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ティアートロリアの謎  作者: えりせすと
第一章
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最後に叶えたい望みがあった

 人形(マリアーネ)は何も言わない。

 けれど辺りに漂う空気は、確実に変化した。


 不快ではないのに重く圧し掛かるような重圧感。

 悲しくも無いのに身体が震えるような焦燥感。

 込み上げる愛しさと共に衝動的に逃走したくなるような違和感。


 思わず少し後ずさり、後ろにいるジークルトにぶつかった。

 触れた背中に感じる僅かな温もりに身を委ねる様に、フィアナは動く事が出来なくなる。

 そんな彼女の両肩を支えて、何も言わずに男も人形を見ていた。


 蒼い瞳の人形は、二度程瞬きをすると。

 薄い桃色の唇を笑みの形に動かして、そして赤い舌で小さくぺろりとその唇を湿らせた。

 そんな人形の一挙一動から目を離せず、じっとその動きを見つめ続けるフィアナ。

 背中を支えてくれる男がいなかったならば直ぐにでもこの場所から立ち去っていたかも知れない。


 恐ろしい訳では決してないのだ。


 見た目は変わらずユノのままであるし、彼女からの敵意も一切感じない。

 だが明らかに彼女の存在はこの場所にそぐわず――否、最早この世界自体に対しての違和感を放つ。

 重なり合って交じり合って隣り合っているが確かに別々の存在と認識できるこの世界と源素世界。

 本来なら別個の存在であるその二つの世界が、まるで一体化してしまったかのような。

 強烈な違和感が目の前の人形自体から発せられておりそれでも喉の奥から存在を欲求してしまうくらいの自己の矛盾。


 そこまで考えて、理屈ではなく感情で何と無く理解する。


 目前の不思議であるがとても幻想的で喉から手が出るほどの溢れ出る渇望。

 それこそが今の自分が感じている、感覚の全てなのかも知れない。

 彼女からの負荷など何も無く、それでもフィアナ自身が感じている己の負の部分。

 ある意味でとても罪深いその人形は、唐突にその表情を綻ばせた。


「そう怯えないで、可愛いフィノリアーナ」


 大輪の花が咲き誇るかのような、敵意も警戒心も瞬時に失せる様なそんな笑顔。

 全身を電流が走る感覚が流れてぶるりと震える。

 その後に甘く痺れる感覚が染み渡り、思考を一瞬奪い取る。


 そんなフィアナの胸中を知ってかしらずか、目の前の――彼女は、歌うように言葉を紡いだ。


「貴女にも……この子にも。

 大きな悲しみと苦労をかけてしまいました」


 少女がまだ膨らみすら乏しい己の胸元に、華奢で繊細な両手を添える。


「けれどどうしても、私は最後に叶えたい望みがあったのです」


 その胸元がほんのりと光る。

 しかし瞬きをする程の一瞬に、光は霧散していた。

 笑顔に僅かに翳りが見え、かと思えば次にはまた蒲公英のような素朴な温かい微笑に変わる。


 ころころと表情を変えて、少女は続ける。


「もう既に立ち去った世界、未練がないと言えば嘘にはなりますが。

 ユノにはとても感謝しています。

 言葉では言い表せないくらいに、言い尽くせない程の沢山の感謝を」


 冷たい氷の一滴が、心臓に垂らされたかの様だ。


 この人は、あれだ。

 もしかしたら本人が一番理解しているのかも知れないが。


 この少女の感情は、源素に乗って他者へと直接的(ダイレクト)に伝わる。

 加えて彼女は世の中をとても愛しているらしく負の感情は殆どない。

 ……けれど時たま彼女自身の悲しみが針の先程度の小さな傷として現れる。

 皮膚を針先で僅かに突いた時に、ぴりっと痺れる痛みと一滴の血雫が流れるような形で。


 ふと理解した。


 この人のこの様子を見て、思ったのではないだろうか――曾祖父であるユンゲニールは。

 とても愛しいと感じて、是非我が手中にと欲したのではないだろうか。

 ころころと表情と感情が変わり、露ほどの敵意も向けてこない、この世界の源素の塊のような、そんな女性を。


 それは彼の術式への大きな渇望から生まれた、どす黒い欲求だったのか。

 それとも心を温めてくれる彼女への、愛らしく愛おしいという愛情だったのか。


「最後の望みとは――何ですか」


 無理矢理に身体に意識を集中させて、肩口におかれた無骨な手に自分の片手を重ねて、問い掛ける。

 フィアナはどうしても俯き気味となる己に喝を入れながら顔を上げ、正面から人形(マリアーネ)を見据えた。


人形(マリアーネ)の身体に入ってまで何を成し得たいとおっしゃるのですか、――おばあ様」


