利己主義で徹底的な自己愛の権化
と同時に、扉をノックされる。
窓を背にして部屋の中で向き直り、来訪者へ声をかける。
「はい! 何方?」
悪いことをしていた訳でもないのだが、早鐘みたいな胸の鼓動を落ち着けようと胸に掌を当てた。
来訪者は扉の向こうで様子を伺っているのか直ぐに返答はして来ない。
その感じ、雰囲気で相手が誰か分かってしまった。
ゆっくりと近付くと僅かに扉を開けて、向こう側を覗き込む。
案の定、そこに立っていたのは予想した相手だった。
「……気付いたの?」
そう声を掛けると、相手は小さく頷いた。
何ともいえない複雑な心境で、同じように頷いてみせた。
「何の問題も、無いわよ」
「本当に?」
小声で答えると、相手は二度三度瞬きをしてから此方を見上げて質問して来た。
その返答として扉を更に開けると相手を室内へ招き入れる。
少しの逡巡する様子を見せてから、ユノは室内へ歩を進めるのだった。
ユノを迎え入れてからしっかりと扉を閉じると、フィアナは彼女へ視線を送る。
恐らくアレッサが部屋に入った段階で少女は建物への来訪者へ気付いたのだろう。
あの男が身に着けている術式具には常に発動状態に等しいものがあるので、少女なら空間の歪みと共に感知出来る筈だ。
けれど部屋の主であるフィアナが何の反応も返さない事から、立ち去ったのを確認した後にこのように様子を伺いに来たのだと思う。
……どうしてあの男はこっそり侵入してくるかと思えばそうやって存在を隠そうとする働きは行おうとしないのだろう。
そう疑問を持ってみるものの、答えは見つからなかった。
結局はあの男の考えることだ。
自分には分からなくても何も可笑しいことは無い。
そう無理矢理に納得してから、フィアナは溜息を一つ吐いたのだった。
「アレクサンドリア」
唐突にユノが言葉を発した為、びくりと肩を震わせてしまった。
「彼は元気そうだった?」
その質問の意図が分からない。
アレッサを気にするような、そんな関係だっただろうか?
確かに幼少の頃はドラシィル家に訪問する彼を二人で迎えた事はあったけれど、それでも。
「元気……だったのでは無いかしら。
何時もの癖も、そのままよ」
フィアナの返事を聞いて、少女は少し顔を伏せた。
妙な様子に違和感を覚える。
「アレッサが何か?
あの男の健康状態や気分を気にするほど、親しかった訳でもないでしょう」
「一月ほど前に、アレクサンドリアと話した」
「何の話を?」
「アレクサンドリアがフィアナを愛しており、娶ろうとしているという話」
はぁ? と、思わず言葉が口をついて出た。
面白いほどに素っ頓狂な声が出たのだろう、目を見開いて驚いているユノがいた。
普段からあまり感情を露にしないユノのその驚いた表情はあまりに貴重だったので、そちらについても驚いてしまった。
えぇぇ、と長く漏れ出る言葉をそのままに、有り得なさの意味を探る。
「アレッサが、愛ですって? そんな事有り得る訳が無いじゃない……一体何を言い出すの、何の話なの。
あの徹底的な利己主義で徹底的な自己愛の権化でもある存在が、他人への愛を謳うわけが無いわ」
しかもそれがフィアナとか、まさに青天の霹靂、だ。
ばかばかしいようなほどに有り得ない話過ぎて、思わず口元が笑みの形に歪む。
彼女は知らなかった。
もしくは、全く気付いてもいなかった。
フィアナにとってアレッサは、小さい頃から良くドラシィル家を訪問する相手でしかなかった。
父と親しく仕事についての話しをし、祖父と商売についての話をしていた。
時たま曾祖父の館で出会うこともあったが、それだけ。
あの男がフィアナに執着するのは家の事があるから、だろう……そう考えていた。
「彼が私に執着するのは、ただただ私が術式師ユンゲニールと魔女の曾孫だからよ。
それ以外に理由がないわ。
だって昔から、ドラシィル家を尋ねる時だってそう私達と話すことも無かったじゃない」
そう言い切ってから、ユノの反応を待つ。
すると少女は少し俯き加減に思案してから口を開いた。
けれど直ぐには言葉を発さずに、暫く開閉を繰り返した後に唇をぺろりと舐めてから、やっと発声する。
「アレッサがドラシィル家に執着していたのは、フィアナの為」
「何を馬鹿な」
嘲笑する彼女に鋭い光を湛えた紅の双眸を向けて、言葉を続ける。
「愛しい相手に想いを伝える手段としては、愚行でしか無いけれど。
恐らく彼は外堀から埋めてフィアナと親しくなろうと考えたのだと思う。
だってフィアナは、幾多もの求婚者に素気無い返事しか返したことがないから。
そんな貴女の興味を少しでも引く為に、彼は貴女の周りから関わっていく事に決めた筈。
努力の方向性は間違ったのだろうけどその部分に関してはフィアナが否定するのはとても可笑しい事」
思わず面食らう。
まさかユノが、他人の感情に関してここまで思考を巡らせているとは思わなかった。
それもアレッサの事で。
……しかも、どうやら言い咎められているようだ。
アレッサにそういった誤解を生ませ直球ではなく変化球でもって求婚せざるを得ないような思考にしたフィアナにも落ち度がある。
ユノの言い方ではそのようにも聞こえる。
けれどそんな事、当時の――十四、五の少女、それも親戚に僅かに恋心を抱いたかどうかといった程度の彼女には解ろう筈もない事。
言われなければ解らない、決してフィアナはアレッサを嫌っていた訳ではないのだが、それでも勝手に妙な判断をされても困る。
しかもそれを四年も経過してから本人ではなく別の人間の口経由で聞かされて、嬉しいとも悲しいとも何の感情も沸かない。
驚きと、不満と……それからなんだろう、最後のこの答えようもない感情は。
「だって。そんな事、何も言わなかったじゃない」
唇を尖らせてから、フィアナは抗議の声を上げた。
「言わなきゃ解る訳がないでしょう?
それなのに言わないで相手に察して欲しい、しかも自分は別の所から手を回す……なんて、ずるい。
……私が何だって言うの? 私が悪いって言うの?」
アレッサへ対する不満、ではなくて。
目の前の少女が、フィアナに対して行っていた事への不満が喉から口へ零れ出てきて、つい言葉が止まらなくなる。




