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ティアートロリアの謎  作者: えりせすと
第一間章
73/139

遠慮しなくても良いんだぜ

 男が腕を伸ばす。

 すると、ふんわりとしたボリュームのある髪が腕に纏わりついた。

 笑いながらその髪の持ち主を抱き寄せると、持ち主である女は彼の裸の胸に頬ずりをする。


「何だよぉ……まだ眠いよ」


 そう言って男の胸元に顔を埋めて直ぐに、すやすやと寝息が聞こえてきた。

 彼女の燃えるような赤毛を撫でながら同じように男も、再び夢の世界へと旅立った。



 隣の部屋には弟がいる。

 彼は何も言わず、二人の情事にも一切口を出さない。

 静かな隣室を気にしながらも、心臓の鼓動によって上下するその胸元の安心感に安堵する。

 いつまでも今のように男にも彼にも甘えている訳にはいかないが――かといってこの状況から無理やり離れようとは考えていなかった。


「……ねぇ、寝てしまったの?」


 そっと声をかけるが、返事はない。

 そもそも先に眠いと伝えたのは女の方だ。

 仕方ないなと上体を起こしてゆっくりと伸びをする。


 女の口から甘い甘い吐息が漏れて、彼女は満足げに口をもごもごと動かした。

 首を動かすと、くきっという音が鳴る。

 少し妙な体勢で眠りに落ちていたからか、気だるい体に疲労感。

 一度だけ欠伸をしてから、裸体のまま寝床から這い出た。


 部屋の扉に手をかけて遠慮なしに勢い良く開け放つと。

 ごろり、と扉の向こう側から一人の少年が転がり込んできた。


「うわっ?! わっ、わっ!」


 焦った様に起き上がり逃げ出そうとしたその少年の襟首をさっと捕まえて、女は悪戯っぽく笑う。


「覗き? それとも聞き耳?」

「ち、違っ!

 そんなんじゃねーよ!」


 わたわたと逃げようとする少年であったが、女は手を離さない。

 小柄なその少年は軽々と持ち上げられてしまっていて、逃げ出すこと叶わなかった。


 女は平均的な男性の身長よりも背が高く、まだ成長期にも到達していないと思われる少年は易々と掲げられてしまった。

 腕力も人並み以上なのではないだろうか、その体についた筋肉もしなやかで無駄が無い。

 片腕で少年を吊るし上げながら、もう片方の手を腰に当てて彼の顔を覗き込むように見た。


「なら、どうして扉の前に居たりしたんだ。

 これが逆側に開く扉だったら、お前、後ろに吹っ飛んで今頃脳震盪で恥ずかしい目にあってたよ」

「どれだけの勢いで扉を開けるつもりだったの?!

 別に石造りの扉でも金属の扉でもない、唯の木の扉だけど?!」

「材質なんて関係ないよ。

 ほら、不埒な輩が居れば危険だろう?

 そういったところも常に考えながら行動しなければならないと、あたしは思うんだ」


 断言してやると、その不埒な輩であった少年はそれ以上なんの返答も返さなかった。

 押し黙るように黙した彼を更に持ち上げ、女はその額を彼の額にくっつける。

 まるで頭突きのような体勢になるが、優しく額を触れさせて彼女は続けた。


「今度から覗くなら、あらかじめ宣言しておいてよ。

 そしたらあたしもやりようがあるだろう?」

「しねーよ! みねーよ!」

「またまたぁ。

 遠慮しなくても良いんだぜ、年頃の男だろう?」

「ふざけろ!

