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10_【初恋回想②】嵐の夜



 次の日、朝と昼休みに同じ場所に行ってみれば、朝はいなかったが、昼休みには会えた。

 昨日リナが登ってしまった治療中の巨木の根元には、骨折した人のようにきちんと板が添えられていて、その板の一つには『登るな。注意』と書いてある。


「なんだ。木を見に来たのか? それとも俺に何か用か?」

「……ランチ、どう? 顔色悪いからあんまり食べてないんじゃないかと思って……ええと、エド様?」


 彼は目を丸くした。


「なぜ名前を――ああ、まあ、そうか。俺は悪目立ちするからな。名前を知っていて当然か」


(え、いや、知らないんだけど、どうしよう)


 その言い分からしてなにやらそこそこ有名人らしいが、上級生の噂などこの春から途中編入したばかりのリナは知らない。この学園は十三歳から十八歳まで通う、五学年もある由緒正しい王立学園だ。人が多すぎるし、交流イベントもまだ参加していない。リナは二年生からの編入で、夏には十五歳になる。彼のネクタイの色を見れば、彼が十七歳か十八歳の最高学年なのは一応わかった。学年ごとに色が違うことを、昨日彼と別れた後に思い出して、青色が何年生か調べたのだ。


(でも、たしかに目立つ顔立ちよね……)


 黒い前髪、まったく着崩していない制服。革手袋以外は一切の装飾品が無い。本人はありふれた人間のつもりだろうが、それでも隠しきれない品格がある。こんな裏庭にいないで、大人っぽく前髪を上げて額を見せたり、堂々と廊下を歩いているのを一度でも見たなら、恋多き年頃の令嬢など、「今の素敵な殿方はどなた?」と隣り合う友人たちときゃあきゃあ黄色い歓声をあげるに違いない。


 それに、目の色も赤みのある紫色で、かなり珍しくて綺麗だった。


 ついついじっと見つめてしまうと、

「毒々しい色だと思っているだろう」

 と、少し自嘲するように言われる。


「……まあ、いかにも毒がありそうな植物の色だけど」

「はっきり言うんだな」

「でも綺麗よ」

「……そうか」


 なぜか心地よさそうに笑った。彼は温室の管理人と仲がいいくらいだし、きっと植物が好きなのだろう。毒草っぽいと言われても嬉しいのかもしれない。


「お礼のサンドウィッチ、良かったら食べて。とりあえず十回くらい……いえ、あの魔石に全然釣り合わないのはわかってるけど……お金はちゃんと自分で稼いで必ず返すから待っててくれる?」


 父にねだれるような額ではない。しかしお礼はしたいのでとりあえずサンドウィッチを持ってきてみた。


「気にするなと言っただろうに」


 断られそうだったので、リナは彼の隣に座って、籐のバスケットからいそいそと昼食を取り出す。


「たまごサンド、私が卵を茹でて潰したからおすすめ。そっちのローストビーフはコック自慢の一品よ」


 コックが「何かしたい」と言うリナに任せてくれたのは簡単なたまごサンドだけだった。リナだって病弱な母のために子どもの頃から料理を――田舎風の野菜と魚をぶつ切りにして煮込んだだけの料理がほとんどだが――いくらでもしていたので調理の心得はあるのだ。しかし侯爵令嬢に火や包丁を扱わせて、怪我でもさせたら父が怖いらしい。別に父には言わないのに、と主張したが押し切られた。屋敷の高級な魔法式オーブンでの肉の焼き方はよくわからないので、これから見て学ぼうと思っている。


「手は汚さずに食べられるように紙で包んであるから」

「……ああ、すまないな」


 彼は自分の手袋に目を落とす。

 手袋をしたまま、紙でサンドウィッチを包んで持ち上げた。

 潔癖症なのか怪我をしているのか、痣でも隠しているのかよくわからないが、別に食事のときは外せとも思わなかったので特には聞かなかった。


「ああ、うまい」

 彼が感想を言ってくれて、ほっとリナは安堵する。


「お口に合って良かったわ」

「君は食べないのか?」

「じゃあご一緒しようかしら」


 木の下で、彼の隣で食べると、まるでピクニック気分だった。

 彼はこの裏庭の植物や、訪れる小鳥の話をしてくれた。ずっと聞いていたかったけれど昼休みが終わる予鈴が鳴って、リナは慌てて片付けはじめる。だが彼はこの後もここにいるか温室に行く予定らしく、リナの片づけを手伝いつつものんびりとしていた。

 最高学年の五年生はゼミというものがあって、あまり授業は無いが、それぞれ研究室だの外部の機関に行ったり、貴族としてもう親の領地経営に携わっているのが普通らしいが――


「温室でなにか研究をしているの?」

「いや、趣味だ」


 つまりこの人はさぼっているらしい。授業がほとんどないなら、さぼりという表現もおかしいかもしれないが。


「なんでここでさぼるの? 家で過ごしたりは?」

「あまり家にいると祖母が心配する。友達がいないのか、と」

「ふうん」

 家に居づらくて学園内で一人……なんとなく親近感を覚えた。


 それからもリナは彼と過ごし、いろんな話をした。植物の話、昔読んだ絵本の話、彼が珍しい花をくれたこともあった。


 そんなある日、夏が近づいた頃になって大きな嵐が王都を訪れた。

 夜に屋敷の窓から激しい雨風を見つつ、リナは思った。


 ――あの木は大丈夫だろうか、と。


 彼と出会うきっかけになった、治療中と知らずにリナが登った巨木だ。

 もうすぐ彼が言った『三ヶ月は安静に』の三ヶ月が経とうとしているというのに、こんな暴風雨に遭ってしまったら――。


 リナはこっそり屋敷を抜け出した。


 王立学園は寮生や研究熱心な学生もいるので、夜も空いている。魔法で不審人物を弾き、学生は入れるようになっているので、門番の目さえかいくぐれば、こんな夜でも「こら、何しに来た」なんて止められずに入れるのだ。