 本能では認めたくないと願う。

 けれども目の前にあるのは現実で、だから受け入れなければならないのだろう。


 術式を発動させる為の条件に、術式陣や術韻や術詞なんかではない、大切なものがある。

 どれだけその現象を強く願いそして今のこの現実世界に想像を創造として具現化させようと思う意思があるかどうか。


 本来ならば既にこの世から退場した魂であったとしても、その想いがあれば反魂も可能なのか。

 ――そんな有り得ない現象を受け入れるなんて到底出来やしないが。

 しかし実際に今目の前の人形(マリアーネ)を依り代として、別の人格がその身体を支配しているではないか。


 術式は万能ではない。

 それでもその万能とは一体何から何をさすのだろうか。

 源素世界からこの現実世界に現象を具現させる事が、既に万能と言えなくもないのではないか。


「私の望みはただ一つ」


 そんなフィアナの感情など何処吹く風で、人形の口は止まらない。

 ふと良く見ると、小さな体躯が僅かに震えているのを感じる。

 自らの体を抱き締める様にして、そして小さく人形は囁いた。


「ユングにあいたい」


 びくっと、背後にいるジークルトが震えたのを感じた。

 重ねた手に力をこめると、少しの逡巡の後に掌を返して此方の手を握ってきた。

 何だろう、と振り払う事はせずにそのままされるがままにしておく。


「その為にユノに協力して貰いました」

「協力……だって?」

「そう、協力です。

 何故なら私は既に此処から立ち去った存在ですから」


 彼女の言葉を拾って、問い掛けるジークルト。

 そんな男にも一切動じる事なく、人形は笑う。


「私が生まれ育ったこの街で。

 私とユングの繋がりを全て、一所に集めて貰いました」


 未だ僅かに空中を漂っている六つの品々を目の端で確認して、乾いた喉に無理矢理唾液を流し込む。

 ごくり、と喉を鳴らして――舌先で唇を湿らせてから、言葉を紡ごうと努力する。


「一方的な要求過ぎる。

 あんたの言う協力で、ユノが危険な目に合っても構わないと言うのか?」


 そんなフィアナの努力も虚しく、少し鋭い声が飛んだ。

 ジークルトが後ろから、強く人形に問い質している。


 耳元が近いのだからそんなに大きな声を出さないで欲しい。

 反射的に抗議しようとしたが、そんな気も失せる程に。

 彼の声を聞いて、強張った身体が弛緩したのを感じた。


「最初に出会った時は、街中で全裸だった」


 ――何だか不思議だなぁ、胸中に炎が灯ったかのようだ。


幼女趣味(ロリコン)

「違うから!!」


 ぼそっと呟いた筈なのに、しっかりと言葉を拾われてしまった。


「次に会った時は、大きな術式に臆する事なく立ち向かっていた」


(それって私の事じゃない……危険物ですか、もぅ)


 なんだか緊張感が抜けていく。

 話がわからないなりに対応してくれようとしているのか、それともこれが彼の素なのか。

 真偽を図りかねるものの特に口を挟むことなく、ジークルトの話に耳を傾けた。


「品々を集める過程では、術式師の襲撃すらあった」


 唐突に初耳の情報を得た。

 でも状況を瞬時に把握する。

 こんな偏狭の街にわざわざ術式師が長居する事もない。

 もしそんな術式師が存在していたとしたら、それは何か他に目的があっての事だろう。


 ――アレッサのような。


 何故こうもあの男はいたるところに現れては神経を逆撫でしていくのだろうか。

 いらいらを隠そうともせずに、そのままジークルトの手を強く握る事で発散しようと試みる。

 爪を立ててぎゅっと握り締めて。


「――ッ?!」


 何だよ急に、と言わんばかりに驚愕の表情をするジークルトを見て、ほんの少し溜飲が下がった。

 完全に八つ当たりではあるのだが、まぁ寛大な心で許してもらおう。


「そ、そんな色々な自体が発生しているのに、あんたはユノに何をしたんだよ」

「私がユノに対して、何かをしなければならないと言うのでしょうか」


 きょとんと瞬きを繰り返す、少女。


「そもそもユノ自体が、ユングが私の魂を閉じ込めて置く為の器でしかないはずです」


 は?


 呆れた様な吐き捨てる様な思わず漏れ出た様な。

 そんな声が耳元で聞こえた。


 否、それは誰の声だったのか。

 もしかしたら聞こえたのは耳元ではなくて、己の口から漏れ出た声だったかも知れない。


「器……」


 此方の呟きに対して、不思議そうに小首を傾げている人形。

 僅かにその表情に、言い表せない様な負の影が差し入るのを感じた。

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