まるで小さな太陽のように
何が『頑張れ』、だ。
憤懣やるかたないその感情を隠そうともせずに、ジークルトは虚空を睨み付けた。
つまりこう言うことだ。
あの男は自分が受けた『この街を跡形もなく潰す』と言う依頼のために、フィアナを傷付けて暴走させ立ち去った。
結果、彼女が暴走するとこんな街など跡形もなく消えるから、命が惜しければとっとと逃げろ、と。
……随分舐められたものだ。
言われた通りに街を見捨てて逃げたとして、後に残るは苦い思い出だけ。
最早フィアナに合わせる顔もなくなり勿論ユノにも合わせる顔などあるわけがない。
そして荒れ果てた焼き野原となった辺りを見て、冷静さを取り戻したフィアナは何を思うのか――。
思い、迷い、悩み、考え、悟り、焦り、憂い、そしてまた。
そんな負の連鎖を思い浮かべてしまって、ジークルトは一度自分の頬を強く張った。
……痛い。
だが目は覚めた。
改めて彼女に向き直ると、先程からずっと術韻を唱えて居たのが解る。
そう、ずっと。
彼女を包み込む靄はとても濃く、表情を窺い知ることなどもう、出来ない。
どうする?
どうすれば落ち着くんだ?
自問自答にすら、成らない。
長く一人で生きていて、戦闘に関してはそこそこ対応も対処も出来ると思っていたのに。
もう声など、耳に届いても心には届かないだろう。
物理的に当て身をしようにも彼女の周りには既に、炎が、氷が、風が、雷が、光が、そして闇が。
靄と呼応するように渦巻いていて、近付けない。
アレッサは此れを知っていたのではないだろうか?
だから下らない話し掛けで此方を後手に回らせた。
話していた内容は……残念ながらあまり理解は、出来なかったが。
相変わらず、フィアナは笑っている。
しかし時々聞こえる呼気が、たまに泣き声のようにも聞こえた。
そう意識して聞いてしまうと、彼女の笑みの裏の声が聞こえてきてしまう様だ。
恐らくは――いや、ほぼ確実に。
彼女は泣いている、そして苦しんでいる。
成りたいと強く望むものを否定された。
何事も想いだけでは成す事は叶わないだろう。
だから努力し、だから行動し、そして時には挫折する。
それら全ては己が己を、思い考え動くから、受け入れられること。
一方的に誰かに否定される事は、辛く苦しい。
「フィアナ……」
そう小さく呟いて、彼女を見つめる。
様々な源素の渦に飲み込まれるような形で、か細い声を上げるフィアナ。
まるで小さな小さな幼子が、世の荒波に蹂躙される、そんな雰囲気。
しかし彼女には力があった。
風に乗って、フィアナの囁きが聞こえてくる。
「ロイエ」
囁く様に、泣き声に交えて術韻が流れて耳に届く。
「レイムル」
残念ながら、ジークルトには術韻の意味は解らない。
だから彼女が何をしようとしているのか、全く解らない。
「ヘエトミフレェ」
段々とフィアナを取り巻く靄の、周りを渦巻く炎が色を濃くしてきた。
先程アレッサと術式の応酬をしていた時に、口にしていた術韻だ。
記憶が違えていないならば恐らくこれは――
「マーランレグ」
豪、と音が鳴る。
フィアナの姿とその周りの靄の渦が、完全に炎に飲まれた。
炎の柱は彼女を中心として辺りに熱気を撒き散らす。
街中で、どう考えても街中でこれだけの術式が発動したら……。
本当にあの男が言っていた様に、この街は消し飛ぶのではないだろうか。
家も建物も壁も噴水も街灯も全て全て。
ゆっくりと、フィアナは、立ち上がった。
上体を起こし顎を上げて髪が後ろに流れる。
彼女の顔から髪が流れたお陰で表情を見ることが出来た。
「アースカ」
地面から熱風が舞い上がり、フィアナの髪をも持ち上げてはためく。
彼女の頭上、身の丈を二倍したよりも高い空中に両腕でも抱えられない程の炎球が、現れた。
辺りの空気を、酸素を食い尽くす勢いを以てして。
その炎球は大きさを増していった。
まるで小さな太陽のように。
赤い炎が集まり輝き、白く眩しく熱く燃える。
虚ろな瞳は何も写さず、紅い唇だけが彼女の意思ではないように術韻を紡ぐ。
一言一言口に上らせる度に更にフィアナの瞳がどんよりと濁る。
「ブレーナ」
術詞が、結ばれた。
妖艶にも見える仕草で彼女は両腕を掲げ。
ゆっくりと、その手を真下に下ろした。
その動きに呼応するように、炎球は彼女に重なる様に真下へ動く。
このまま炎球は彼女を頭上から包み込み、全身をなぞるように飲み込み、地面に吸い込まれるように――
そういった動きが予測できた。
炎球が地面の下まで潜り込んだら、きっとそう。
地中で炎球が大きく膨れ上がり地面が赤く彩られ、下から衝撃が競り上がってくる。
空気中で炎が燃えるのとはまた違う。
地中で碌に酸素もない状態から、土の中の水分や砂や全てを燃やして育つ炎。
地獄の業火にも近いその熱量は深く広く広がり、地面の中から辺りを包む。
いきなり足元が消える、そういった衝撃をどれだけの人間が理解できるのだろうか。
何も解らないまま、恐らくこの街と其処に住まう人間が、消える。
……何も、動けなかった。
臆した訳では無いつもりだった。
確かに術式師や術式は理解の範疇を超えていて、怖いとも思う。
でも、それでも。
誰かを守ろうと思ったら、自然と身体は動くものだと……そう、思っていた。
――何も、動けなかった。
そんなジークルトの視界の端に、白い輝きが入り込む。
白い輝きはそのままフィアナへ向かっていって、彼女を抱き締めた。
続け様に小さな身体で腕を精一杯伸ばして、そんな彼女の頭上にまで迫った炎球に触れようとする。
まだ炎球は空中にあった。
ジークルトは無意識の内に呼吸すら忘れて、そして心の中に創造していたようだ。
何故か鮮明に……炎球が地面に吸い込まれて地中にて爆発と共に炎を撒き散らす状況を、想像した。
そんな想像を打ち砕いてくれたのが、白い輝きだった。
それは震えるフィアナを抱き締めて支えてそして、頭上に迫った炎球に指先が触れた。
赤く輝き白い光を纏った太陽にも等しいそれは。
――音も無く、消滅した。




