細かい事はいらないんだよー!
「所で、御転婆も良いとは思いますが。
フィノリアーナも来年で二十でしたね、そろそろ婿でも取らなければならぬ時期ではないですか?」
悪気無く――否、血族と関わる際には大抵、必ず言われる台詞を唐突に言われる。
思わず反射的に顔を歪めそうになったが、なんとか自制する。
そんなフィアナを見てくすりと笑うロイジウス。
「お父上様がおっしゃっていましたよ。
折角婚約者を決めて引き合わせようとしても、此処数年家に帰っても来ないと」
「そ、それはわたくしにも事情がありまして。
お父様はその様なことも、ロイジウス侯……いえ、おじ様へおっしゃるのですか?」
ちらりと此方を見るロイジウスの視線を感じて、途中で呼び名を変える。
小さい頃とは違い最早このような無礼な呼び名は抵抗があるのだが。
しかし同時に、何の確執も無いと思い込んでいた幼い自分を思い出して何とも言えない甘酸っぱい空気を感じる。
勿論許されない言動ではあるのだが、目上からの指示があれば従わざるを得ない。
まぁそんな物は体の良い言い訳で、やはり昔馴染みの相手に大して必要以上に畏まるのは息が詰まる。
念の為に公式の場へ出る時に着るような衣装を着てきたが、これもやはり慣れない。
「現時点で連絡を取る事の出来る、数少ない従兄弟ですからね。
季節の折々には社交場で会話を交わすことも少なくは無いのですよ」
含むような笑みを向けられて、背中に冷たいものが流れた。
此処四年、フィアナが家を飛び出してユノを追い掛けていた間もずっと、このロイジウスとフィアナの父は連絡を取っていたと言った。
つまりは何故フィアナがそのような事をしたのか、またその結果あの家が、あの辺り一体がどうなっているのかを知っているという事だ。
思わず身構えてしまうが、ロイジウスは笑みを崩さずに此方を見ている。
「婚約者の話よりも、私とイングワズの会話の方が気になるのですか?」
「その様な事はありませんわ。
勿論婚約者という、急なお話にもわたくしは大変驚いております」
「貴女も良くご存知の方だと聞きましたよ。
確か、グレネマイアー家の御子息だとか」
先程の衝撃の比では無かった。
胸に込み上げる物があって、勿論それは良いものではなくとてもどす黒くて汚いものだ。
心の奥底から湧き上がる暗い漆黒の感情に全身を支配されそうになって、それでもなんとか堪える。
アレッサだ。
あの男、父に言われて来ただけだと思っていたら、婚約者だって?
つまりフィアナの父は、家を飛び出して帰っても来ない娘を政略結婚の道具として使おうとした。
アレッサの生家であるグレネマイアー家は、あの一帯を取り仕切る貴族の家系でもあった。
末席とは言え王家の血筋でもある曾祖母、そして術式師として世界中にその名を轟かせた曾祖父。
その二人のお陰でドラシィル家はある意味で地位が上がったが、ただそれだけ。
結局は元々商人の家系のために、貴族との付き合いはそこまで多くなく商売相手とはなっていなかった。
祖父は己の父であるユンゲニールの作った術式具を少し縁のある貴族に大して販売していたようだが。
その術式具も、もう曾祖父は作ることが出来ないだろう。
すると父であるイングワズは祖父と同等の収益を得る為には『何を何処へ売れば良いのか』という話にもなる。
商隊相手と貴族相手では、得る収益が圧倒的に違うのだ。
最初はフィアナが術式を覚えたら、術式具でも作らせて――と画策していた様だった。
しかし生憎と、彼女は貴族へ売ることが出来るような術式具を作ることは無かった。
基本的に彼女が作成して扱う術式具は、己の術式を補助するようなもの。
体内源素を利用して術式に大して威力であるとか効果範囲、また現象を加速させる増幅器のようなものばかり作っていた。
その為最低でも術式師でないと扱う事が出来ず、またフィアナが学んだ術式語が古ソルシエ語だったという事も良くなかった。
時代で言えば、古ソルシエ語はユンゲニールが現役だった時に主流だった術式語だ。
術韻は長く術詞も面倒ではあるのだが、空気中の外的源素と体内源素の二種類を扱う事が出来た。
その為もし空気中に二種の源素しか存在しなかったとしても、体内源素の色が異なれば三種の色を扱える。
加えて術式陣の形成にも無駄がなく、より細やかで美しい術式陣を構築することも可能だ。
また紋様術式一つとっても、どれだけの月日が経過したとしても遜色無い術式を発動させる事も出来、効果や威力も衰えない。
対してウィセド語は、発見されてからたった三年で実用段階まで研究が進んだというのは快挙である。
勿論それには理由があり、基本的には空気中の外的源素しか扱う事が出来ない為に基本の四色が主流だ。
加えて術韻や術詞が短く覚えやすいのに比べて、術者の発想力がかなり重要になる。
想像した現象を途中で急に変更、改変する事が出来ない為に、不都合も多々存在する。
大きな特徴として、古ソルシエ語は術式師となるための素質が血となり体内に流れている必要があった。
つまりは、先祖に術式師がいるか、いないか。
正にその一点が重要視され、素質がないものには一切の術式を扱う事が出来なかった。
しかしウィセド語に関しては、先祖に術式師や素質のあるものが一切無かったとしても、問題なく術式を発動させる事が出来た。
