だからこれって嘘なんだよね?
「基本的な赤と青の術式をお教えしました」
少し上目遣いで此方の様子を伺うように返答してくる。
頬に少しだけ浮いたそばかすが、可愛らしい。
「『眼』えていないというのに、どうやってお教えしたの?」
しかし術式師の指導者としては宜しくない。
青はともかく習い立ての初心者に、赤の術式とは。
しかも彼は源素を見る事が出来ていない。
術韻だけをそのまま暗記させている危険があるため、フィアナは少しきつめに問い掛ける。
「私も『眼』はありません」
なんともはや。
思わず天を仰ぎ見てしまった。
指導者も眼を所有していないと、言った。
それでどのように術式を指導し、そして危険を回避すると言うのか。
「その代わり、『眼』の代わりとなる術式具を所有しております」
「眼鏡があると言うの?」
ロイジウスが既に同室にいないため、つい口調が砕けてしまう。
レオンハルトの前なのが少し問題ではあるが、血族だし、年下だし、そしてもしかすると指導相手になるかも知れない。
多少ざっくんばらに会話していても、許されるだろう――と、甘えてみる。
そうでも思わなければやってられない。
「はい、私の兄が術式具現師ですので」
思わず立ち上がり歩み寄って、ナタリーの両肩を掴んでしまった。
「術式具現師? ちょっと詳しく聞かせて頂戴。
どの程度の具現師なの?」
具現師という職業がある。
これは、目に見えないものや感じられないものを実体化、つまり世界に具現させるという職業だ。
練成師と似てはいるのだが、必ずしも物質的な対価を必要とはしない。
そして頭に術式とつくと、この場合必要とされる対価は基本的に源素が該当する。
本来は視えない源素を物質に込める、または付与するというものである。
まぁ術式師でありながら剣術も扱える者などは、己の武器に源素を付与して炎などを具現化するという事も行う。
しかし術式師と術式具現師の圧倒的な違いと言えば、術式具現師の作成した術式具は、基本的に使用者を選ばない。
付与と言うよりは譲与に近い、物質に対して源素を永続的に持続させ効果を発揮させる事が出来る。
例えば先程ナタリーが言った、眼鏡。
術式具現師が作成する眼鏡とはつまり、『眼』がない者でも源素を視る事が出来るもの、が基本になる。
「わ、私では兄の腕前なんて、解りません!」
ガクガク揺さぶっていたようで、涙目になりながらナタリーは答えた。
思わず謝ってから、肩を掴んでいた手を離す。
怯えた様に此方を見ていたナタリーだが、意を決したのかスカートの前ポケットから眼鏡を一つ取り出した。
「これが兄の生成した眼鏡になります」
恐る恐る差し出してくる、その怯えが一体どこから来ているものなのか、フィアナにはさっぱり解らない。
しかし問題は彼女の怯えでも何でもないので、差し出された術式具である眼鏡を受け取ってから観察した。
術式具かそうでないかを見極めるには、物質を確認すれば良い。
よっぽど優秀で稀な術式具現師であれば物質に痕跡などは残さないのだが、術式具現師の腕前次第では物質側に色が残る。
赤の源素を具現化したのであれば、薄い赤が。
青の源素を具現化したのであれば、薄い青が。
眼鏡の場合は術式が実際に作動するのは硝子の部分なので、眼鏡の硝子部分を見ると腕前の程が解る。
受け取った眼鏡の硝子部分はほんのりと黒かった。
そっと眼鏡の硝子部分を覗いて見ると、空気中の四源素をはっきりと確認する事が出来る。
更に目を凝らしてみると、僅かにではあるが、白と黒の二源素も一応確認する事が出来た。
眼鏡から顔を離して、今度は自分の『眼』を発動させる。
先程見えた場所と同じところに、六源素を確認する事が出来た。
白と黒の源素まで見る事が出来るとは、それなりに優秀な術式師の様だ。
何故なら自分が見えていない源素を、術式具に込める事は絶対に不可能だから。
という事はこの術式具現師は、『四源素ははっきりと見えて白と黒は僅かに見ることが出来る』程度の具現の腕前となる。
勿論あくまで具現化の腕前であるので、生成が苦手であった場合は出来上がった術式具に如実に現れるのだが。
この生成部分が苦手なフィアナは臍を噛んだ。
言っても仕方ない事ではあるのだが、様はセンスや技能がないと術式具現師にはなれない、という事だ。
残念ながら少し、いやかなり、不器用に分類されるフィアナは練成や生成がとても苦手だった。
代わりに記憶力や想像力が豊かだったせいか術式師としてはかなり優秀な部類には入るのだが。
「良く解ったわ、ありがとう」
ナタリーに眼鏡を渡す。
とても大切そうに彼女は再びスカートの前ポケットに仕舞い込んだ。
「眼鏡はそれ一つだけ?」
「はい、術式具はとても高価ですし、その……あまり多くを生成する事は出来ず……」
「勿論そうでしょうね。
と言う事は、レオンハルトに眼鏡を渡して貴方は視ずに指導していたのね」
「その通り、です。
恥ずかしいお話ではあるのですが」
良くその様な状態で冒険者をできていたものだ。
思わず胸中で揶揄するが、ふと気付いた。
