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ティアートロリアの謎  作者: えりせすと
第一章
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寝言は寝て言いなさい、冗談は顔だけにして

 穏やかな風が、頬を撫でる。

 窓から外の街並みを見ながら、うとうととまどろんでいたようだ。

 頭を起こし、ほんのりと朱に染まるその頬を指先でなぞる。


 枕にしていた腕につけている装飾の跡が残ってしまっていて、少し慌てる。

 ごしごしと少しだけ強めに擦ってから、諦めて再び腕に頭を沈めた。


 遠くから何かの呼び声が聞こえるが、聞かなかった事にした。

 否、聞かなかった事にしたい……だから、窓際の彼女に対する呼び掛けも聞こえないふりをする。


 見つかる前に発見出来ていれば、窓際なんかにいないで室内に引っ込んだのに。

 そう考えながら頬を膨らませてから勢い良く息を吐き出す。

 プシューとそんな音が鳴るが、気にせずに頭を起こして両手でうにうにと頬を揉んだ。


 呼び声は未だに続いており、恐らくそろそろ応対しなければここまで来るのではないだろうか。

 その事態は出来れば招きたくはない上に、厄介ごとに発展すると目も当てられない。

 何かを諦めて、腰掛けていた椅子から立ち上がって手櫛で簡単に髪を整える。


「……よし」


 小さく己自身に気合を入れながら、入り口の扉に向かって歩き出す。

 取っ手へ手をかけて、扉を開きながら――一度だけ、室内を振り返る。


 変わらぬ光景、そういつもと変わらないその光景を少し淋しく見遣りながら、小さく声を掛ける。


「また、後でね」


 呟きとも言えるその一言は、風に乗って届いたのだろうか……。



 なるべく音を立てないように体を扉の隙間から滑り込ませ、そっと扉を閉じる。

 木と木が擦れ合う僅かな音、扉の金具が小さな金属音を発するが、この程度ならば問題ないだろう。

 木造の建物の為に扉から離れる時の足音にも気を遣いながら、階段から階下へと降りる。


 そこには最近の恒例となりつつある来訪者が待っていた。


「遅いよ、フィノリアーナ!」


 机の上で小さな拳を握り締めて、鮮やかな金髪を揺らす少年は相変わらず満面の笑みだった。

 その隣に座る少女は、相変わらずの無表情。

 二人ともが笑顔であれば単純に、一人を慕って遊びに来ているようにも見えなくはないのだが。


 少年の後ろにそっと佇むのは、薄い赤茶の髪を相変わらず見惚れる程にきっちりと真珠色のシニョンで一つに纏めているメイド。

 そしてにっこりと微笑みながら此方に歩み寄ってくる、同じように髪を後ろで纏めている女。

 無造作に結ぶ焦茶の髪が揺れる。


「いつもお疲れ様です」

「労いありがとう、でも特に何をしている訳でもないから。

 それよりも貴女こそありがとう、余り歓迎したくない――いえ、大切なお客様の対応を」

「容易い事でございますよ、フィノリアーナ嬢」


 うっかりと口を滑らせてしまった。

 僅かに皮肉をにじませてやろうと思ったが、笑顔を向けられては……何ともはや。

 憂鬱な気持ちを隠しもせずにそっと、二人の少年少女が座っている机の椅子に腰掛ける。


「で、また来たの?」

「そんな淋しいこと言っちゃってー!

 フィノリアーナだって僕に会えないと、淋しい癖にー?」

「何時私がそんな事言ったの。

 寝言は寝て言いなさい、冗談は顔だけにして」

「僕の顔って冗談なの?」

「いいえ、とてもお美しくて素敵な御尊顔でございますよ。

 あまりに眉目秀麗な為に、フィノリアーナ嬢は照れておられるのでしょう」

「そっかー!

 恥ずかしがらなくても良いんだよ、フィノリアーナ?」

「取り敢えずレオンハルトをよいしょするのはやめて下さる?

 シャルロッテ……判っててやっているでしょう、貴女」


 相変わらず微笑を絶やさないシャルロッテは、変わらずレオンハルトの傍に控えている。

 やれやれとあからさまに溜息をついてみるものの――残念ながらこの場の誰も、フィアナの心情を慮る者はいないだろう。


「……フィアナ」


 嗚呼、一人だけ居た。

 とは言っても個人的には彼女にこそは、考慮されたくはないと思いつつ。


「身体の調子はどうかしら?」


 両手で机に置かれたカップを持ちながら頷くユノ。

 ふんわりと果実の甘い香りが漂ってくる。

 あの中身は香葉茶(フレーバーティー)だろうか。

 そんな事を考えていると、そっと背後からフィアナの目の前にもカップが差し置かれた。


「ありがとう、レオノーラ」

「どうぞごゆるりとお寛ぎ下さい」


 恐らく先程レオンハルトとやり取りをしていた時だろう。

 ユノが飲んでいるらしいあれはとても甘い香りがするが、今差し出されたものはさっぱりとした柑橘系の匂いがする。

 レオンハルトが飲んでいるものは……何あれ、牛乳?

 そういえば先日、フィアナよりも背が低いのはともかくユノよりも低い事を気にしてか、毎日大量の牛乳を飲むと宣言していた事を思い出す。

 それで牛乳なのか……暖めた牛乳に蜂蜜を加えているらしい。

 三つの飲み物の香りが混ざって、でも悪くない香りになっている。


 カップの取っ手を摘んで一口、喉を潤す。

 いつも通りの光景だ。

 そう、いつも通り……。


 一瞬だけ表情に影を落としてから、それでもフィアナは微笑んで見せた。

 レオンハルトが彼女の泊まっている宿に尋ねてくる目的はただ一つだ。

 術式を学び、強くなり、そしてフィアナを娶ると彼は宣言した。

 しかし術式を学ぶ師となったフィアナから学んだもので強くなっても……一切フィアナは興味を持てないのだが、そこはどう考えているのやら。

 もう既に諦めて、取り敢えず今日の術学の授業について思いを馳せるフィアナだった。



 ――相変わらず、ジークルトは目を覚まさない。


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