双方の大きな違いは、強いてあげるとすれば源素の許容量であろう。
一般的な技量を持った古ソルシエ語の術者と、同じ技量のウィセド語の術者がいた場合。
単純に威力を見たとして、古ソルシエ語の術者の方が倍以上の威力を出す事が出来る。
勿論本人の想像や創造の能力にも左右されるので、そう差は付かないようにはなっているのだが。
術者の素質や技能までを必要とする術式具など、貴族に販売出来るわけが無い。
つまりその様な理由から、イングワズは娘の術式が己の商売にはなんの役にも立たないと気付いてしまったのだ。
ならば家にもおらず家業の役にも立たない娘など、どこかの家に嫁がせてしまえば良い。
そう考えられたとしても不思議は無かった。
あの時、話くらい聞いておくのだったな。
いまさら悔やんでも遅いのだが、それでもぐぅと喉を鳴らした。
「グレネマイアー家の御子息……ですか。
ええ、良く存じておりますわ。
あの方はどうも祖父や父の商才に興味があるとの事でして」
「成る程、それならば確かにドラシィル家となら良いご縁かも知れませんね」
最悪のご縁ですよ。
胸中で吐き棄てた。
アレッサ自体もそうであるが、あの男は色々と知り過ぎている。
あんなのと婚姻関係を結ぶなんて、たまったもんじゃないわ。
ロイジウスから笑い声が上がった。
何時の間にか俯いて思考に没頭していた様だ。
はっと気付いて顔を上げて、彼に向き合う。
「不満そうですね」
「不満だなんて、そんな。
お父様がそう仰るなら、わたくしには選択権はありません」
「それを不満と言わずしてなんと言うのです? フィノリアーナ」
正しく此方の感情を読まれ、顔から火が出る思いだ。
術式師は感情くらいきちんと制御出来ないといけないと言うのに。
どうにも心を揺さぶられる事に対する免疫が足りない。
「まぁ、術式師を夢とするフィノリアーナが、商売の家に甘んじる事は無いと私は知っていますよ」
拳を握り締めて言葉を選んでいたフィアナに対して、ロイジウスが言葉を投げ掛けてきた。
「そこで少し相談をしても良いですか、フィノリアーナ?」
「ええ、何用でしょうか?」
少し小首を傾げて、問い返す。
ロイジウスは少し思案した様子を見せた後に、続けた。
「フィノリアーナは覚えていないかも知れませんが。
私の息子が最近十歳になったんですよ」
「もうそんなに大きくなられたのですね、レオンハルト子爵」
「やんちゃで困りますよ。
そうそのレオンハルトがですね、最近術式の勉強を始めたのです」
「まぁ、術式ですか。
もしかして術式師の道を?」
そこまで問い掛けて、口を紡ぐ。
明らかにロイジウスは、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「既に術式師であるフィノリアーナを前にして言う事では在りませんが。
私としては、どうしても歓迎は出来ません。
しかしだからと言って、楽しそうに勉学に励むレオンハルトにやめろと言う訳にも」
はぁ、と少し大きく溜息を吐いてから続ける。
「そもそもどれほどの実力があれば安全で、そうでなければ危険なのかが私には判別がつかない」
「わたくしも術式師を名乗る身ですから、同業者が増える事は歓迎しますわ。
けれど少しの血を分け合った血族として進言させて頂くと、その――」
子の身を案じる父親の姿に対して、口篭りながらなんと返答しようかと考えながら言葉を紡いでいた所に。
「細かい事はいらないんだよー!」
どーんと、扉が大きな音を立てて開く。
思わず一瞬きょとんと、呆けた顔を晒してしまった。
ロイジウスの後ろの扉が開き、フィアナの胸元より僅かに低い身長の少年が室内へ駆け込んできた。
その後ろを心配そうに扉の向こうから眺める、メイドが二人。
え、何であの二人は止めないの、この子。
思考が追いつかない。
時の流れに流されるままに少年の動向を眺めるだけしか出来なかった。
太陽の光の様に鮮やかな金髪は、見事に父親譲りだろう。
肩より長めの髪を無造作に赤い紐で一つに纏めていた。
同じ濃緑の上着を羽織り、膝下までの薄黄色のズボンを吐いた少年。
瞳は上着と同じ深い緑で、縁取る睫毛は男の子にしては長い。
「お話の途中で邪魔をしないように、言っておいたでしょう?」
「だってお父様、全然僕の事話してくれないんだもん!」
「物事には順序と言う物があるのですよ、まだお前には早いですか?」
「順序を待っていたら日が暮れちゃうよ!」
側まで近寄って、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら父へ話し掛けるレオンハルト。
全くもう、と声を漏らすロイジウスはそれでも、愛しい我が子を慈しむ様な目で見ていた。
そんな光景に少しだけ心を痛ませながらもそっと見守るフィアナ。
すると、くるりと向きを変えて、レオンハルトが今度はフィアナへ向き直った。
最後に会ったのは、彼が五つくらいの時であっただろうか。
大きくなりましたね、と言おうとして口を開く。
が――
「術式師フィノリアーナ!僕と決闘だー!」
此方に指を突き付けて、びしりと言い放ったレオンハルト。
思わず今回最大の硬直をしながらも、フィアナはこう胸中で独り言ちる。
(人を指差してはいけません)
その言葉はとてもじゃないけれど、口に上らせる事は出来なかった。




