捕らえられて処刑される可能性もある
唐突に。
目の前に、男が現れた。
「――ッ?!」
反射的に術式陣を組み上げて源素を流し、術韻さえ唱えれば発動出来る、という段階で。
相手から漂う雰囲気というか何かに対して少しの安堵を感じる自分に気付いた。
と、言うよりも。
正直先程まで話していた少女がこの場所にいる時点で、彼がいてもなんの不思議でも無かった。
そう考えて、敢えて半眼で相手を見詰めてやる。
「何をしているのかしら、ジークルト」
問い掛けると、彼は一瞬その表情に迷いを見せて、それから小さく口を開いた。
僅かな声音で、あっ……と驚愕を漏らしたのを聞き逃さず、顔を寄せてやる。
反射的に顔を背けようとする彼の顎を掴んで真正面に固定させて、更に顔を近付ける。
「はぁい、フィノリアーナさんですよー!
お元気かしら?」
「よ、よぅフィアナ。俺は元気だぜ!」
顔を固定された為逃げる事が出来ない彼の前に、もう片方の手をひらひらと振ってやる。
何かを色々と諦めたかのような顔で、ジークルトはそう返してきた。
「それは大変宜しゅうございました。
と言うより、貴方達はこんな所で一体何をしているのよ?」
呆れた感情を隠しもせずに話し掛けると、何かを諦めた様な表情でジークルトは答えた。
「なんか、図書館の地下を通ってきたら、辿り着いた」
ふざけているのだろうか。
思わず顎を掴んだ手にぎりぎりと力を入れる。
「いてぇ、いてぇ!
嘘じゃねぇよ、本当なんだって本当なの!」
大の大人が、駄々っ子のように小声で騒ぎながらじたばたしている。
何だか可笑しくなってしまって、噴出してしまった。
笑いを治めようとしたのだが、どうにも面白さが勝ってしまい彼の顎を開放してから両手で口元を押さえる。
「笑わせないで頂戴、全くもぅ……」
一頻り笑い終えてから、はたと気付く。
こんな所で暢気に笑っている場合ではなかった。
彼女は現在レオンハルトとナタリーと共に術式の習得を目的とした学習中である。
必要な書物が地下の書庫にあると聞いて、単身で書物を探しに来たのだった。
そんな最中、なんと書庫にある机にて家捜しに精を出すユノを発見した。
今ジークルトにしているのと同じ質問を投げかけてみたものの、彼女は結局答えはしない。
「それよりも本当にどうしてこんな所に。
此処は、リーヴスラシル家のロイジウス侯爵のお館よ?
うっかり迷い込む事なんて不可能だと思うのだけど、どうしてその館の書庫に貴方達が居るの?」
侯爵家に無断で侵入するとか、一体何を考えているのだろうか。
下手すると捕らえられて処刑される可能性もあると思うのだが、そこまで考えが及ばなかったとも思えない。
フィアナが考えるよりも彼は賢く、聡明だ。
それだけ様々な経験を積んで来たのだろうとは思うが、彼女の周りにいる彼と同年代の人間と比べると特出しているようにも思う。
やはり貴族社会だけであるとか、商隊などにしか関わりが無いと、経験の量も少なく学習もおろそかになってしまうのだろうか。
全てが等しく勉学に励める環境が整っていれば、このような差も埋まるのではないのか。
何と無くそう考えてみるものの、まだまだ未熟であるフィアナにはその方法も手段も思い付かない。
やれやれ、と胸中で肩を竦めるに止めて置き、本来の目的を達するべく本棚の書物を調べながら会話を続けた。
「良く解らん、最初は図書館にいたんだ。
けれどその後にユノが隠し扉を見つけて、地下水路を歩いた。
そしたら最終地点に扉があって、その中に入ったら此処に到着したんだよ」
地下に転移の紋様術式でも刻んであったのだろうか?
