14_五人の選定公
城に着くと、中庭へと案内される。
廊下をすれ違う人々が、驚いたように「まさか、猛毒公爵……!?」と彼を凝視していた。
三年前から毒魔法が溢れだした彼を、もし城まで無事に来させようとするなら、道中馬車ですれ違う街の人々、城で働くメイド、騎士、文官、たまたま参城していた貴族たち――それらすべてにガスマスクをしてもらわねばいけないので、ガスマスクが千個でも足らない、と言われていたらしい。
隣を歩く彼をちらりと盗み見る。
堂々と歩く彼は、周囲の視線にも揺るがない、気品溢れる立派な公爵だ。
(うん、やっぱりこうでないと)
リナは嬉しい気持ちになった。
◇◇◇
中庭に着くと、白色の大きな円卓が置かれていた。椅子は五つだ。
彼以外の五大選定公は既に来ているようだ。
「俺が最後か。待たせてすまないな」
登場した彼に、四人の公爵たちが驚く。
「エドガルド! 本当にここまで来れたのか!」
彼の名前を嬉しそうに呼ぶのは、高齢の男性――先王の弟で、この場で一番偉い公爵である。
彼は丁寧に「ご心配をおかけしました」と応える。
そして、四人の公爵の視線が、隣にいるリナに注がれた。
(き、緊張する……)
しかもこの中の一人、四十代ほどの男性は、『光の公爵』だ。……リナが花婿として迎えておきながら、結婚式の誓いのキス寸前で防御魔法で弾き飛ばしたのが、光属性魔法の名家『光の公爵』の次男である。つまり、一時的には義理の父だった人である。
リナが身を固くしていると、「紹介しよう」とエドガルドが四人に向けて言う。
「報告が後になってすまない。三ヶ月だけの私の妻、リナミリヤだ。ご存知の方も多いだろうが、王女殿下の護衛も務めたS級の防御魔法士だ。この魔法で私をここまで連れてきてくれた」
リナミリヤはドレスの裾をつまみ、丁寧に淑女の礼を執った。
「カレスティア侯爵家長女、リナミリヤでございます。本日はこのような高貴な方々の場に、資格のないわたくしがお邪魔してしまい申し訳ございません。わたくしはエドガルド様の防御魔法を維持するためにおそばを離れられませんが、決して本日の会議の内容を口外したりはいたしません。どうか、エドガルド様を補助するための、ただの杖として扱ってくださいませ」
静かな視線が注がれる。
権威ある選定公たちは、昨日乗り込んできた侯爵のように騒ぎ立てたり、露骨に否定するような真似はしない。ただ穏やかに見る老爺、格下の者に興味が無さそうな青年、面白がっている五十代ほどの男性、そして困ったような顔をする四十代ほどの男性――この人だけは顔見知りの『光の公爵』――だけだった。
「とりあえず、結婚おめでとう」
と老爺が笑う。
「防御魔法でここまでイラディエル公爵を連れてこられるとは。すごいな。今後も頼むぞ」
と五十代ほどの男性がリナに言う。
この中で特に穏やかそうな公爵二人が、リナのための椅子を、彼のすぐそばに置くよう指示してくれる。
「しかし、まあ、今日の会議はあたりさわりのない内容にするべきか?」
「エドガルドの顔を見られた祝い程度でいいのではないか」
「そうだな。ワインでも飲むか」
わりとお茶目な公爵たちを見て、「いや、会議をしてくれ……」とエドガルドが眉をひそめる。
「しかし噂の『鉄壁令嬢』には何の魔法もかからんのだろう? 盗聴防止とか、色々あるが、S級の防御魔法相手ではなぁ」
「あ、いえ――」
S級の防御魔法を張ってなければ、普通に盗聴防止魔法も私に効きます、と言いかけて――
(ま、まずい)
慌てて踏みとどまった。
リナはこの一年、『S級の防御魔法が絶対に解除できないせいで、新婚の夫に指一本触れさせなかった』という設定なのだから、『防御魔法、いつでも切り替えできます』などと言っては絶対にいけないのだ。
しかも、この場には元夫の父である『光の公爵』までいるのだから、絶対にバレてはいけない。今だって、その設定のために必要もないS級防御魔法をずっと自分にも掛けているのをすっかり忘れていた。
「いえ、本当におっしゃるとおりです。わたくしが防御魔法を出しっぱなしにしているせいで――誠に申し訳ございません。部外者のわたくしがいるばかりに、会議を遅らせてしまいます」
「いやいや、なんの。気にすることはない。三年ぶりにエドガルドを引っ張り出してくれただけでも快挙だよ」
公爵たちに微笑まれていると、
「……あまり甘やかさない方がいいのでは?」
つまらなさそうに、ぼそりと青年が言う。この場にいる中では、エドガルドの次に若い公爵だった。最初にリナが挨拶した時に、格下の相手に興味が無さそうにしていた青年だ。公爵であれば忙しいだろうし、「会議もしないし、これは一体何の時間だ」と思っているのだろう。
エドガルドはそちらを見て、静かに言った。
「すまない。新婚だからか、妻が可愛くて仕方がないんだ。妻が褒められると俺まで嬉しくなる。それでつい彼女に関する話が長くなった。許してくれ」
「……!」
