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ティアートロリアの謎  作者: えりせすと
第一章
64/139

どうにもならない、どうにもできない

 どうしよう。


 意識を失って、青白い顔色の頬をどれほど強くはっても、ジークルトは目を覚まさなかった。

 血を流しすぎたのだろう、身体は冷たくなりぴくりとも動かない。


 どうしよう、どうしよう。


 その気持ちは言葉にもならない。

 どうにもならない、どうにもできない。

 フィアナに出来る事は辛うじて、皮膚に対して修復の活性化を行い傷口を塞ぐ事だけ。

 失った血液を戻せる訳でもまた治癒で何事もなかった様に癒すことも出来ない。


 禁術とも言われる時間退行の術式でも扱えば彼の肉体自体の時間を巻き戻し、傷を負う前まで退行することができるかも知れないが。

 あの術式は成功するのが極々難しい上に、六色全ての術式を放つまで体内源素も周囲の源素も使用した今のフィアナでは無理だろう。

 実際にフィアナも倒れこんでしまいそうなくらいに精神が疲労疲弊してはいるのだが、もし彼女すらも倒れてしまえば確実にジークルトは二度と目覚める事はない。

 それ程までに今の彼の状態は悪く、そして僅かな時間でも確実に彼を死の淵へ追いやる。


 早急に彼を街へ運ぶ必要があるだろう。

 街に運んだところで、彼自信を回復する手立てがなければ結果は同じであるのだが、それでも。


 辺りの源素を確認する。

 ほぼ全ての源素を集めて放った一撃は、きちんと人形へ命中させる事が出来た。

 生憎彼女の位置からは、それが僅かにジークルトの左腕を掠ったのは確認出来ていない。




 戦いの最中、源素を視る事ができるフィアナが見ていた世界は、色に塗れていた。

 ユノの姿をしたイズシェラリスが持つ体内源素は、六色全てに塗り潰されている状態だった。

 本来は有り得ないその姿に、フィアナは全身を握りつぶされるような圧迫感を感じ、恐怖した。


 全身の肌が泡立ち、総毛立つ。

 鳥肌と、歯の震えが止まらなかった。


 今までに感じたことのない感覚に、フィアナは怯え悲しみそして笑んだ。

 自分がどのような表情をしているかなんて解らなかった、だから笑んだ。

 もう笑うしかなかった、それ以外の事は考えたくなかった。

 声を出す訳でもなく、表情だけは笑みを模っていた。


 でも、身体はそれ以外にも反応を返した。

 ジークルトの手を掴んだら、とても温かかった。

 じんわりと手のひらからぬくもりが伝わってきて、思わず涙がこぼれた。


 一度こぼれた涙は止め処なく流れ、笑いも涙も自分では止めることができなかった。

 身体は冷たく震えているというのに、どうしてそうなったのかも理解が及ばなかった。


 けれど、思う。

 ジークルトが今此処に、居てくれて良かった。



 彼に託した短剣を、まさかこんな形で使うことになるとは思ってもみなかった。

 あの短剣はどちらかと言えば、フィアナの刻んだ紋章術式による彼の位置探索(サーチャー)に渡したものだった。

 ユノが所有している転移の紋章術式が刻まれた家紋と同じように、万が一の緊急時を想定して彼に託した。


 実は彼には伝えていなかったが、あの短剣には刃先は存在しない。

 柄だけ、という訳はなく、抜刀する事によって術式による六色の刃が具現化するように紋様術式を刻んだ術式具だ。

 刃の発動には一定距離にフィアナが存在する必要があり、且つ刃の具現化にはフィアナの体内源素を必要とする。

 その為長時間の発動はほぼ不可能ではあるが、現世にあるどの金属でも再現できない強度と高度と濃度を誇る。


 本来は、彼女を人形たらしめている核となる術式を、破壊する予定だった。


 けれど実際に術式を発動する段階で、現在のフィアナの力量では無理だということがこれ以上ない程に痛感してしまった。

 深い深い闇、深い深い海、そんなところに小さな刃を突き立てても、一切なんの反応も得られないだろう。

 それほどまでに遥かなるものに、才能があるとはいえ一介の存在であるフィアナだけの術式では到底太刀打ちできない。


 あの人形を作り上げたのは、同じく一介の術式師であるユンゲニールであるはずなのに。

 源素容量(キャパシティ)だけなら、ユンゲニールよりも遥かにフィアナの方が大きいはずなのに。


 今までフィアナは簡単に考えすぎていたのかもしれない。

 実際何かに立ち向かう場合、必要以上に相手の情報を集めて対策を練らなければならないのだが、彼女は己の源素容量を過信しすぎていた。

 人形の体に深々と突き立った、その中継媒体となった術式具の刃から、やっとフィアナは相手の情報を得る事ができた。


 その上で、彼女の今の実力では核の破壊までは至らないと判断した。


 だから、白の精神干渉にて人形の核と器、その二つの中継を一時的に切断した。

 源素蓄積器であった人形ではあるが、その小さな体に全てを詰め込むことなど出来よう筈もない。

 恐らく蓄積器部分は他にあり、人形の器自体とを核が連結しているのだと推測し、白の術式でその一点だけを狙った。


 結果的に切断は成功し、一時でも核の動作を抑えることが出来た。


 そして、あの時。

 最後に見えた女の姿――


 今なら解る。

 あれは、本来のユノの姿だったのだろう。

 ユノの姿は曾祖母であるイズシェラリスの幼い時分にそっくりだと、聞いてはいた。

 彼女の身体自体が成長しないということを知ってはいたものの、成長した姿を想像した事などなかった。

 その年相応に成長した場合のユノの姿が、突然目の前に現れたので、誤解しても仕方のない事だっただろう。


 けれど、依然ユノの体の所有権はまだ彼女に戻っていなかった。

 身体の自由を奪うための六つの儀式具が、まだ発動状態を保っていたから。


 何かを感付いたジークルトが最後に行動を起こさなければ、実際にユノにはもう二度とあえなかったのではないだろうか。

 ユンゲニールが生み出したイズシェラリスが言っていたように、唯の器として生き続ける事になったのだと、思う。



 最後に彼が刃をつきたてたのは、生前に曾祖母が居たという修道院に残された黒い手帳。

 黒の源素を有したその手帳は、ジークルトの短剣によってその本体に深々と刺し傷を残していた。


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