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04_二日目の朝


 この屋敷に来てから初めての朝が来た。

 朝食のために、食卓の席に座る。

 公爵邸にふさわしい、豪奢だが品のいい調度品が部屋を飾っており、きっと十人近い家族でも食事ができるであろう長いテーブルに、彼とリナだけが座るのは寂しいものだ。


「体調はどうだ?」


 リナが座るなり、正面にいる彼が訊く。


「なんともないわ。おかげさまでよく眠れたわよ」


 昨日は病人扱いで寝室に放り込まれ、「少しでも体力を温存しろ」と夕食まで部屋に運んでくれた。

 寝る前にも様子を見に来てくれたので、かなり勇気を出して「一緒にくっついて寝てみる?」と言ってみれば、五秒ほど固まった後に、「高熱が!?」と叫ばれた。またすぐにでも医者を呼ばれそうな動揺っぷりだったので「冗談よ!」と誤魔化して寝室から追い出して寝た。


 そんな昨日は慌てふためいていた彼だが、今は涼しげな顔で、それこそリナに微塵も興味なさそうな顔で正面に座っている。


 給仕係が彼とリナの前に料理を置いていく。この屋敷の使用人たちが近くに来るたび、ガスマスク越しに、しゅこーしゅこー、と呼吸音がする。


(息苦しくないのかしら……)


 リナは防御魔法で自分を守っているのでガスマスクをせずに済んでいる。というかガスマスクで口を覆っていたら食事どころではない。


 彼とリナは黙々と朝食を摂り始めた。焼きたてのクロワッサンがおいしい。丹念に裏漉しされた豆のポタージュも、シェフのこだわりと心遣いを感じる。

 ――しかし、これが一応夫婦として初めての食事なのだが……何ひとつ会話がない。


「ねえ、エド。今日はどう過ごす予定?」

 質問すれば、彼がリナを見る。


「俺は執務室で書類仕事だ。それ以外は温室にいて、植物の手入れや毒の研究をしている。君は好きなように過ごしてくれ。ただし温室には入るなよ」


「わかっているわ」


 たぶん毒草がたくさんあるからだろう。

 ここは猛毒公爵の屋敷だ。不用意に出歩けば、毒魔法を浴びたり研究の邪魔をしかねない。代々毒魔法に詳しいこの屋敷では、人を助ける薬も多く生み出している。


「ああ、あと俺の部屋も危ない。……この屋敷は危険だらけだ。いつでも帰っていいからな。誰も君を責めはしない。俺との魔法研究などやらなくとも、君が弱いということにはならない」


「帰らないわよ!」


 せっかく三年ぶりに会ったというのに、彼はリナとの時間を惜しむ気もない。

 リナとしてはあわよくば彼との旧友を温め、そしてこの恋心に決着をつけたいというのに。


「ねぇ、覚えてる? 学園にいたとき――」

「リナミリヤ」


 冷たい声にどきりとする。


「俺は、昔の話をするつもりはない」


 はっきりと拒絶された。


 ずきりと胸が痛む。

 学園に居たときは、毎日のように裏庭で昼食を共にしたのに。互いの食べ物や本の好み、なんでも知っていた。

 ただ一緒にいられるだけで幸せだった。

 最後の日――たった一日で壊れるまでは。


「……まあ、私が邪魔なのはわかっているけれど、明日は一緒に出席するからね。準備しておいてちょうだい」

「何の話だ?」

「明日の五大選定公が集まる会議のことよ」


 彼の目が丸くなる。そしてすぐに、意地の悪い顔になった。


「ほう、俺の代わりに選定公会議に出ようというのか。抜かりないな。徐々に俺の立場を自分のものに置き換えていく作戦か。悪くないぞ。成功はしないがな」

「違うわよ! 私だけ行ってどうするの。あなたを出席させるために同行するって言ってるのよ」

「俺を?」


 怪訝そうな顔をされたので「当たり前でしょ!」と叫んでおく。


「あなた、ここ数年で毒魔法が強くなりすぎて、城での会議には全部代理人を送っているらしいじゃない。だから選定公になりたがってる貴族から『ふさわしくない』とか言われてひきずりおろされそうになってるのよ。出席できればあなたにケチをつける人もいなくなるでしょ? 私が防御魔法で――この天才の私の、史上最強の、S級防御魔法であなたを完璧にコーティングしてあげれば、他の人に毒魔法を撒き散らす心配もないでしょう? どう? やってみる価値はあるんじゃない?」


