025 災害の兆候
その後、『黒の蛇』は鳴りを潜めた。
噂によれば、俺との一件で仲間割れを起こしたそうだ。
リーダーの金髪野郎が仲間を見捨てて逃げたので当然だろう。
数日後――。
その日も、いつものようにマリンたちとダンジョンに潜っていた。
「またねー、迅くん!」
「今日もお見事でしたわ! 迅さん!」
「ん。また学校でね、迅」
換金を終えて、駅前で解散する。
その足でスーパーに向かい、晩ご飯の食材を購入した。
普段は鶏肉と豚肉ばかり食べているが、少し奮発して牛肉を買ってみた。
他の具材や割り下も買って、すき焼きにすることにした。
「お会計は7,871円になります!」
レジで後悔した。
高い。思わず「嘘だろ」とつぶやく価格だ。
調子に乗って肉の量を多くし過ぎたせいだろう。
いや、それでも高すぎる。
(やっぱり東京はバグってやがる……!)
俺は悲しい気持ちになりながら帰路に就いた。
「あれ? あいつってジャージ男じゃね?」
「いや、別人だろ。ジャージ野郎があんなに哀愁を漂わせるかよ」
「たしかに! ジャージ男なら人生ハッピーだろうしな!」
通行人たちは、俺を見ても「例のジャージ男」とは認識しなかった。
自分で思っているよりも負のオーラを漂わせているのだろう。
そんなこんなで、自宅のアパートに到着した。
錆びついた外階段を上って二階に向かう。
そのまま自室に入ろうとしたが、扉の前で足を止めた。
「……え? キョウコさん?」
202号室の前でキョウコさんが倒れていたのだ。
長い黒髪、大人っぽい眼鏡、ヨレヨレのジャージ、最強のおっぱい。
間違いなくキョウコさんである。
「うぅ……うぅ……」
キョウコさんは苦しそうに呻いている。
顔が赤く、呼吸も荒い。
「どうしたんですか!?」
俺はレジ袋を置いて、キョウコさんに駆け寄った。
「すごい熱だ……!」
体温計を使うまでもなく、高熱だとわかる。
「うっ……朝比奈くん……?」
キョウコさんがうっすらと目を開ける。
焦点が合っていない。
「しっかりしてください! 何があったんですか!? まさか黒の蛇がキョウコさんに!?」
「……ちがうの……仕事が……終わらなくて……」
どうやら過労のようだ。
霞ヶ関よりも黒いと名高いダンジョン管理局は伊達ではなかった。
「キョウコさん、中に運びますよ!」
このまま廊下で寝かせておくわけにもいかない。
俺はキョウコさんのバッグから鍵を探し出し、202号室のドアを開けた。
それからキョウコさんをお姫様抱っこして部屋に入る。
相変わらずの汚部屋だ。
脱ぎ散らかした服や書類の山が床を埋め尽くしている。
足の踏み場もないとはこのことだ。
「……ごめんね……今は少し散らかってて……」
「いつもかなり散らかっていますよ……。でも、気にしないでください。とりあえず寝かせますから」
俺は奥のベッドにキョウコさんを寝かせた。
ベッドは唯一、物が置かれていない聖域のような場所だ。
「水、持ってきますね。着替えをここに置いておきますね。そのままだと汗が冷えて風邪をひいちゃうので、すぐに着替えてください」
「わかった……」
俺は台所へ行き、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出す。
タオルを濡らして絞り、ベッドに戻った。
「ん……冷たい……気持ちいい……」
額に濡れタオルを置くと、キョウコさんが安堵の息を漏らす。
無防備な部屋着姿で、胸元が大きくはだけている。
推定Hカップの双丘が、呼吸に合わせて上下していた。
(おっほっほ、これはこれは……!)
看病中ということを忘れて凝視してしまう。
俺が巨乳好きなのは周知の事実だ。
この変態的な視線は看病のお礼と思って我慢してもらいたい。
とはいえ、ニヤニヤしながら眺め続けるのも問題だ。
「じゃあ、心の底から名残惜しいですが、俺はこれで……!」
役目を果たしたので退散しようとする。
だが、そんな俺の袖をキョウコさんが掴んだ。
「朝比奈くん、行かないで……」
キョウコさんが潤んだ瞳で見つめてくる。
ドキッとした。
弱った年上女性の醸し出す色気には特別な魅力がある。
「わ、わかりました、そばにいます。でも、どうしてこんなになるまで働いたんですか? いくらブラックなダンジョン管理局でも、さすがにこれは……下手すりゃ過労死していましたよ」
俺はベッドサイドに腰を下ろし、キョウコさんの手を握った。
「……異常発生の……予兆があって……」
「異常発生?」
「深層エリアの……魔素濃度が……異常に高くなってて……〈スタンピード〉が起きるかもって……」
「スタンピード?」
「うん……」
俺はスタンピードが何かわからなかった。
すぐさまスマホで調べてみたところ、ダンジョン災害の一種だと判明した。
魔物が爆発的に繁殖し、ダンジョンからあふれ出す現象のことだ。
ついでに魔素濃度についても調べてみた。
――が、こちらは小難しい解説が出てくるだけでさっぱり理解できない。
ただし、濃度が高いほど強力な魔物が出やすいことはわかった。
「スタンピードの対策で働き詰めだったわけですか」
「原因が特定できなくて……上がうるさくて……」
キョウコさんはうわごとのように呟くと、そのまま眠りについた。
この前、一緒に焼肉を食べたときとは比較にならないほどやつれている。
よほど無理をしたのだろう。
(スタンピードの予兆、か)
俺は眠るキョウコさんの顔を見つめた。
それから胸を凝視して、ムラムラした気持ちで考える。
(今なら少しくらい揉んでも……って、そうじゃない。本当にスタンピードが起きたら、とんでもないことになるぞ)
検索してわかったことだが、スタンピードは過去にも起きているらしい。
それも複数回起きており、小さな町が壊滅したケースもあるそうだ。
なので、ダンジョン管理局が必死になって対策に動くのも当然だった。
(俺も自分にできることをしよう)
キョウコさんの頭を撫でた。
「うぅぅん……朝比奈くん……お肉ぅ……」
キョウコさんは夢の中で肉を食べているようだ。
廊下で倒れていたときよりは、いくらか顔色がよくなっていた。
「少し出かけてきますね」
俺はゆっくりと立ち上がると、静かに部屋を出た。
自宅ですき焼きを食べて腹ごしらえを済ませると、再び外に出る。
冒険者用のショップで必要な物を調達して、深夜のダンジョンに入った。
東京の平和を守るため、俺がスタンピードを止めてやる。
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