腕が一本無くなったとしても困らないもの
実は、まだジークルトの右腕は凍ったままだった。
短剣を構えようとしてアレッサに凍らされたものだ。
術式で発動した現象は二種類ある。
通常の世界での現象と、源素世界での現象だ。
術式で生み出された炎は必ずしも酸素を消費して燃える訳ではない。
何故なら炎は酸素を消費して燃え上がるが、源素世界での炎は赤の源素を引き付けて燃える。
その為、術式によって源素世界にて創造された炎は、水中でも生み出す事が出来る。
勿論通常の世界での具現化にも繋がるので、水中の酸素などを消費もするのだが。
――ただし最早、源素世界で炎を生み出す技術は……廃れた技術だった。
現在生まれ続けている術式師の大半が、通常の世界での炎しか生み出せない。
何故かと言うと、とても単純な回答を得られるだろう――つまり。
古ソルシエ語によって正しく術韻を紡がれた術式でないと、源素世界での創造を行う事が出来ない。
簡単な事だった。
わざわざ源素世界での炎を生み出す必要性が殆ど無かった為だ。
術式で炎を生み出すのなら、その用途は『何かを燃やす』為だろう。
先程水中でも炎を生み出せるという話をしたが、単純に水中で光源が必要ならば、白の光を生み出せば済む。
態々術韻を踏み古ソルシエ語の術詞を覚えて、源素世界での炎を生み出す必要性が無くなった。
だから、古ソルシエ語ではなく、使いやすい略式である新しいウィセド語が生まれた。
しかしフィアナが使うのは、古ソルシエ語だ。
古ソルシエ語で生み出された炎は、本質を源素世界と分け合っている。
その為、燃やすという現象は発生しても、炎として存在しているかは別の問題となる。
表面は焦げ一つないのに、中は黒焦げ…何てことも、有り得るのだ。
ところで何故、ジークルトの腕はまだ凍っているのかというと。
彼の腕は完全に、氷に閉じ込められていた。
その為に本人の腕も限り無く体温が下がり、熱を発しない。
腕も短剣も含めて凍っているために下手に砕くことも出来ず、また溶かすにしても生憎、其処までの火力を産み出す設備も施設も存在しない。
このままであれば凍傷の上、氷の中で腕は冷えて細胞が壊死し最後には腐り落ちるだろう。
それを防ぐ為に一旦馴染みの練成術師に依頼して、体温を限りなくまで低下させる薬品を調合して貰った。
……そんなものよりも術式の氷を一瞬で溶かせる様な薬品がある、と言われたが……氷に包まれた黄金すら纏めて一瞬で溶けたのを確認し、謹んで遠慮しておいた。
「何故ユノが消さないの?」
レオノーラが持って来た水でのどを潤しながら、フィアナは尋ねた。
「先程、私の術式を消したと言ったわね。
それならばジークルトのその氷も、ユノが溶かすことが出来るのではないのかし
ら?」
問われて、ユノは首を横に振った。
「術式としての結果へ介入出来る訳ではない。
残念ながら、対象外」
「ふぅん……? 思ったよりも、面倒なのね」
「だからフィアナに――」
「フィノリアーナ」
「そう、フィノリアーナにお願いしたい」
真っ直ぐにフィアナを見つめて、ユノが言葉を紡ぐ。
そんな二人を、緊張しながら返答を待つジークルト。
確かに彼はフィアナの返答次第では、別の手段を見つけなければならないので真剣だ。
一人にこにこと笑顔を浮かべているレオノーラが、少し異質に思える。
「でも私には関係ない事じゃない?」
少しだけ考えた素振りを見せつつも、そう返答した。
「別にジークルトの腕が一本無くなったとしても、私は困らないもの」
「いやそれは俺が困るんだけど」
「私、は。困らないのよね」
水を飲み干してからレオノーラへグラスを差し出す。
二歩近付いてからグラスを受け取り、三歩下がって様子を伺うレオノーラ。
やれやれと肩を竦めてから続ける。
「でも、そうね。
今回は迷惑を掛けてしまったようだし、とてもとても面倒くさいけれど……」
腕を伸ばして、ジークルトの凍った腕に触れる。
冷たい氷の感触と氷が解けかけている為しっとりと冷たい水が掌に付着する。
源素を見て見ると、青がみっしりと侵食していた。
「イース・ブローラ・ヘィヤラ」
術韻を唱えて、青の源素へ呼び掛ける。
氷の中の固まって絡み合う青の源素を、少しずつ解してばらして行く。
「リグトゥニン・グルート・コンギィフル・アォスキルラムール」
続けて黄の術詞を唱えると、氷の表面を小さな紫電が走り――
次の瞬間にはばしゃりと……水音を立てて、ジークルトの腕の氷は液体となり床へ落
ちた。
強く結び付いた青の源素となった氷に対して、黄の源素から分解のアプローチを掛
けた。
そのままでは結び付きが強く引き離す、または解き解す事が出来ないのだが、そこ
に黄の源素を介入させる事によって青の結束を緩める事が出来る。
緩んだ隙間に黄の源素から成り立つ雷を流してあげると、綺麗に青を分解する事が
出来るのだ。
術式を描き術韻を唱え術詞で発現する。
そういった流れだけが、術式ではない。
より高度な操作、また介入を行う事も術式師としての腕が必要となる。