 リナはこれでもかというほど『最強』『完璧』を主張してみせた。安心と信頼がなければ、人を傷つけないために引きこもっている彼を連れ出すことはできないだろうと思ったからだ。

 彼はそれについては特に気にならなかったようだが、うまく言葉を呑み込めていない顔をしている。


「……君としても、選定公の席が空いた方がいいんじゃないか?」

「興味ないわよ」


 ふいっと顔をそむけると、彼がどこか機嫌よさそうにする。


「本当か? かなり無茶な日程でこの結婚を進めてきたから、てっきり代わりに会議に出たいのかと思ったぞ」

「まあ、うちの父はそれを期待していたでしょうけれど……そもそも、不健康でしょ。あなたがここ三年、ろくに人に会えていないなんて!」

「たまに客は来るぞ。ガスマスクをつけてもらうがな」


 だとしても、彼が自由に出かけられないのは、あまりにもひどい話だ。リナはこれをどうにかしたいと思っている。


 朝食を終えると、去ろうとする彼を呼び止めた。


「明日のために練習しましょう。まだ朝だけど今日の分の接触実験。あなたをコーティングするわ。……まあ、練習しなくても、完璧にできる自信はあるけどね。なにせ天才だから」

「随分と余裕そうだな。君の魔法の不調は、自分の鉄壁を解除できないというだけか?」

「ま、まあ、そうね」


 嘘である。単に無意識に『好きな人以外に触れられたくない』といろんな人を弾きまくっているので「強すぎて暴走しているのだな」とみんなに思われているだけだ。本当は乙女心で選り好みをしているなんて、絶対にバレてはいけない嘘である。


「さて、あなたに魔法をかけてみましょう」


 リナの魔法はすぐ近くにいる人にしか――触れられるほどの距離にいないと掛けられない。食卓の向こう側から彼のそばへ近寄っていくと、一瞬ぶわりと彼の毒魔法が強くなるのがわかった。しかし、すぐ触れられるほどの距離までいくと、ふっと彼の毒魔法が弱まったのを感じた。


(……ん?)


 おかしいな、とリナは彼を見上げる。彼は特に変化に気づいていなさそうだ。そういえば昨日も玄関ホールで出迎えてくれた時、最初は気を抜くと負けそうなほどの脅威だったのに、いざ接触実験として触れる距離まで近づくと、A級の防御魔法でも問題無いほどだった。ということはその時の彼の毒魔法はA級以下のレベルに落ち着いていたのだろう。


