怠惰に堕落にお昼寝が最高の贅沢
ごろりと寝転がる。
緑の芝生がちくちくと背中に刺激を与えてくるが、特に気にせずにそのままごろごろと体を転がす。
ぽかぽかした熱が葉を通して体に伝わってきて気持ち良い。
お日様の良い香りが鼻腔を擽って、全身の力を容赦なく奪っていく。
最初こそ決まった位置を中心として左右に動いていただけだが、そのうちに中心を無くして芝生の上全体での移動を行った。
そんな彼女を見て何ともいえない表情をしている男が、何かを言いかけて……黙する。
「何か言いたい事があるなら、とっとと言いなさいよ」
言葉を発する為に息を吸い込んだのをきっちりと確認した彼女が、当人へ目線を向けることなくそう言った。
先程から延々と転がっていた位置関係からすると、彼は恐らく足の指先へいるはずだった。
態々確認するつもりもないが、その辺りにいるであろう彼に向かって話し掛けた。
声が届いていないという事はない筈だがしかし彼女に対して何の返答も返っては来ず、再び彼女はごろごろと横に転がる運動を開始し――
「あー、……そろそろやめておけ」
ぐいっと、彼に左脇の下に腕を突っ込まれて持ち上げられる。
力強いその腕に体を引き上げられて、そのまま地面へ真っ直ぐに起立させられた。
中々こうきちんと地面と垂直に立つことは久しい。
そんな事を考えながら、彼女は己の足で地面に立つと、少しむくれてみせる。
「年頃の女が流石に日がな一日、芝生でごろごろしているのは良くないだろう」
頬を膨らまして睨み付ける彼女の視線に怯むことなく、男はそう続けた。
確かに幼い少年少女なら兎も角、身体共に成長した女性が人目も憚らず足元で肢体を晒しているのは良いものではないだろう。
男の発言は尤もではあるのだがその言葉を聞くなり即座に彼女は言い返す。
「誰にも迷惑掛けてないのだから良いじゃない!」
口を尖らせて言い返す彼女の額に、全く力の篭っていない手刀が当たる。
痛みもなく直ぐに手刀は離れたものの少し当て付けの意味を込めて両手で額を押さえた。
「痛ぁい」
少し鼻にかけた声で甘えたように言葉を発すると、男は呆れた様子で言った。
「フィアナ。
落ち着いて今一度、周りを良く見てみろ」
言われて大人しく辺りを観察する。
朝方は東の空にあった太陽が、もう西の空低くへ移動していた。
驚きの速さだ、もしかしたら誰かが白の術式でも使って一日を早めたのではないか。
何時も変わらぬ高度にある赤い月は、今日も変わらず空高くから此方を見下ろしている。
さぞや御高名な貴族や王族であろう然としているあの赤い月は、その時の気分次第では良くも悪くも見える。
今日は……そうだな、少しくらいは愛でてあげても良いと考える程度には機嫌が良い。
その周りの空にチカチカと瞬いているのはもしかして星だろうか? もうそんな時間なのか。
芝生の上は暖かくて気持ち良いけれど、僅かに冷気が漂い始めたように思う。
辺りにいる人の数も朝方よりは大分減っており女子供は少なく老若の男達が増えてきた。
彼らは一様に頬を赤く染めて、また上機嫌に話し合いながら宿から出てくる。
その内の若い青年達が、此方に向かってひらひらと手を振って来た。
にっこりと微笑みながら手を振り返すと『わー』だの『おー』だのと声を上げ笑いながら彼らは立ち去っていった。
そんなフィアナの隣では呆れ顔の男が、盛大に溜息を吐いている。
「何、愛想振りまいているんだよ……」
「あら何か問題でもあるの?
彼らは私に向かって手を振ってきたのだから、挨拶をお返ししてあげる事に何の他意もないわよ」
「問題なのは挨拶ではなくてお前のその現状だ」
何かを噛み殺す様な表情とゆっくりと噛み砕くような台詞で、彼は続けた。
まるで小さな妹に言い含めるように優しく、けれど親が幼子を叱るように厳しく。
「ものすげぇ格好で宿屋の芝生で寝転がってお前は何をしてるんだ」
批難するように彼は言ったが、その言葉の指し示す正確な意味がフィアナにはいまいち解らない。
彼女は普段の外出着でもある黒の衣服ではなく、滑らかな絹のワンピースを羽織っている。
色は上品なワインレッド、体のラインをなぞる様にぴったりとした衣服だ。
背中から腰元に掛けてのダーツ部分には黒のシルクリボンが編みこまれており、彼女の腰と括れを強調していた。
丈はとても短く際どいところまでスリットが入っているが、取り立てて気にした様子はない。
五分丈の袖から伸びる腕には金色の腕輪をはめ、何時もの家紋の首飾りを着けている。
朝からその格好でごろりごろりと宿前の芝生にてだらだら過ごしていた。
正装でもなく儀式服でもない、フィアナの気軽な服装だった。
「こんなの全然普通の格好よ。
宿の芝生に寝転がっているのは、気持ち良かったからだわ。
ぽかぽかした陽気の日は、怠惰に堕落にお昼寝が最高の贅沢よ」
見せ付けるように胸を張る。
年頃の女性らしく順調に育ったその胸を反らすように強調するが、相手は何の反応も返さない。
その全く興味のなさそうな様子に、僅かに自尊心が傷付く。
思わず先程彼女を抱え起こした腕に擦り寄ってみるが、生温い視線を向けられただけに終わった。
しかも今度は掌で彼女の頭を叩かれて、彼は自分が着ていた上着を脱いで此方に放りながら続ける。
「せめて上着だけでも羽織っておけ、じきに飯だ」
「ご飯は嬉しいけれど……ジークルトの上着は汗臭いし、埃っぽいから嫌だわ」
「うるせぇ文句言うな。
お前がきっちりした自分の服を着ていれば何の問題もない筈だろうが」
「だから、私はそこまで言われる程変な格好をしているつもりはないのよ?」
「薄手の生地で完全に体のライン見せ付けておいて良く言うぜ、ほんとに」
どうやらフィアナの服装はしっかりと見ていたらしい。
それも当然の話である。
何故ならこの辺りで彼女のように日々の服装を実用以外の好みで着る人間は少ない。
最近で言えば、宿の娘が好んで着せているある少女だとか、度々遊びに来る辺境住まいの貴族の少年位か。
彼女を入れて三人程度がころころと衣服を変えているのだから、ジークルトが彼女の服装をしっかりと見ていたとしても何もおかしい事は無かった。
フィアナは一応は年頃の女性だ。
素気無くあしらわれていた相手が、きちんと身なりを確認していたという事実だけで、機嫌を十二分に良くする理由となる。
そんな彼女の胸中など露知らずやれやれとあからさまに溜息を吐くジークルトに、彼女は悪戯っぽくウインクして見せた。
「どきどきしちゃう?」
再び、ジークルトの手刀が彼女の額を的確に捕らえた。




