時代遅れの術式師が
「ロイエ・レイムル・フォルセ・クライディア・アールモル」
フィアナが術詞を唱えた。
すると彼女の黒い衣服に紅色が射し、一瞬だけ身体を淡い光が包み込む。
光が収まった時、黒い生地だった筈の彼女の衣服が赤く燃え上がるように色が変化した。
それを見たアレッサが笑みを深くして、両手を広げた。
「威勢が良いのはとても素敵な事だと思いますよ、お嬢さん?」
頭を捕まれたままではあるが、ジークルトはアレッサの表情を伺った。
笑みが深くそして――フィアナを舐め切った表情。
先程の焦りは何だったのか? そんな事を考えながら彼を観察する。
「でもねぇ……」
片手で額を押さえ付けながら、あからさまに笑い声を上げた。
「まだそんな化石な術詞なんて使っているんですかぁ?」
完全にフィアナを馬鹿にした様子で、アレッサは片手をフィアナへ向けて突き出す。
その手の周りに靄が見えたが一瞬で掻き消え、彼は術詞を紡いだ。
「リオ・ランツェ」
アレッサの前に氷で出来た槍が出現し、そのまま真っ直ぐフィアナへ向かって突撃してくる。
彼女は避けようともせずに不動の姿勢で槍を迎え撃つ。
彼女の胸部へ槍が正に突き刺さらんとした時に、氷の槍が弾け飛ぶ様に砕け散る。
辺り一面に舞い散る氷の欠片が溶ける様に消滅した。
「相変わらず源素が強力ですねぇ。
ではこれは如何ですか?」
先程とは逆の手で腰から短剣を一本抜刀し、その短剣をフィアナへ向けて再度口を開く。
「グロム・シュヴェーアト」
アレッサの右手にある短剣の刃先が靄を纏いて黄色く輝く。
最早あれはただの短剣ではなくて、雷を纏った剣となっている。
剣先全体を紫電が包み込む様になっていて、恐らく範囲も少し拡張されているだろう。
それを確認して、フィアナは掴んでいたジークルトの頭を解放し、彼と距離を開ける。
一度靴底をカツンと鳴らしてから、アレッサを睨み付けて術韻を紡ぐ。
フィアナを包み込む靄が濃くなるがそのままの体勢で彼女は術詞を発した。
「ヴィンドゥ・グライエント・マール・ハーヌ・メルディダ」
辺りに一瞬霧が広がったかと思うと、風がジークルトの周りを包み込む。
思わず少し高い位置に立つフィアナへ視線を投げると、少しだけ淋しそうな悲しそうな顔をした彼女は、此方を一瞥した後に左手を真横に広げる。
ジークルトと距離を開けるように歩き出しながら、そのままゆっくりと目前のアレッサを指差して鋭く叫ぶ。
「ロイエ・レイムル・アルロゥ・ブレーナ」
彼女の周りに現れる、十数本の炎の矢。
矢は彼女を囲うように具現化し、直ぐに方向をアレッサへ向けた。
男を標的と確りと定めて、放たれる。
アレッサは表情に笑みを浮かべたまま、短剣を構えた。
「無駄だってことを、教えて差し上げないといけないみたいですねぇ」
強く踏み込んでフィアナの方へ駆け出す。
片手で握っていた短剣の柄を両手で握って少し左斜め下へ引き、彼目掛けて放たれた矢に対して下から右上へ斬り上げるように振り上げた。
愚直に真っ直ぐ彼を狙って放たれた矢は全て、紫電を纏った短剣に叩き斬られる。
「イース・ブローラ・スティルディラ・ヒンドラ」
少し焦ったようにフィアナが手を前に突き出すと、その掌に顔よりは少し大きい位の氷の盾が出現した。
同時、アレッサが短剣を突き出してその氷の盾に当たる。
――氷の盾が砕けた。
小さく呟いて目を見開くフィアナ。
そのまま身を守るかの様に身体の前で両腕を交差させた。
目の前で衝撃が発生したので、思わず反射的に顔の前へ腕を寄せてしまったのだろう。
男が、醜悪に笑む。
「オスク・ファンゲン」
術詞と同時にフィアナの足元から黒い影が上り、彼女の身体が震えた。
交差させた腕がそのままの状態で持ち上がってそのまま天へ伸びる。
身体を撓らせる様な体勢になった彼女は僅かに口を開く。
しかし、何か言葉を発する前にその口腔をアレッサは左手の平で押さえ付けるように掴んだ。
「勝負あり、ですかねぇ」
薄ら笑いを浮かべながら、それでも確りとフィアナとジークルトを交互に眺めながら続ける。
「自分以外の人間にまで気を遣っているから、そうなるんですよぉ?」
術式を発動していた術式師であるフィアナの集中が途切れたからか、ジークルトを守る様に展開されていた風の結界が霧散した。
合わせる様に彼女の衣服の色も、元の黒に戻る。
慌ててフィアナを助けようと近付くが、アレッサに睨まれて歩みを止める。
「ちょっと動かないで居てもらえますかぁ?
このお嬢さんと少しお話があるんですよねぇ」
「話……?
女の顔面鷲掴みしておいて、何の話があると言うんだ」
目線だけで様子を伺うと、フィアナは目を瞑っていやいやをするかの如く首を横に振っている。
痛いのか、苦しいのか……秀麗な眉が顰められ、表情は歪んでいた。
「顔見知りなんだろう? 勝負がついたのなら早く解放してやれ」
「何を愉快なことをおっしゃるんですかぁ?
勝負がついたからこそ、勝者と敗者をはっきりとさせておく必要があるでしょう」
「何だと……?」
「そもそも、貴方が居たからお嬢さんは全力を出せませんでしたよ」
言われて、気付いた。
今回彼女はどちらかと言えば、防御に重点を置いた術式しか唱えていなかった。
以前ユノに向けたようなあたり一面を炎の海と化すような術式を使えば、少なくとも今のように相手から無効化されるという事もなかったのではないだろうか?
街中だからという事もあるだろうが、一度ジークルトを守る術式を展開した事を考えると。
彼女は懸念したのだろう。
万が一強力な術式を展開して、ジークルトに少しでも被害が及ぶ事を。
それを意識するあまり、機動力を欠いて結果、アレッサに先手先手を取られた。
「そもそも、前線の知識を得られない状態で、良く。
古ソルシエ語なんていう死語、今使っているのはお嬢さんくらいのものですよ」
吐き捨てるように呟くと、フィアナがじたばたと暴れる。
合わせる様に未だ彼女の腕を捕縛している黒い影の拘束が少し、強まったように見える。
その様子を面白そうに見ている男は、からかう様に続けた。
「三年前に発見され実用化された、ウィセド語の方が術韻も覚えやすく術詞も短い。
実際に俺の術詞を聞いたでしょう、如何でしたかぁ?」
ぐぐっと、彼女を持ち上げるように腕を上へ上げていく。
身体が持ち上がることはなかったが、フィアナはつま先で立つ事を余儀なくされて、更に苦しそうだ。
そんな表情を愉しげに見詰めながら、アレッサは笑う。
「お前……」
流石にこれ以上は黙って見て居られない。
ジークルトがそう考えて走り寄ろうとした瞬間に、アレッサが言葉を発した。
「時代遅れの術式師が、魔女なんて目指して何になるっていうんでしょうねぇ」