 嵐で木は揺らされていた。巨木を守るために添えている板はいつもより量が増えている。きっと彼が事前に増やしておいたのだろうが、嵐の中ではやはり心配だ。リナの防御魔法をかければ――びくともしなくなる。


「よし、これなら完璧でしょ」


 リナはこの嵐が止むまでここにいようと決めた。そばにいないと防御魔法は解けてしまうからだ。


(……しかし、ちょっと準備が甘かったかしら)


 慌てていたので外套を着たくらいで、何も持たずに出てきてしまった。巨木の下にいれば多少は自然に守られるし、自分にも防御魔法をかけているので暴風は防げるのだが、夜としての寒さはどうにもならない。S級まで上がれば別かもしれないが、つい先週B級になったリナには寒さまで防ぐことはできなかった。


「パンやお菓子でも持ってくれば良かったわ」


 魔法瓶に温かいスープでも入れてくれば最高だった。

 嵐が止むまであと何時間だろうか、と思っていると。


「……まさかと思って来てみたが」


 なんとエドがやってきた。黒髪は雨に濡れ、持っている籠やら毛布やらは、魔法でも掛かっているのか濡れていない。


「あら、エド。こんな真夜中に学園に侵入するなんて悪い人ね」

「君こそ……何をやっているんだ」

「だってもうすぐ治るんでしょう? それなのにこんな暴風に煽られたら可哀想じゃない」

「もうほとんど治っているがな」


 彼は木を見上げながら苦笑する。


「でもどうせなら最後まで安静にしておきましょう。ところで私、自分ともう一人までしか守れないから、木を守っているとあなたを守れないんだけど――」

「家から守護魔法の魔石を持ってきた。あまり強いものではないが」

「さすが貴族って何でも持ってるわね」

「だが、この巨木すべてを守るほどの能力は無い。せいぜい籠と毛布を守るくらいだ。……君はすごいな。どんどん魔法が強くなっている」

「褒めてくれてありがとう」


 くしゅん、とくしゃみをすると、彼は小脇に抱えていた毛布を掛けてくれた。


「自分の防御がおろそかになってないか? ちゃんと自分に魔法をかけているんだろうな?」

「かけてはいるけれど、木を優先しているから。両方完璧に守るにはまだ魔力が足りないの。もっと強くなりたいわ」

「いつも鍛練をしているのは知っているが……無理はしすぎるなよ」


 リナは昼休みに彼と過ごしつつ、たまに魔法書を彼と読んだり、鍛練もそれなりにしていたので、彼はリナの向上意欲を知っている。無属性魔法の修復魔法や防御魔法は、努力次第で誰でも会得できる――とは一応書いてはあるが、リナはもっぱら防御魔法しかできないし、彼は修復魔法はできても防御魔法はできないようだった。なのでリナは防御魔法の道を突き進むことにしている。


「だってあのクソ兄貴をぎゃふんと言わせたいんだもの」

「今日も勇ましいな」


 異母兄は、リナに家系の象徴でもある防御魔法で抜かされそうなのを気にしているようで、最近はますます嫌味がひどい。何を言われているか、いちいちエドには伝えていないが、リナが兄を嫌っていることはエドも知っている。


「夜は長いぞ。温かいスープがあるが、飲むか?」

「準備がいいわね……ぜひお願い」


 野菜たっぷりのスープや柔らかいパン。そして普段リナが何気なく言った好物――ジャムの乗ったクッキーや、桃の香りの砂糖菓子まである。


「どうして私の欲しいものがわかったの?」

「君の言ったことはすべて覚えているからな」


(……それって)


 まるで大切な人だと言われているような気分になった。――この人が誠実なのは知っている。きっと誰にでもこんなふうに親切で、懐に入れたらずっと大切にしてくれるのだろう。それこそ初対面のリナに高価な魔石を使って、母の形見を直してくれるような優しい人だ。


「いつも全力で人に優しくしていると、疲れちゃうわよ」

「君は何か思い違いをしているな。俺はそこまでお人よしじゃない」

「あら、そうかしら。……でも、ありがとう」


 二人で真夜中の嵐を眺めてお茶会をした。途中でリナは眠ってしまった。ふと目覚めた時には彼の肩に寄りかかっており、彼も静かに寝息を立てていた。


(……ずっとそばにいられたらいいのに)


 その後も、二人で日々を過ごした。

 夏になってすぐに彼の十八歳の誕生日を祝い、その二週間後のリナの十五歳の誕生日に、彼は綺麗な花をくれた。


 秋が来て、冬が訪れようとしている。

 ――そして、あと三ヶ月で彼は卒業してしまうのだと気づいた。


 この気持ちをどう伝えようか、迷惑になるだろうか。

 リナは悩み始めた。


 彼のことが好きだ。けれど、伝えてしまったら交際や結婚について考えなければならない。貴族の関係というのは複雑だ。そもそも彼がどの家の貴族なのかも聞いていない。普通の日々が壊れてしまいそうで聞けなかったのだ。


 そう悩み続けていた時――リナの状況の方が、先に大きく動いた。


 リナが兄に負けじと毎日防御魔法をとにかく鍛練し続けた結果、B級からA級に昇格し、このままいけば数年後には史上初のS級防御魔法士になるだろうと言われたのだ。その将来性への投資として、仲の悪い隣国へ交換留学に行く王女殿下の護衛役の一人に選ばれた。そして今すぐ他の騎士や魔法士たちと混ざって城で鍛練しろと――つまり、学園を中退しろと父に言われたのだ。



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