眼がなくても術式は発動できるのだし、もしかしたら盗賊が宝箱などの罠を確認するように、術式を確認する時だけ使用していたのかも知れない。
フィアナ自身は完全な術式師の為に武術などは不得手、というより戦闘出来るほど動くことは出来ないのだが。
もしナタリーが武術に長けており術式はあくまで補助、として割り切って使うのであれば、特に眼は必要ないのかも知れない。
先天的に所有していなかった場合、後天的に『眼』を習得にはこなさなければならない項目が幾つかある。
使用頻度が少ないのであれば、あえて習得しないという道があるのかも。
(私にはとても無理だけど)
現実の世界と、源素世界を切り替える必要などないのならば、目には優しそうで良いかも知れない。
と、皮肉めいた笑みを浮かべてみた。
「えぇと、フィノリアーナ嬢?」
そんなフィアナに対して、おどおどとナタリーが話し掛けて来た。
「それで、レオンハルト様の御指導は如何すれば」
完全に忘れていた。
個人的には永久に忘れてしまって、可能ならナタリーの兄についてもっと詳細を聞きながらお茶でもしたいと思うのだが。
冷や汗を書きながらレオンハルトを伺うと――
上着の裾をぎゅっと握り締めたまま、涙の浮かんだ双眸を伏せて、うつむいたまま何かを堪えている少年の姿がそこにあった。
(もぅ、そんなの反則じゃない……)
心が締め付けられるようだ。
別に子供が好きとか嫌いとかはないし、どちらかと言えば苦手かなと思わないでも無いが。
興味のある術式について勉強を始めた頃に。
自宅へ尋ねて来た血族の術式師に決闘を挑むが素気無く断られ。
更に父は退室し部屋に残った己の師と術式師は完全に自分を無視して話をしている。
久しぶりの印象ではもしや我が儘に育ったのか、と思ったものだが。
根は素直で、そして一生懸命なのだろう。
そんな少年を悲しませてしまった事に対して、フィアナは反射的に罪悪感を感じてしまった。
隣では何故かナタリーが無表情になっているのだが、彼女はそれに気付かない。
「あぁ、レオンハルト子爵。
大変申し訳ございません、つい話し込んでしまいまして。
決して忘れていた、という不遜な言動ではありませんので、どうぞお許し頂けませんか?」
少年の傍に再びしゃがみ込んで、つるりとした健康的な肌の頬へ手を伸ばす。
片手の親指ででも涙を拭って弾こうと何の気無しに手を伸ばしたのだった。
ぎゅ、っと少年が此方の手を両手で握り締めてきた。
あまりにさり気無く手を掴まれたので、反応が遅れた。
視界の真正面を埋め尽くす余りに大きく荒い術式陣。
――次いで紡がれる、術韻。
「リオ・ファンゲン」
……そういえば、ジークルトの手が凍ったのはどういう術式だったのだろう。
鞘のままの短剣と腕を凍らされてしまうなんて、間抜けよね。
だって普通は術韻が紡がれたら避けたら良いのだし、あいつだって色は解らずとも見えていたのなら反応は出来た筈でしょう。
そうそう身体を凍らされて、動きを封じられるなんてことは有り得ないわよね。
「だからこれって嘘なんだよね?」
思わずぽつりと呟いてしまった。
目の前で満面の笑みを浮かべて、踏ん反り返ろうとしているレオンハルトは、どうだと言わんばかりに。
「さぁ、決闘だよ!術式師フィノリアーナ!」
破天荒だ。
どこの術式師が、決闘を申し込む相手と自分の手を同時に凍らせると言うのだろう。
それも楽しそうに、嬉しそうに。
こんな馬鹿な事をするような子供に、必要最低限の技術だけを教えているなんて、恐ろしい。
術式とは正しい知識を持って初めて使用する事が出来るものであるはずだ。
刃物だってそう、敵と戦うための武具である剣はもとより、料理に使う包丁ですら使い方を学んで使う。
術式の勉強がしたいから、と言って無理矢理術式師に最低限だけの技術を学んで。
その危なげな術韻を平気で人に向かって零距離で放つ、とは。
これが自分だったから良かったものの、それ以外の――例えば彼の身近な友人などに。
こんな事をもし仕出かしたとしたら。
ふっと、ロイジウスの悲しそうな何かを堪えるような顔が、頭に浮かぶ。
「決闘がそんなにしたいの?」
胸中を火かき棒でぐっちょんぐっちょんに掻き回されたような気分で口を開く。
同時に赤の術式陣を展開し、無術詞で炎を創造する。
フィアナとレオンハルトの繋がっていた氷が内側から溶けて、床に水が滴る。
氷が完全に溶けたのを確認するや否や、フィアナはまだ掴んでいる少年の手を振り払って立ち上がった。
自分の手も、相手の手も。
咄嗟に動かした体内源素で保護していたので、凍傷とかそういったものにはなっていない。
ジークルトは少し凍傷気味になっていた様だがユノも近くにいたことだし、何とか成ったのだろう。
それよりも今はやらねば成らない事がある。
きっと自分よりも背の低い少年を睨み付け、口を開く。
どうしてだろう、こんなに自分の声は冷たかっただろうか、暗かっただろうか。
自分で聞いても気分が悪くなるような声音で、話し掛けた。
「術式を想像し創造出来た位で何を勘違いしたのやら。
お望み通りお相手して差し上げるわ。
生まれて初めて味わうだろう、優しさを教えて差し上げましょう」




