それに合わせる様にイヴェニルも呵呵と笑う。
頭を抑えてその場に蹲ってしまったジークルトではあるが、肩をふるふる震わせて、彼も笑っているのが良く分かった。
ドラシィル家では絶対に漂うことの無いこの雰囲気。
それがフィアナにとっては羨ましくもあり、悲しくもあるのだ。
ジークルトと離れがたいと思ってしまうのは、こういうところがあるからなのかも知れない。