とすれば、此方側にも同じ紋様術式が刻んでなければならない。
術韻を踏んで発現する術式の場合は、転移を行うには現在地と到着目的地との距離を零にすることによって、目的の物を移動させる事が出来る。
亜流としては一旦体内の源素や構成要素全てを最小単位までに落とし込み、源素世界の流れに乗せて到着目的地にて再構築する方法もある。
前者は途中に障害物があると難易度が著しく上がり、道中の障害物を消滅させて進む事に成りかねない。
対して後者の亜流の方法の場合は、到着目的地どころか源素世界に分解された構成要素全てが一所に集まっていないと、再度実体化した時に欠損部位が発生するという事もある。
基本的には便利さよりも術式の難易度、また危険度が高いために殆ど使われる事は無い。
精々片手の指よりも少ない程度ではないだろうか、実際に実用段階で使用している術式師は。
残念ながらフィアナもまだ使用する事が難しく、普段は移動には術式具である靴か緑の術式による高速移動のみだ。
対して紋様術式を刻んだ上での転移に関しては、少し難易度が下がる。
ようは入り口と出口がきちんと固定されて居れば良いので、それぞれに対応する場所に同じ紋様術式を刻んでおけばそれで事足りる。
完全に術式を扱う才能のないものには扉が見えないようにはなっているのだが、その紋様術式のどこかに利用者として名前が刻まれている存在なら扉を開ける事が可能な為、既に開けられた扉に共に侵入する事によって一般の人間でも同じように転移を行うことが出来る。
実はユノとフィアナは共にドラシィル家の家紋を所持しているが、それとは別にドラシィル家の門に使われている転移用紋様術式の家紋も所有していた。
本来は曾祖父の家へ向かう時に移動が面倒だからと言った理由で、曾祖父の家とフィアナの生家を繋ぐ門に掛けられていた物だ。
しかしその片方をユノが持って逃亡し、フィアナは己の家にかけてあった紋様術式を持って家を飛び出した。
その為に相手のいる位置を、転移用の家紋で定める事が出来る。
本来なら扉に刻んだり、扉の近くに設置しておく事によって安定して空間をゆがめるためのものであるので、常に双方が移動している現在の状況ではそうそう容易く転移に使う事は出来ない。
ただ双方の位置が一定箇所に固定されていた場合、己自身の周りの空間をゆがめる事によって入り口を開き相手側の出口へ出る事ができる様になっている。
まぁ、数日前に街の外から街全体を覆う大きな術式陣を構築し、源素を流してユノをおびき出した際に、ジークルトがついてきて驚いた事もあるが。
恐らく彼は脇目も振らずにユノと一定の距離を保って彼女を追いかけたのだろう、だから歪められた空間に取り残されること無く出口に辿り着くことが出来た。
少しでも遅れていたり空間に足を取られていたら、恐らく二度と現実の世界には戻って来れなかっただろうとは思うが……まぁ問題なかったし良いのだろう、きっと。
実際に本人が聞いたら絶望と共に激怒しそうな事を平然と考えてから、フィアナはまじまじとユノを確認する。
しかし、図書館の次はリーヴスラシル家の書庫か。
此処で一体彼女が何を探しているのかは気になる所だが、取り敢えずユノはまだ此方に情報を伝える気はないようだった。
であれば彼女に構っていてもフィアナが求める情報は伝わってくる事はなく、相手をしていても意味が無いと判断して。
「入ってくる事が出来たのなら、恐らく退散についてもユノが周知しているでしょう。
なら可能な限り静かに、見つからない様に立ち去りなさい」
ユノは何も答えない。
ただただ探し物に没頭している。
対してジークルトは、辺りを見渡してからそっとフィアナの耳元に唇を寄せて囁く。
「そうしたいのは山々なんだけどさ……」
何か問題でもあるのだろうか。
ユノが探しているものが見つかれば、用は終わると思うのだが。
「此処ってどの辺りになるんだ?」




