文字って苦手なんだよなぁ
少女の傍には、大量の書物が積み上げられていた。
黙々と読書に勤しむそんな様子を見て、何と無く取ってきた書物を開いてみる。
良く解らない文字がつらつらと記されている。
ジークルトはそっと、書物を閉じた。
「俺、文字って苦手なんだよなぁ……」
誰かに言い訳するかのようにそっと呟いてみる。
それから周りを見渡してみて、誰も此方に注目していない事実を受け入れつつ、溜息を吐いた。
しかし、図書館ねぇ。
一人ならば絶対に立ち寄らないような建物だ。
そもそもこの街に住み着いてもう二十年近く経つものの、来たのも初めてだった。
お陰でユノを案内するのに、態々地図を見ながら到達しなければならなかった。
「ユノは何を探しているんだろうな」
少し離れた位置から、彼女を観察する。
積み上げられていた書物も粗方読み終わったのか、逆の机に更にうず高く積み上げられていた。
……あれ、一人で返すのか。
呼んでいる間に片付けてやりたい気持ちはあるのだが、どこから集めてきた書物かが判断出来ない為に不可能だった。
彼女が片付ける時に持ってやる、位しかどうにも出来そうに無かった。
ぼーっと眺めている内に、どうにも眠気が襲ってくる。
文字を見ると眠くなるし、この図書館の静けさ、更に漂ってくる羊皮紙とインクの匂いなどがジークルトを包み込む。
普段は訪れない様な空間という事も手伝って、ついうとうととしてしまった。
唐突に耳の奥に地響きの様な音が聞こえた。
少し転寝してしまっていたようだ、はっと顔を上げる。
ユノがいない。
焦って周りを見渡して見ると、本棚の重なり合った奥に蹲っている白銀の頭が見えた。
そっと近寄ると、ある本棚の傍にユノが蹲っている。
気分でも悪くなったのかと顔を覗き込むと、何か真剣な表情で本棚のある部分を見ていた。
無言で見詰めている彼女の、その目線を追うものの一体何を見ているのか判別が付かない。
少女の顔とその見ているらしき辺りを交互に確認していると、ふとユノが言葉を漏らした。
「ジークルト、周りに人はいる?」
言われるままに周りを確認した。
見えるところに人は居らず、更にジークルトが感知できる範囲にも人の気配は無かった。
そう伝えると、ユノは神妙な表情のまま本棚の中の、書物に指を掛ける。
図書館には、羊皮紙を紐で纏めただけの書物もあれば、きちんと背表紙を作った物も並べられていた。
ユノが指を掛けた書物は背表紙もきちんと装丁された書物だった。
取り出すのかと思いきや、彼女はそのまますっとその書物を奥に押し込んだ。
先程転寝していた時に、耳の奥に響いた音が再度聞こえる。
ユノの目の前にある本棚が、ゆっくりと横にずれ動いていた。
その駆動音が、正に先程の音の正体だった様だ。
「何だ、これ?」
「どうやら隠し扉らしい。
先程うっかり動かしてしまって、焦った」
全く動じないような口ぶりでそういうユノ。
確かに、彼女の言うようにこの本棚は隠し扉の様だった。
音で図書館の司書が見に来るのではないかと思ったが、後ろを見て驚く。
何時の間にか、後ろの本棚が出口を塞いでいた。
転寝していた時は成る程、ユノは少し動かして確認だけをしたのだろう。
もしかしたらきちんと最後まで動かしてしまったら、こうなることを理解していたのではないだろうか。
だから途中でジークルトを呼んで、彼も一緒に行動出来るようにした。
確かに急にユノがいなくなったら、ジークルトはその辺りを名前を呼びながら探しただろう。
その場合は誰かがこの隠し扉を見つけてしまった可能性が非常に高い。
「どうやらこの先は、階段になっているみたい」
そう言いながらユノは、壁に手を当てて先へ進もうとした。
その手を掴んで止め、此方を見つめ返す彼女に向かってジークルトは首を横に振った。
「暗いし何があるか解らない。
俺が先に行っても構わないか?」
紅玉の瞳がじっと見てくる。
本棚が動いたことによって光源が失われた所為か、周りは暗くて物の区別すら付かない。
けれどそんな空間ですら、ユノの双眸は鮮やかな赤に輝いていた。
見詰められて、数秒。
こっくりと頷くユノの頭を軽く撫でてから、ジークルトは隠し通路へ目をやった。
確かに階段になっていて、そのまま地下へ入っていくようだ。
隠し扉があった本棚の場所は、図書館の角側だった。
もしかしたらこの図書館が建設される際に、既にこの隠し通路は作られていたのかも知れない。
生憎は近くには窓もなかったので確認出来なかったが。
一段一段階段を下っていくと、辺りにジークルトとユノ二人分の靴音が響く。
段々と気温が下がっていくようにも感じられたので、上着を脱いでユノに渡した。
ユノは不思議そうにその上着を弄くっていたが、着るようにと仕草を見せると大人しく上着を羽織った。
それを確認してから、更に先へ進む。
ある程度階段を下ると少し開けた場所に出た。
「此処は……」
周りを確認するが、薄暗い通路が続いているだけだ。
水が流れている事を見ると、下水道なのだろうか?
異臭はしないが空気は冷たくそして静かだ。
「地下通路。
このまま真っ直ぐと先へ進む」
先を指差してそう言うユノ。
その指先を見詰め、先を見やる。
誘導されるままに歩みを進めて、暫く道なりに進んだ。
特に会話も無く、二人して道を歩く。
明かりも殆ど無いが所々に光源が設置されており、完全に暗闇ではなかった。
整備をする人間でもいるのだろうか。
この肌寒いのは恐らく流れる水の所為だ。
ふと背筋を伝う冷たい汗。
じんわりと広がる、妙な悪寒。
そして否定出来ないほど唐突に現れた、腕に走る鳥肌。
――鳥肌?
ふと先を確認する、と同時に後ろのユノを抱きかかえるようにして地面に倒れこんだ。
合わせて背後から襲い掛かる冷気、それと氷の塊がいく粒も背中に当たる。
頭を庇い忘れた為に後ろ側頭部にも塊が当たり一瞬脳が揺さぶられる。
吐き気を堪えながらもユノに怪我が無い事を確認し、背後を振り返る。
「あれぇ、お嬢さんはいないんですかぁ?」
ねっとりとした、という表現が似合う声が辺りに響き渡った。