「…………」


 じっと互いの目の色がわかるような距離で見つめ合う。


「どうした?」

「……うーん」


 彼はただリナを見ている。彼の毒魔法がやわらいでいくのを感じる。


「今なにか魔法を意識してる?」

「なるべく出ないようには気を付けてはいるが。いつもと変わらん」

「……おかしくない? 普通、毒って術者に近いほうが危ないんじゃない?」

「術者本人から出ている場合はそうだな。……俺の毒魔法は今弱まっているのか?」

「そうね」


 彼は首を傾げる。


「君は防御魔法が使えるから、脅威として感じにくいだけじゃないか?」

「……そういう感じでもないんだけど」


 試しにまた彼から少し遠ざかってみる。変化はない。――と思ったが。


「あっ、だんだん強くなってきたわ!!」


 じわじわと邪悪なまでの毒魔法が広がっていく。

 慌てて彼のまたすぐそばに戻った。近くにいれば、また毒魔法はおさまってきた。


「うん、さっきと同じ。これならA級の防御魔法でいいわね」

「?」


 彼はよくわかっていないようで不思議そうにしている。

 リナは彼のコーティングをA級の防御魔法でおこなってみることにした。

 S級の防御魔法にしなくてすむのは嬉しい。A級ならば、『ばちっ』と弾いたりしないのだ。つまり昨日のように、普通に触れあうこともできる。


「じゃあ、あなたを防御魔法で包んでみるわね。とりあえずA級でやるわ」

「……念の為、S級にしないか?」

「そう? まあどっちでもいいけど、希望があるならS級にしてあげる」


 リナは彼に手をかざした。

 真っ白な神々しい光が彼を包み込み、強固な球体の鉄壁が彼を守る。

 これで彼の毒魔法は密封された。そして呼吸はできるので何時間でも問題ない。リナがそばにいないと解けてしまう魔法ではあるので、使える場面はかなり限られるが。


「よし、これなら毒が漏れ出ないわよ! 誰も傷つかずに済むわ。これなら明日の会議も心配ないでしょう?」

「……ああ、助かる」

「私を置いていかないでね。そばにいないとすぐ解けちゃうから」


 リナの魔法は、そばにいる限り、自分ともう一人だけを完璧に守ることができるというものだ。つまり逆に言えば、同時に二つしか守れない性質だ。

 この世で一番破壊力のある魔導式大砲をも完璧に防ぐので、王族の護衛を任されることもあるが、街全体を守る結界を張れるわけではないし、戦況を大きく変えたりもできない。なのでリナは硬度だけはS級ではあるが、全世界から欲しがられるほど有能というわけでもないのだ。もちろん敵国から暗殺されたりもしない。なのでわりと気ままに『天才です』と名乗っていられる立場だ。……滅亡を願われている彼と違って。


「もっと早くこうすればよかったわ。そうしたらあなたは気軽に出かけられたのに」

「……まあ、君の来訪をずっと断り続けていたのは俺なんだが」

「そうよ。ひどいわね」


 格上の公爵から断られていては、屋敷を訪ねることもできないのが侯爵令嬢のつらいところである。


「……ええと、まあ、コーティングは大丈夫そうね。じゃあ明日はこれでいくから、服とか持ち物をちゃんと用意しておいてね。久しぶりの出席だからって緊張したり何かを忘れたりしないでね」

「わかった」


 おせっかいかもしれないリナの言葉にも、彼は素直に頷いた。


「あなたを普段もコーティングしてあげられれば屋敷の使用人たちもガスマスクを外せるんだけど……ずっと私がそばにいないといけないのよね。具体的には、お互いに手を伸ばしたら手を繋げるくらいの距離」

「どこへ行くにも一緒か。……それは現実的ではないな。使用人たちには説明をした上で『ガスマスク特別手当』を支払っている。仕事内容に含まれているから気にするな。明日だけでも十分助かる」

「うん、じゃあそういうことで」


 魔法を解き、「さあ、解散」とばかりに彼を見ると、彼はその場から動かなかった。


「……? もう行っていいわよ。書類仕事とか毒草の手入れとかあるんでしょう? 今日は好きに過ごしたら?」

「……まぁ、俺はいいんだが、毎日『接触』実験をするんじゃなかったのか?」

「!」


 つまり今日はまだ触ってないだろう、という指摘だ。


「た、たしかに!」

「まぁ魔法の実験はしたから、今日の分の報告書は十分書けるだろう」

「いえ、やるわよ!」


 もう一度彼をS級の防御魔法でコーティングした。そしてリナは手を伸ばす。術者本人だからか、S級の壁でも弾かれはしないが、決して突き抜けることもなく、透き通った白い球体に囲まれた彼の周りをぺたぺたと触ることになった。


「術者本人でも突き抜けないのか」

「そうね」


 特に色気も、ときめきもなく、壁を触っただけで今日の実験は終わった。



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