まるで溺愛しているかのような台詞に、周囲がどよめく。相手の青年公爵はぎょっとしたような顔をしたあとに、「まあ、いいですけれど……」と言いつつ、信じられないものを見たとばかりにエドガルドの顔を観察していた。
なによりも、リナが一番驚いて口をぱくぱくさせていると、
「なんだ?」
と彼が怪訝そうにする。
「だ、だって、さっき『三ヶ月だけの妻』って紹介したのに……!」
「……三ヶ月だけでも俺の妻として扱われる不快さを、事前にわかっていなかったのか? 研究のためとはいえ、俺の妻になるデメリットなど俺の家に来る前に考えておくべきだぞ。嫌なら今すぐ離縁を――」
「そうじゃなくて!!」
まるで最愛の妻のように扱われたことに頬が熱くなる。この場を円滑に進めるための演技だとわかっていても、心臓に悪い。
周りに聞こえないよう小声で彼が「いつ帰ってもいいんだぞ」と初日から続くお決まりの台詞を言ったが、リナの耳には入っていなかった。
(私、変な顔してないかしら……! 『妻が可愛くて仕方がない』って言った……)
しかも笑顔つきだった。台詞に説得力を与えるような微笑だった。
彼だって演技がうまいじゃないか。
(やっぱり、無理にでも結婚してよかった……)
今日のこれだけで十分に思い出を補充できた気がする。これでもう別の男性と結婚することになっても相手を弾いたりしないはず――……いや、まだ無理かもしれない。
その後はきっちり国防の観点から、『リナが居てもできる話』になった。
リナがどのように隣国で王女殿下を守っていたかについて詳細に訊かれた。
すべてを話し終えると、
「……まあ、信頼できる能力ではありますが、これといって有能というほどではありませんね」と先程の青年公爵がぼやいていた。
リナは強度だけなら最高位だが、自分ともう一人を守れる程度。国内全土や城を覆うような広大な結界を張れれば、さぞ重宝されただろうが――国を担う五大選定公から見ても、やはり『失うには惜しい人材』の方にはあまり入らない。
(まあ、王女殿下の護衛だって、五人でも十人でも、遠隔でも近距離でも、完璧に守護しようと思ったらいくらでも人材を投入すれば良かっただけなのよね)
リナがいれば王女に関しての警備は一人で済むし、『狭い所でもシンプル・コンパクト』という利点だけであった。
青年公爵はその結論に溜息を吐いたあと、「しかしイラディエル公爵の補佐として今後もそばにいてくれるのであれば、これ以上ないうってつけの能力ではありますね。……お幸せに」と頬杖をついた。
(お、お幸せにって……)
それは普通の結婚をした夫婦に向ける言葉だ。
リナが戸惑っていると老齢の公爵が、
「研究のための、三ヶ月だけの結婚だったか」
と、エドガルドの顔を見る。
「はい。もちろんです。……三ヶ月でさっさと離縁しないと、彼女が他の相手と結婚できないでしょう」
彼は苦虫を嚙み潰したような顔で言った。
(三ヶ月と言わず、今すぐ離縁したそうな顔ね……)
老爺は白い顎髭を撫でた。
「リナミリヤ嬢は防御魔法さえ解決すれば相手に困らんだろうが……お前さんは結婚の予定はどうなった? アンベル伯爵家のご令嬢にご執心だったそうだが――学生時代、なにやら面白い噂があったのだろう?」
「噂については、ただの噂にすぎません」
「しかし、援助も長いことしておっただろうに……結局、最近破談になったのだったか」
――そう、彼がずっとカタリナ嬢を好きなことは明白なのだ。
だからリナはずっと脈が無いことに苦しんでいた。
つい最近まで、彼はアンベル伯爵家を――特にその次女であるカタリナ嬢を金銭的に援助していた。
周りの貴族たちも、誰もが『そういう意図』なのだと思っていた。昔から『将来家族になるのだから』と先払いで援助することはよくあるのだ。
しかし、アンベル伯爵家の方が最近はっきり否定したそうだ。イラディエル公爵家とは婚約していないし、今後も結婚の予定はない、と。……かなりばっさりすぎて、エドガルドが可哀想なほどである。
「伯爵令嬢も今は、十七歳か十八歳だったか? そろそろ縁談を決めるのにお前さんが邪魔だったようだのう」
老爺が苦笑している。
「ああ、妙な噂など邪魔でしょう。それではっきり否定をしたようで……俺との縁談など元からないのですが」
「しかし、火のないところに噂は立たぬと言うし――こちらのリナミリヤ嬢とも仲が良さそうじゃが学生時代からか? となると……二股か?」
「いえ。……そんな不誠実なものではありません」
彼が重苦しい表情になったので、リナは控えめな声で、
「ええと、在学中、至らないわたくしに親切にしていただきましたご縁で……」
と、それとなく訂正しておいた。
そして「また新婚の惚気話でも聞かせてくれ」と老爺の言葉で、今日の会議――もといお茶会は、これといって何かを議論することもなく、「エドガルドが三年ぶりに城に来られて良かった」という雰囲気のまま終了した。




