15-2
ノゾミはグレンの部屋の前に立ち、ノックしかけた手を止めた。ふと思い出す。
「しまったわ」
「どうしたんですー?」
「グレンの正体を確かめたとして、その後どうするのかを、メドに聞いていなかった」
メドウスは外だ。いざという時に備え、別の場所で待機してもらっている。
まあいいや。ここまで来たし、後は出たとこ勝負だ。そう考えて、扉を叩く。
顔を出したグレンは、ノゾミの顔を見て肩の力が抜く。伸びをしながらノゾミを部屋に招き入れる。
ノゾミは歩きながら机の上にある書きかけの手紙を見つけ、のぞき込む。
「これが例の手紙? わざわざ差出人をミスタ・グリーンリーフにしてくれたのね。ご丁寧にどうも」
「何の用だ?」
グレンから、少しだけ警戒の臭いが強くなるのを感じる。ノゾミは何気なく置物の像を手に取る。珍しい形の、できそこないのサンタクロースのような銅像。太った老人が、背中に大きな袋をかけている。
向き直り、一呼吸おいて切り出す。
『ゲームのことで取引をしたいのよ、グレン・ダンジグ。あなたにも悪い話じゃないと思うわ』
はったりだ。まずは反応を見て、そのあと本命の刃を突き立ててみるつもりだった。
しかしグレンには、チェイサーはいらなかった。
グレンはテキーラと共にマリネを出された時のように、渋い顔をした。顎の髭を小刻みに撫でる。海鳥が遠くで鳴く。ゆっくり口を開く。
『……いつから気付いていた』
『つい最近よ、ここへ来る道中で彼と話してて』
これは本当だ。すんなり白状するグレンに、ノゾミは逆にペースを乱される。
『そうか。なら、……このことはまだ、お前と奴しか知らないんだな?』
ぞくりと寒気がノゾミを襲う。それは殺気であり、グレンから無意識に漏れ出したマナでもある。
ノゾミは思わず手に持っていた像を振り下ろしていた。手にしっかりと収まる太さの鈍器。突然の殺気に、はめるつもりのノゾミのほうが、逆に当てられていた。
ノゾミは反省する。こちらから手を出すなんて、最悪中の最悪だ。しかし、後悔はない。
先程覗かせたあの感情。こいつは、メドウスを殺すつもりだ。一瞬だったが、確信できた。私たちの幸せのためには、グレンをここで殺しておかなければならない。
見誤ったとするならば、グレンの優先順位についてだろうか。グレンは正体を隠してはいるが、そのことに固執してはいない。だから、あんなにもあっさりと白状する。ノゾミは、完全に呼吸を外されたのだ。
行動はあまりに衝動的だったが、凶器の選択としては正解だった。素手のグレンは腕をとっさに突き出したが、その重量の乗った一撃を止めきることはできない。
グレンは顔をしかめつつ、体をよじって逃げる。ノゾミは反射的に左手を向けてレーザーを打つが、グレンもソファの裏へと転がりこむ。
ノゾミは即座にソファへ向かい跳躍した。剣を手に、距離を取らずに飛び掛かることを選んだ。まだ肩が痛むが、グレンも腕にダメージがある。武器を取り出す暇も与えたくない。
グレンも戸惑っていた。いきなり飛び掛かってくるとは、なんてじゃじゃ馬だ。ほとほとこの女とは相性が悪い。戸惑いつつ、相手を蹴りはがそうとする。
この距離でノットマンを装備した相手を凌ぐことはできない。距離がいる。グレンは奥の手を使うべきかどうか迷う。
そして、ノゾミの剣先が胸へと迫る。
避けきれないことを悟ったグレンは、ここへきてやっと覚悟を決める。
マナの開放、放出。二人の間にある空間そのものが、熱とともに弾ける。ぎりぎりでマスタリーの緊急回避が起動し、ノゾミの身体を無理やり反転させる。渦巻く熱風がノゾミの髪をチリチリといぶる。
どちらもただでは止まらなかった。ノゾミは猫のようなしなやかさで床を蹴り、グレンを下から斬り上げる。そのさらに下、床の絨毯の下を潜るように、黒い影が鞭のように伸びる。
叫ぶ暇もなかった。気付くと、ノゾミは窓の脇にまで跳ね飛ばされていた。がらんと剣が転がる音がして、剣を手放していたことにようやく気付く。
