12_【初恋回想④】さよなら
昼休みになり、今日も裏庭に行けばエドが先に待っていた。
(プロムに誘ってくれたりしないかな……)
つい座らずにじっと見つめていると、彼も何やら物言いたげにこちらを見ている。
「?」
よく見れば、座っている彼の横には花束が置いてある。誰かにもらったのだろうか。プロムナードはもしかして卒業生同士なら女性から誘うこともあるんじゃないだろうか。急に心配になってバクバクと心臓がうるさくなる。豪華な花束が隣にあるせいか、いつもより彼が小さく見えた。
動揺を誤魔化そうと、リナはとりあえず思いついた『今日一番の噂』について彼に話を振る。
「そ、そういえば猛毒公爵って方、エドと同じクラス? ほら、どの学年も三クラスずつあるでしょ? 話したことある? 知り合いだったりする?」
「…………」
彼は驚いた顔をして、しばらくリナを凝視していたが――やがて恐る恐るというように言った。
「君は、俺の名前を知っているんじゃなかったのか?」
「……名前? エド様でしょ?」
「家名の話だ」
(え、この話の流れだと、なんかまるで……猛毒公爵家の縁者の人……?)
知り合いかと訊いてそんな反応をするなら、公爵の従兄弟とかだろうか。それだとかなり格上の人に今まで雑に話しかけてきたことになるのだが――なんだか怒られそうな気配がするのだが――と固まっていると――。
「俺も、確かめたいことがある」
と彼が立ち上がり、リナの前に立った。
「君はアンベル伯爵家の者ではないのか?」
「……アンベル伯爵家?」
「初めて会った時、リナ・アンベルと名乗っただろう。北西に領地を持つアンベル伯爵家のことではないのか」
「えっ」
まさか母方の田舎の平民の姓を名乗ったことで、実在の伯爵家の人間だと思われていたとは予想もしなかった。
(アンベル姓の伯爵家があったの……!?)
アンベルというのは元々この国の古い言葉で『美しい川』という意味であって、平民ならそこそこありふれた家名だ。各地にいたアンベル姓のうちの一つが武功を立てて伯爵家にでもなっていたのだろう。けっしてリナの遠いご先祖だとか親戚だとかいうものではない。
(あれ、もしかしてこれ、まずいんじゃないの……?)
リナにとっては『リナ・アンベル』というのは母がくれた大切な名前だった。父に改名されてからは余計に愛着があったし、エドが呼んでくれるのが嬉しかった。しかし、もし実在の貴族と被っていると知っていたら名乗らないようにもっと気を付けただろうし、うっかり口にしてもすぐに訂正していたはずだ。だが、さすがに令嬢になりたてで、貴族の家名全部を把握してはいなかった。
「あの、ごめんなさい……アンベル伯爵家の者ではなくて、母方の姓をずっと使っていたから、あなたと会った時にとっさに名乗ってしまったんだけど……アンベル伯爵家とは関係ないただの田舎の平民のアンベル家だし、今の私は父の家に引き取られたから――リナミリヤ・カレスティアという名前なの」
「…………全然違う名前じゃないか」
彼は顔を手で覆い、盛大に重い息を吐いた。
そして「そうか、ああ、なるほど、そうか」と何度もなにかに納得していた。
「俺はてっきり、アンベル伯爵家の令嬢だと思っていた」
「ご、ごめんなさい……」
まさか伯爵令嬢だと思われていたとは。本来なら侯爵家の方が爵位の格としては伯爵家より上なので悪意ある詐称にはならないはずだが、正式な令嬢ではないという自覚があるリナとしては、伯爵令嬢と名乗るのもおこがましい。
「しかし、カレスティア侯爵家だと? 最近は防御魔法で有名な……ああ、なるほど」
「うん、そうなの。実は、もうすぐ私、王女殿下の護衛を任されることになって……」
もう公表されている話なので、任務の内容を言っても問題ない。
「カレスティア侯爵家の令嬢が護衛に入るとは聞いていたが……君だったのか」
「うん、だから――」
だから、もうすぐこの学園を去るの。と言わなくてはいけない。
「あの、だから……プロムで踊ってくれませんか?」
勇気を振り絞って、手を差し出した。
身体中が震えそうだった。
彼は驚いたように固まり、手が伸びかけたが――しかし、止まる。そして長い沈黙があった。そして重苦しい声で言う。
「……理由は何だ?」
「え?」
「メリットがない。むしろデメリットだらけだ。――君と俺が、釣り合うわけがないだろう」
何を言われているのか、一瞬わからなかった。
メリット? 釣り合う?
