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ティアートロリアの謎  作者: えりせすと
第一章
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運命だって、変わるのだろう

まだ体が思うように動かせないのだろうか、ぎこちない笑顔のジークルト。

ずっと寝ていたのだから、顔は見慣れたが――彼の顔に僅かでも表情がある事にとても安心する。


こうしてみると、少し体調を崩しただけの元気そうな青年に見える。

あくまでそう見えるだけで実際ジークルトの背中はまだ完治しない傷がいくつもある。

寝たまま起き上がらない時期に彼の体を拭くレオノーラを手伝った事があるが、基本的に彼の体には無数の古傷があった。

そこに新たに増えた術式の傷跡が、はっきりと残っていた。

背中で凭れると、傷にさわるのではないだろうか。

そう思うものの特に表情を苦痛に歪める事もないジークルトを見て、気遣う時期(タイミング)を逃してしう。


更に彼が壁に凭れてしまったことによって、手に触れていた髪の感触も一緒に遠ざかってしまった。

ほんの少しだけ不満気に口を尖らせてからフィアナは彼の寝ていたベッドに勢い良く座り込む。

沈み込む勢いの反動で、彼女の体が僅かに浮いた。


衝撃に対して驚いた表情を見せたジークルトであったが、すぐに元の表情に戻る。

その彼の上に圧し掛かるような感じでフィアナは顔を寄せた。

肌の色、目の輝き、そして体内源素に至るまでを確認してから。

やっと安堵の溜息を漏らす。


「私の調子は今、少し良くなったわ」

「それは何よりだ」

「ジークルトも大分顔色が良いわね。

傷自体はまだ完全に塞がっていないようだけれど、流血はしなくなったし……でも無茶はしないで、いつ傷口が開くか解らないの」

「傷はそういえば背中だったな。

長いことゆっくりしていたせいか、どこに傷を受けたか忘れてしまったな」


それは、嘘。


相当に深い傷跡だった、あの傷がたった数日で傷の箇所が解らなくなる程に痛まない訳がない。

フィアナが気にしないように、という彼の気遣いを心に留めながら、他愛無い会話を続けた。


「かなり長い間、眠っていたのだから。

とてもお腹が空いているんじゃないかしら?」

「そうだなぁ……今なら何でも食べられそうだな。

この前レオノーラが出してきた、物凄く辛い料理とかな。

今ならあれすらも、掻っ込むように食べられるかも知れない」

「あら、そんなに辛いの?

辛口料理愛好家としては、聞き逃せないわね」

「やめておけ、あれは人間の食べるものではない」


憮然とした顔で、そう言い切られた。

そう聞くと食べたくなるのが人情と言うものではないだろうか。

そのうちに、レオノーラにリクエストしようと強く決意したフィアナだった。


そんな何事もない、会話のやり取り。

確かに動き自体はそこまで滑らかではないものの倒れて目覚めなかった時の顔色に比べると、普段通りに近い位には元通りに見える。

おそらく少しずつ慣らしながら活動を始めれば、直ぐに問題なく動けるようになるだろう。


(本当に……本当に良かった)


流れた血とともに失われていた体内源素も、殆ど前と変わらない位に戻ったらしい。

本人の回復力なのか、数日に渡ってフィアナが調整を行っていたか、それとも――


そんなフィアナの胸中など気にもとめず。

ジークルトは指先から腕、首や肩や腰、と徐々に負荷を掛けていく。

起き上がった時こそぎこちなかった動きだが、もう殆ど数日前の倒れる前程に動けるようになってきたようだ。


次に彼は反動でベッドから立ち上がると、そのまま小さく跳躍した。

着地の時点で少しよろめいたが、二度目の跳躍では問題なく着地する。


「あまり無理はしないでね。

ずっと寝続けていたから体力自体は有り余っている可能性もあるけれど、怪我はまだ完治していないの。

下手に動いてせっかく塞がった背中の傷が開いても、知らないわよ」


心配して声をかけても、ひらひらと手を振られただけ。

そもそもが普段から冒険などでいろいろな危険に晒されている人間は、予測不能な危機などにも強いのだろうか。

そう考えると、フィアナは己自身の非常時での対応に穴だらけな事に臍をかむ。

実際に彼女はそうそう危険に足を踏み入れる事もなかったし、当然と言えば当然なのだが。

しかし今回はジークルトがいなければ、彼女だけでは何の対応も出来なかったと、そう考える。


最初から、ユノはそれを予測していたのではないだろうか。

だから『帰れ』と、『辛い』から『この場所から離れた方が良い』と言ったのだ。

フィアナが応じない事も解った上で『自分の身は守れ』と忠告もした。


その全てを拒絶し拒否したのは、全てフィアナのした事だ。

それでも少女は彼女を守ろうと、ジークルトをその場に連れて行っていた。

もともとは彼こそ無関係の人間であったはずだが、その彼を連れていったのはユノなりにフィアナを守ろうとした事だった。


あの後、紋章術式で開いた扉をくぐって宿まで帰ってきた。

出迎えてくれたレオノーラは、突然三人が現れた事よりもジークルトの深い多くの傷に驚き、それでも宿の従業員らしい対応を見せてくれた。

ジークルトを包み込むような術式を編み、緑の源素を注ぎ術式を稼動させて彼をベッドへ無事横たえる。

これ以上フィアナが出来ることなど何もなく、気休め程度の白の術式とレオノーラが行う手当ての手伝い位しか行えない。


そんなフィアナに、いつもどおりの"紅"の瞳に戻ったユノがそっと触れる。

いつの間にか手放していたフィアナの洋傘を持って差し出しながら、言った。


「彼は、術式師ではないけれど。

術式を纏う事が出来る人間、だから。

そして運命はまだ、流れを止めていない」


それだけ言うと、少女はフィアナから離れてジークルトの側で彼の様子を見ていた。


たまにユノの言葉は意味が分からず、困惑する。

けれど何か、大切なことを伝えようとしているのは解った。

差し出された洋傘を受け取って、空へ向けて開いてからくるくると回す。


運命とは繋がっているもの、なのだそうだ。

だから今おきた事には意味があり、そしてそれが次の運命へと繋がっていく。


この世はこう、傘のようにくるくると回っているのかも知れない。

それとももしかしたら、決められた劇のように全ての筋書きが決まっているのかも知れない。


実際がどうなっているのかは、フィアナには解らないけれど。



そういった会話を思い出しながら、なんだかトレーニングを始めたジークルトは放置して部屋の窓から空を見上げた。

人形(マリアーネ)の瞳のように鮮やかで美しい、紅の月を見つめながら思う。

もし運命が、あの紅の月のように変わらずにある場所にとどまり続けるものだったとしても。

その周りには、同じく鮮やかに輝く金色の月と空一杯の星がある。

ひょっとしたらふとした瞬間に、紅の月も金色の月と共に沈む事があるかも知れない。


今、当たり前だと思っている事が、本当に変わらずにそう在り続ける事だと言う保障など、どこにも無いのだ。


運命だって、変わるのだろう。

何か些細なきっかけ、例えるなら夜空の星一つで、月の軌道が変わるなんて事があるのかも知れない。


今は未だ読み解く事が出来ない術式でも。

諦めさえしなければ、何か些細なきっかけで読み解くことが出来るはずだ、とそう思う。

きっかけは本当に、些細なことのはずなのだ。

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