『やるじゃねえか、嬢ちゃん』
グレンの足元からは、黒い触手のような影が伸びていた。それぞれは蛇のように蠢き、ノゾミを狙っていた。
ノゾミは初めて見るタイプの魔法に、足元から凍らされたように固まる。
「なによそれ」
「マナさ。炎だのマジックモーメントだのとお前らが呼んでいるような、おまけの力なんかじゃない。これこそが純粋な、マナの本質なのさ」
「知らないわ、そんなもの」
「そうだろうな。普通はこんな密度にはならない」
ノゾミの声は震え、グレンの声は逆に蜜のように甘かった。
「ノゾミさん、一旦引きましょう。あれはやばいです」
「わかってるわよ」
「ノゾミさんの身体を跳ね飛ばすくらい高密度のエネルギーなのに、モニタにも映らないなんて」
その言葉にノゾミは聞き返す。
「ラトル、今、何て言った? あれが見えないの?」
「はい、影かノイズのようなちらつきで拾える程度です」
「あんなにはっきりと見えるのに?」
ノゾミの目には、はっきりと黒い蛇が見えていた。グレンの足元から、影が伸びるように。
しかし、ありうる話だ、そもそもラトルはマナを検知できないのだから。
「ちょっとお客さん、何をしているんですか!」
従業員の怒号が飛ぶ。悲鳴も聞こえる。
徐々に集まる人に、グレンは舌打ちをする。
グレンは漆黒の触手を伸ばした。その動きは、闇そのものを固めたように重量感が無い。
選択肢はなかった。ノゾミは剣を拾い、後ろも見ずに思いきり飛ぶ。あの時の夜のように、今度は自分の身でガラスを派手にぶち破ることになった。
とっさにバーニアを吹かし、隣の建物の屋上へと落下する。無様だが、墜落を防いだだけマシだと思う。
ノゾミを追って黒い触手が宙を伸びた次の瞬間、レンガ造りの壁がはじけ飛び、煙が部屋を覆い隠す。
「メド、あなたはやっぱり最高だわ」
メドウスの援護射撃。隠れているように言ったのに。思わずにやけてしまう。
城での戦闘のときはいまいち使いどころに困ったレールガンだったが、この場では壁を無視して攻撃できることがありがたい。
下をちらりと覗く。建物の陰でレッドスペシャルを構えるメドウスが見える。いい子だ、そのまま私が行くまで隠れていて。ノゾミは祈る。
グレンは姿を見せないままだ。瓦礫の山となりつつある部屋の中から、声だけが聞こえる。
『ライの海で待っている! そこで決着を付けるぞ!』
「はっ、あんたバカ? 誰がそんな安い挑発に乗ると!」
『10日だけ待ってやる。それを過ぎたら、お前の大切な王子様を殺す』
ノゾミは答えなかった。
『モンジベロから、海沿いに北へ行け。フラグが立つ』
グレンは答えが無いのを気にしていない。ここへきて、立場は完全に逆転していた。力関係だけでなく、立場的にも。
グレンの強みが狙撃だということを、ノゾミは知っている。街で四六時中メドウスを守ることは不可能だし、人がいない場所で隠れて一生を暮らすのもごめんだ。
グレンはノゾミが従うしかないことをわかっている。だから、答えを聞かないのだ。
グレンが消えたあと、ノゾミは屋根伝いに飛び降りる。衝撃はバーニアとマジックモーメントで殺した。
「やっぱり、グレンがダンジグだったんだね」
「ええ、ごめん。失敗したわ。これからどうしよう?」
「決まってる、彼を止めないと。僕の仇のことはともかく、このままじゃまた犠牲者が出る」
あなた以外の犠牲者なんて、どうでもいいんだけど。ノゾミはその思いを、心の奥にそっと秘める。
「ノゾミ、警察が来る前に、すぐにここを離れよう」
「ええ、そうね。まったく、落ち着いた後の引っ越し先候補が、また一つ潰されるわ」
ノゾミはため息とともに肩を落とした。
荷物は前もってまとめてある。建物の横に置いてあるそれらをぽんぽんと馬車に投げ込み、すぐに出る。
とりあえずの目的地は、モンジベロ。プエルタ海峡の北にある、小さな村だ。