もしかしてメリットを示さないと誘ってはいけないものなのだろうか。
しかし、確かにそれはそうだ、とすぐに納得した。たぶん彼は格上の貴族だ。さきほど猛毒公爵という言葉に反応していたし、公爵家の縁者なのかもしれない。それに彼だって相手を選びたいはずだ。人生で一度だけの卒業パーティーなのだから。こちらから「私を選ぶと、こんな良いことがありますよ」と言わなくちゃいけないのだ。
(――私、何を思いあがってたんだろう。恥ずかしい)
たまたま知り合って、昼食を共にしていただけだ。
友人かもしれないけれど、華やかな夜会に、ただの友達の下級生を連れていったりしない。
田舎出身の庶子で、この学園に居るのだって場違いなリナが、この人と釣り合うわけがない。……最初からわかっていた。
俯いて、涙が出そうになる。だめだ、泣いたりしたら。
ぎゅっと唇を噛みしめた。
彼がわずかに息を飲み、そして静かに声を掛けてくる。
「リナ……知っているだろう、俺は『猛毒公爵』だぞ。よく考えろ」
「猛毒公爵……?」
――彼が?
驚いて顔を上げると、困ったようなエドと目が合う。
「本当に知らなかったのか? 平然と俺の名前を呼ぶから、てっきり――」
そこで彼はふいに黙り、
「帰る」
と急に踵を返した。
「ま、待って」
リナは慌てて追いかけた。とっさに彼の腕を掴もうとして――
「さわるな!」
ばちっと嫌な音がした。
無意識な防壁魔法が働いたのだ。
彼がはっとして「怪我は――」と案じるような目を向けてくる。
だが、真っ白な魔法に包まれ続けて硬直しているリナを見て、「ああ」と口端を吊り上げた。
「ああ、そうだったな、カレスティア侯爵家のご令嬢は、優秀な防壁魔法の使い手だったな。……俺のことなど怖くは無いか。だが、近づくな。魔法を過信し続けると痛い目を見るぞ」
彼がずっと張り詰めたような空気を纏っている。緊迫している。拒絶している。それがわかるのに、どうすべきなのかわからない。
全身から、近づくな、と伝わってくる。
――どうしよう、何が起こっているのかわからない。言葉が出ない。
動けないリナを見て、彼が静かに訊ねてくる。これが最後の問いになるのだと何故かわかった。
「君は、俺が猛毒公爵だと知らずにそばにいたんだな?」
「え」
「答えてくれ」
「し、知りません、でした」
「そうか」
彼は静かに頷く
「ならば、俺の落ち度だ」
そして一度も振り向かずに去っていった。
一体、今、何が起きたのだろう。
追いかけて話さなくては、と思うのに、腕を掴もうとした時の、彼の本気の拒絶が今も怖くて、手が震える。
リナはずっと立ち尽くしていた。
いつのまにか昼休みが終わる予鈴が聞こえて、なんとか強張った足で歩き出す。
校舎に繋がる外廊下まで来ると、他の生徒たちが賑やかに話していた。
「ほら、ご覧になって、カタリナ嬢よ。今朝、猛毒公爵様にプロムに誘われたっていう」
「まあ、美しい方ね……話したこともない格上の公爵様から申し込まれるのも頷けるわ」
リナはぼんやりと顔を上げた。見れば、金髪の麗しい令嬢が横切っていくところだった。
(……あれ? 猛毒公爵様って結局、エドのことだったんだっけ)
彼が自分でそう言っていた。
どうやら、噂というのは、エドと、この令嬢のことらしい。
そうか、エドがそんなに偉い人だとは知らなかった。……だから怒られたのだろうか。リナが由緒正しい伯爵令嬢かと思いきや、侯爵家に最近入ったばかりの田舎者だったから。
彼は以前、もう両親がいなくて祖母だけだとこぼしていた。ならばすでに彼は責任ある立場だろう。
王に次いで権力のある五大選定公らしいのだから、王女の護衛となる人間の素性も、生い立ちも、きっとリナに正式に話が来るよりも前から知っていただろう。
……そんな格上に、こちらからダンスを申し込むなど、滑稽でしかない。
(ううん、彼はそんな人じゃない)
リナの出自が何であっても、見下すような人ではない。
そうではない。そうではないけれど……。
「猛毒公爵……噂の猛毒公爵様かぁ……」
前方には、『猛毒公爵に申し込まれたという伯爵令嬢』がいる。白亜の校舎に、金色の髪がとても映えて綺麗だった。背筋も美しく、凛としていた。曇り一つない、生まれながらの令嬢だった。
エドは、あの人が好きなのだ。
噂通り、本当に話したこともないのだとしたら――彼からの一方的な片思いなのだとしたら――ずっとそばにいて毎日話していたリナよりも、たとえ一言も会話がなかったとしても、あの美しくて、生まれ持った気品に満ち溢れた、本物の伯爵令嬢にずっと見惚れていたのだろう。今までは話しかけられなくても、卒業間際に申し込みたくなる気持ちもわかる。きっと誰もが憧れる存在だ。リナと違って。
「……惨敗だなぁ」
リナはそのまま家に帰るなり高熱を出した。
三日三晩寝込み続けて食事も喉を通らないリナを見て、理由を知らない父と兄が代わる代わる様子を見に来ては「何の病気だ? 死ぬのか?」と言っていた。
そしてこれがチャンスだと思ったのだろう――いつのまにか書類が処理され、父と兄の望むままに、リナは終業式を待たずに退学させられていた。
次話から2章に入ります。
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