実際は損したのか得したのか
しかし一体どのような相手だったのやら。
一応彼はこの街で短くは無い時間を過ごしている筈だ。
フィアナには知らない知人も多いし、それなりに好かれてもいる。
そんなジークルトを態々狙う意味はあるのだろうか。
「街の人間だったの?」
「ふぉぇ?」
一言の断りも無く机に並べられた料理の一つ、鶏の照り焼きに遠慮なくかぶりついている彼の頭を、手にしたスプーンで容赦無く叩いてやる。
妙に爽快な音を立てて響き渡る金属音と手を伝う痺れに呆れつつ、言葉を紡ぐ。
「食前の祈りくらいきちんと捧げなさい、見っとも無いんだから」
「いてぇよ! いてぇから!!
容赦なくぼこすかするの止めてくれよ」
「きちんと礼儀を身に付けて貰わなくちゃね、私が恥ずかしいわ」
食器で人間を殴る事は礼儀知らずではないのかよ、とぼそぼそと呟いているものの、改めてスプーンを構えると黙した。
簡素ではあるが日用の糧への感謝を捧げたのを確認してから、改めて問い掛ける。
「貴方の大切な革袋を盗って行った相手に、心当たりはないの?」
ゆっくりと噛み締めるように問うと、両手で掴んだ鶏肉を咀嚼しながら考えるそぶりを見せた。
しかし僅かな時間を置いて、直ぐに首を左右に振る。
「生憎と、俺は記憶にない。
しかし大体冒険者や商人は二週間から半年前後ひとところに留まりその後移動するのが基本だ。
ひょっとしたら一ヶ月前の俺が寝込んでいる間に街へ来た来訪者の可能性も否めない。
その場合は俺が見覚えが無かったとしても、街の人間からすれば顔見知りになっている可能性も高い」
「だとしたら、お手上げかしら?」
「そうだな、そうかも知れない。
だがあの若葉のような若緑色の髪は、あまり見かけたことがないな。
もしかしたら意外なところから知っているという人間が出てくるかもしれない」
真剣に悩みだした彼の発言は、殆どフィアナの耳に届かなかった。
否、確かに彼の考察自体は耳に届いたのだが、最後の方を耳に留めて置く事が出来なかった。
(……若緑色の、髪の女?)
どういうことだろう。
その髪はついぞ最近見た事がある気がする。
しかし、あの娘の印象には合わない。
まさか彼女ではないだろう、とは思うのに。
それ以外の想像がつかないのはどうしてなのだろうか。
「ただどちらにしても」
息を吐く音で、思考を留める。
ジークルトは大きく溜息を吐いて、手にした骨を足元の桶へ投げ入れた。
「流石に今後取り戻したところで、中身がそのままとは限らんからな」
まぁそりゃ、そうだろう。
どこの物好きが、手にした貨幣をそのままおいておくものか。
可能なら適当に物資に変えてしまい、余ったものは何か形に残らぬ物へ変えるだろうな。
そのようなことはフィアナにだって解る。
「まぁ、今後は気をつける事ね」
そうとしか言えず、そうとしか思えず。
やれやれと言いながらも二本目の鶏へと手を伸ばすジークルトを見て。
(実際は損したのか得したのか、彼にとっては解ったものではないわね)
呆れた溜息を吐くしか出来ないフィアナだった。
そんな彼女を見詰めながらユノも、軽く息を吐く。
音に気付いてフィアナが視線を向けると、小さく頷かれた。
紅玉の瞳はじっと男を観察している。
その視線に気付かずにもくもくと食事を続けるジークルトはさておいて。
テーブルの下で、足先を使い器用にユノの足を突いて見た。
ふっと顔を此方へ向けるので、こっそりと口だけで問うて見る。
『心当たりは?』
何処で習得したのやら、読唇術でも使ったのか彼女は首を横に振った。
そして同じように口だけで何かをフィアナに問い掛けて来る。
二度、フィアナは答えるように頷いて、首を傾げた。
(ユノが……何言ってるのか解らないわ)
何と無く自分も読唇術、出来るかと思ってみたけれど。
習得していない特技は流石に実践では使えないようだった。
諦めて立ち上がり、向かいのユノの傍に歩み寄る。
そっと少女の耳元に口を寄せて、今度はきちんと発声して問い掛けてみた。
「ユノは、心当たりはあるかしら」
「無い」
端的な返答だった。
と言う事は、やはり『自分の方』だろうか。
きちんと確認を取るには、また再び彼と話をせねばなるまい。
今からその状況を考えるととても憂鬱な気分だが……うぅむ。
仕方ない、と大人しく納得できる程に大人ではないのだ。
嫌なものは嫌だ、できる事ならばやりたくない、と思う事は可笑しいとは思わない。
しかしまぁ、見知った相手が困っているのなら多少手を貸してやる必要はあるのだろうな。
ジークルトが語る彼女の髪色は若緑、珍しい色だ。
この街でそんな髪の色を見かけたのは――先月くらいか。
「仕方ないわねぇ」
小さく言葉を零すと少女が此方を見上げてきて首を傾げていた。
そんな彼女相手に此方も同じように首を傾げ――ついでに肩も竦めてから自席に戻る。
再びスプーンを手にとって、目の前におかれたスープに匙を沈めながらも頭の中で考えを張り巡らせる。
彼女は確か侍女としては暇を得た筈だ。
此処数週間は姿を見ることも無かったので、再び冒険者として街を出たのだと思っていた。
ひょっとして、また何か別の用事で舞い戻ってきたのだろうか。
それならば声を掛けに来てくれても良いだろうに、冷たいものだ。
そう考えながらも、一先ずは食事に専念するフィアナであった。