 俺はただ、客が来たって伝えようと、しただけだ!」

「あれ? 客?」


 ふと女が顔を上げた。

 少年の額から額を離し、今出てきた部屋ではない家の扉を確認する。

 入り口に立っていた来訪者が、顔を真っ赤にして両手で顔を隠しているのが見えた。


「……あの、お姉さん。

 服位は、着て、下さい」




 たっぷりとした赤毛を手早く一つに纏めて、女は二人に話し掛けた。


「いやぁ、すまないね。

 すっかり忘れていたよ」


 あっはは、と笑ってみるが、二人の目線は冷ややかで冷たい。

 居心地の悪さを感じながらも笑顔は崩さない。

 椅子の背凭れ部分に顎を乗せて行儀悪く此方を見詰めている少年と、その隣で行儀良く両手を膝の上に置き椅子に座っている少女。


 その二人から視線は外さずに、身に纏った生成りの衣服をぱたぱたと整える。

 おそらくは男が脱ぎ散らかしたであろう前留めのシャツだ。

 先程まで全裸だった女が、取り合えず部屋に落ちてあった物を羽織ったのである。

 艶かしい肢体が取り合えず一枚の布で覆われたが、布の上からも解る凹凸から少年は意識して視線を逸らしていた。


「儀式服は、着ないのですか?」


 不思議そうに首を傾げる少女に、微笑む。


「あんなもん、重たいだけで邪魔、邪魔!」

「ずるずるした儀式服は邪魔で良いけど、下着は着けろよなー……」

「下着だって、邪魔だよ?」

「「そんなことはない(です)よ?!」」


 女は気だるそうに頭を掻いて、片手を無造作に上に向けた。

 その掌に灯る、赤い炎。


「五月蝿いよ?

 あたしがどんな服装で居ても、お前達には何も迷惑はかからないだろう」


 存在が目の毒である。

 その言葉を少年少女は辛うじて飲み込む。

 無言でこくこくと頷いてやると、ふふんと鼻を鳴らして女は机の上に腰掛けた。

 短い、というかそもそもズボンと合わせるようなシャツのため、際どい位置からの太ももがにょきっと伸びている。

 日に焼けた様子も無いその太ももだけで、女が普段はきちんとした衣服を身に纏っている事は解った。

 もしくは普段からあまり外出をしないのか、のどちらかだ。


「はい、そうですね」


 もう突っ込むことすら諦めて、少女はそう答えた。




 何故か毎日のように、術式を学びに来る少女。

 その彼女に対して、女はあくまで日常で使える術式を選別して教えていた。

 当然のようにその隣で同じように講義を聞く少年は、どうやら才能が無いようで炎一つ灯す事は出来ない。


「今日もありがとうございます、お姉さん」

「構わないよ、あたしも良い暇潰しになるしね。

 それに折角才能があるなら、生かさないと無駄ってもんだ。

 そうだろう?」


 欠伸をしながら、そう答える女。

 少女は口元に微笑を浮かべながら、頭を下げる。

 そんな少女に寄り添う少年は、軽く口を尖らせながら二人の会話に口を挟んだ。


「才能がない、無能だーなんて毎日言われる俺の気持ちにもなってみろ」

「だって本当にお前は才能が無い。

 いくらあたしが天才だからといって、無能の人間に術式は教えられないよ」

「うるせぇ!

 俺には剣があるから良いんだ、剣が!!」


 そう答えた少年は、部屋の片隅に置いてある一振りの剣を指差した。

 示された方向の壁に立てかけてあるその剣を一瞥して、女は嘲笑する。


「満足にも振れない、しかも無名の剣。

 お前の村はそんなおちこぼれを、騎士とも剣士とも呼ばない筈だよ?」


 ぐっ、と言葉を飲み込む少年。

 そんな少年を労わるように隣の少女は視線を向け、しかし何も言葉を発しない。

 女はそんな二人を見て、その後でぎゅうと少年を抱き締めた。


「しかし気にするな。

 まだまだおちこぼれで未熟なお前だが、こんな素晴らしい姉が居るのだ。

 それだけで完全大逆転ではないか? もっと喜べ、喜べ!」

「ぜんっぜん、嬉しくねぇよ!

 くそぉ離れろこの野郎!この野郎!!」

「残念ながらこんな豊満な肉体を持っている姉が、野郎な訳が無いだろう!

 えぇい、コレでもかコレでもか」

「やーめーろー!!」


 その胸で抱き潰さんばかりに抱き締める女と、逃れようと必死でもがく少年。

 二人を眺めて、溜まらず噴出す少女。

 そんな三人を、部屋の奥からぼーっと眺める男が居た。

 女が講義を行っている間中、ずっと奥の寝室で惰眠を貪っていた男は、取り合えず下着とズボンだけを履いてその輪に混じるのだった。



 何が良い、とは言えないものの、幸せがそこにあった。

 穏やかな日が続き、変わらないと思える幸せがそこにあった。


 ほんの一つのボタンの掛け違いから、脆く崩れる幸せが、そこにあった。


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