色がない、何の色も見えないぞ
ジークルトの頭を掴んで、ぐいっと横に向ける。
手に伝わる鈍い痛みの振動は、感じず気付かなかった事にしておく。
蛙が潰された様な漏れ聞こえる声も、聞こえない聞こえない。
「じゃあ、ユノを視て」
言われるままに、ジークルトがユノを視たのが解った。
「……なんだ、あれ」
呆然とした声が聞こえた。
何度も瞬きをして確認しているのが解る。
「何も見えない。
色がない、何の色も見えないぞ」
呻く様にそう繰り返すジークルトの背中を軽く叩く。
「そう、人形には体内源素は存在しない。
源素崩壊球と言っても良いかも知れないわね。
何の色もないの、ユノは」
思わずそう吐き棄ててから少女を伺う。
フィアナが明確に彼女を拒絶したのは、彼女の体内の異質を確認してからだった。
基本的にあまり他人の体内源素を意識することはない。
けれどある時――恐らく新しい術式の開発をしようとしていた筈だ、その時にふとユノを視た。
自分の身長がユノを追い越して、少しした頃だった様に思う。
体内源素が身体の成長を阻害する、または促進することもあるという話を聞いた頃だったので、気になったのだ。
初めて視た時は、フィアナ自身が未熟なのかと思った。
未熟でユノをきちんと視ることが出来ないのかと、そう考えた。
けれどそうではなかった。
実際に曽祖父に尋ねた時に、そう答えを貰った。
「だから、彼女は術式を消すことが出来る。
術式陣や発動時に触れることによって、その術式に使用される源素を体内に吸収することが出来るの」
「それで消えた術式はどこに?」
「どうなっているのかは全く解らないわ。
説明出来るのなら説明して欲しいくらいよ、ユノ?」
問い掛けるが、首をふるふると横に振られて拒否された。
思わず反射的に溜息を吐き出す。
ユノが顔を背けたので、奥歯を噛み締めた。
「無理そうね、解ったわ。
取り敢えずそんな感じで、ユノの体内源素は確認することが出来ない。
……こんなことは異例よ。
本来人間であるならば、必ず体内源素は存在する。
存在しないのは死人だけよ」
言い方がきつかったのだろうか。
ユノは完全に顔を背けてしまって表情が見えない。
言い過ぎただろうか――僅かに心が痛むが、瞳を閉じて心を静める。
落ち着かない。
まぁこんな事くらいで今までのわだかまりが無に帰すなんて事はないのだから、当然か。
納得できない気持ちを押し殺すくらい、今のフィアナにはどうということもない。
「ということで、術式師が眼で見る世界はこんな感じよ。
で、貴方が見えているのは靄なのね?」
「ああ、俺にはこんな色がはっきりは見えない。
もやもやっとしたものがあるようには、見える」
回答を聞いたので、彼から離れて術式を解除した。
「ふぅん……。
因みに、貴方が纏っているその紫は?」
「紫?」
くるりと此方を振り返ってとぼけた表情をされた。
その顔が何と無く腹立たしくて、反射的に手元にあった枕をぶつける。
あっさりと受け止められてしまった。
「貴方の周りには紫の源素が見える。
……体術系を身に着けている人はその色を纏うらしい事が最近判明したと聞いたわ。
と言っても、私が聞いたのはある街の酒屋で、だけどね」
そこで、にこにこと笑みを絶やさないレオノーラに問い掛ける。
「もしかして貴女は、聞いたことがあるのかしら」
笑みを崩さずに彼女は応えた。
「お客様のお話を盗み聞きするような、そんな躾の成っていない店員に見えますか?」
「そうね、悪かったわレオノーラ。
取り敢えずそういう新しい七色目、が発見されたという話があるの。
貴方の纏う源素は正にそれだわ」
「と言われても……俺には見えないしなぁ」
困ったように頭を掻く、ジークルト。
そんな彼を見ながら思考を廻らせる。
結局当人には確認、または自覚されていない色のようだ。
と言う事はつまりそこまでの脅威ではないという事に他ならない。
術式師からすれば、体術を見につけているものが新しい源素を使役出来るというのは脅威であるのだが。
本来は遠距離からのイニシアチブも術式師が取得できたことだし、近距離であっても相手に気取られぬように術式を展開することが出来た。
その術式自体を感知され、更に色までも知覚されてしまった場合に術式師の負担はとても大きい。
そのようなことがない、とわかっただけでも収穫か。
そう独り言ちてから、ふっと視線をユノへ向けた。
彼女は未だに此方を見ようとしない。
ふと思い出す。
先程アレッサが現れる前、修道院にて修道女と話をしている時に、新しい情報を得た。
元々この街の修道院を訪れた理由は、曾祖母が幼少の頃を過ごしたからという理由だ。
王族の末端でもあったフィアナの曾祖母は幼少から成人とされる十五までを修道女にて過ごした。
その最中に曽祖父であるユンゲニールに見初められ、二十になる前に娶られたと聞いた。
なので、もしかしたら……フィアナが求めているものがあるのでは、という思いからだ。
しかし求めるものはなかった。
ついぞ最近までは大切に保管されていたと言われているものだったはずなのに、存在しなかった。
不思議に思っていたのだが、もしかしたら。
「ユノ。
もしかして貴女、あの修道院に出向いたの?」
ぴくりと少女のか細い肩が震えたのが解った。
言葉を続ける。
「ひょっとして貴女、あそこで保管されていたものを盗んだ?」
ユノが此方を向いた。
その紅玉の瞳は濡れていて、潤んだ目線を投げ掛けて来る。




