020 居眠り姫
マリンの部屋は、想像以上に広く感じた。
キングサイズのベッドを置いてもなお余裕があるからだろう。
配信者ということもあり、PC関係の機器も充実している。
とまあ、それはさておき。
(なんだかムードがあるな……)
室内は間接照明だけで薄暗い。
そのうえ、アロマの香りが漂っている。
期待に胸が膨らんだ。
「ほら、迅くん、早く早く!」
マリンが先にベッドに潜り込み、ポンポンと隣を叩いた。
俺は覚悟を決めて、ベッドの端っこに体を横たえる。
マットレスが高級すぎて、体が沈み込むようだ。
「じゃあ、電気……消すね?」
パチン、と部屋が闇に包まれる。
視覚が遮断された分、他の感覚が鋭敏になった。
ふわりと漂うマリンの甘い香りが本能を刺激する。
「おやすみ、迅くん」
「おう、おやすみ」
平静を装う俺だが、心の中は穏やかではなかった。
(本当にただ寝るだけなのか? 違うよな? よな!?)
暗くて見えなくとも、気配でわかる。
マリンは俺に背を向けているが、眠ってはいない。
(何だかんだ言っても、ベッドに誘った時点でマリンも気があるはずだ。ここで俺が手を出したからといって、関係がこじれることはないだろう。大丈夫、大丈夫だ。ここは攻めても大丈夫な場面だ!)
そう思うものの、体が動かない。
(せめてマリンが何か合図を出してくれれば……! 例えば、「いいよ」とか、そういう一言があれば……!)
我ながら情けない思考だ。
村の人間が知ったら「根性なし」と嘲笑されるに違いない。
「………………」
残念ながら、マリンは何も言ってこない。
(だったら俺から尋ねるか? いや、声をかけるのは男らしくないだろ。それなら何も言わずに抱きつくほうがまだマシだ。勇気を出せ、朝比奈迅!)
ポケットに忍ばせた避妊具を触りながら、必死に自らを鼓舞する。
(根性だ! 朝比奈迅! 行くぞ! 抱きつくぞ!)
俺は体をマリンに向けた。
背後からゆっくりと腕を伸ばす。
いきなり胸を触るのはナンセンスだろう。
まずは軽く肩を掴もう。
――と思ったのだが。
「ふにゃあ……ぐぐぅ……」
マリンの寝息が聞こえてきて、俺の手はそこで止まった。
どうやら俺が悶々としている間に寝てしまったようだ。
(さすがに寝ている相手に手を出すわけにもいかないよな)
俺は自分のことを「根性なし」と責め、眠りに就く。
かくして俺は千載一遇のチャンスを見逃し、童貞を貫くのだった。
◇
ゴールデンウィークが明け、平穏な日常が戻ってきた。
ただし、暁冒険者学園では初っ端から試験が待っていた。
「これより、一学年全体の実技試験を行う!」
学内ダンジョンの建物で、レイコ先生が高らかに宣言する。
そこにはF組だけでなく、他のクラスの生徒も集まっていた。
「今回の試験は【学内ダンジョンの攻略】だ!」
ルールは単純だ。
各自でパーティーを組み、制限時間内にダンジョンを攻略する。
攻略条件は二種類で、ダンジョンを踏破するか、規定のポイントを獲得することだ。
「どちらの条件で攻略してもかまわないぞ。それと、パーティーは好きな奴と組んでいい。もちろん、他のクラスの生徒と組むことも許可する。ただし、ボッチは減点だ!」
「氷川先生、減点なんてシステムはありませんよ。ソロでも結構ですから。ただ、よほどの実力者でない限り、ソロではクリアできないでしょう。パーティーを組むようにしてくださいね」
他の教師が慌てて訂正する。
「わかったらさっさとパーティーを組み始めろ!」
レイコ先生が言うと、生徒たちが動き出した。
そこら中でパーティーが結成されていく。
(俺はソロでいいな)
桐生院との戦いに使った灼熱地帯。
あそこが、この学園で最も難度の高いダンジョンと言われている。
それでも余裕だったので、パーティーを組む必要性が感じられなかった。
しかし――。
「朝比奈君! 僕たちのパーティーに入らないか!?」
「いや、俺たちのパーティーに入ってくれ!」
「私、最強のジャージにあやかりたいわ!」
俺を求める生徒は山ほどいた。
桐生院との決闘騒ぎやマリンの配信により、俺の実力が知れ渡っているためだ。
今や俺は「試験攻略のフリーパスチケット」である。
「悪いが、他を当たってくれ」
俺は群がる有象無象を適当にあしらった。
知らない奴と組んでも得することなどなにもないからだ。
俺の態度を見て、大半の生徒が諦めていく。
一方、ある生徒は逆に近づいてきた。
「……迅、ボクと組む」
ルナだ。
背後から抱きついてきた。
まるでコアラのように、俺の首に腕を回して張り付いている。
目の下のクマがいつになく濃い。
海外から戻ったばかりで時差ボケが酷いのだろう。
「まあ、ルナならかまわないな」
俺はルナを背負い、ダンジョンゲートに向かう。
ゲートは複数並んでいて、それぞれ難易度が異なっている。
「レイコ先生、どのダンジョンでもいいんですか?」
俺は振り返り、レイコ先生に尋ねた。
「おう。当然ながら高いランクほど高評価だけどな!」
「そういうことなら……」
俺は迷わずCランク――最低難度――のゲートを選んだ。
「おい、迅! なんでCなんだよ! お前ならAランクでも楽勝だろ!」
レイコ先生が怒鳴る。
他の生徒も驚いている様子だった。
「別に成績とか興味ないんで……」
学校での目標はただ一つ。
落第することなく無事に卒業すること。
故に今回の試験も、通過できればそれでよかった。
そんなわけで、今回はCランクで遊ばせてもらおう。
◇
Cランクのダンジョンは、薄暗い洞窟だった。
湿った空気とカビの臭いが漂う。
「……すぅ……すぅ……」
背中から規則正しい寝息が聞こえてくる。
ルナは完全に熟睡モードだ。
俺は彼女を起こさないよう、慎重に足を進めた。
「「「ギャギャッ!」」」
曲がり角からゴブリンの集団が飛び出してきた。
「静かにしろ。ルナが起きるだろ」
俺は人差し指を口元に当て、「シーッ」とジェスチャーをする。
「「「ゴブー!」」」
しかし、ゴブリンどもは調子に乗って吠えた。
「やれやれ、教育しないとな」
俺は音を立てずに距離を詰め、ゴブリンどもの頭を叩く。
脆弱なゴブリンの頭部は一撃で木っ端微塵になった。
悲鳴を上げることもなく死亡し、胴体だけが地面に転がる。
魔石は自動的に吸収されて消えた。
「……んぅ……迅、あったかい……」
ルナが寝言を言いながら、俺の背中に頬ずりしてくる。
幸せそうで何よりだ。
その後も、俺は散歩感覚でダンジョンを進んだ。
いろいろな魔物が襲ってきたが、すべて手で払って済ませた。
「この辺で休むか」
適当な広場に出たところで休憩することにした。
岩肌の地面にルナを寝かせて、俺も腰を下ろす。
少し離れたところでは、複数のパーティーが戦闘をしていた。
『朝比奈、星野パーティー、合格』
審査ドローンが飛んできた。
用件を伝え終わると、すぐに遠くへ去っていった。
(合格ってことは、もうダンジョンから出ても問題ないのか)
何分か休んだら退散させてもらおう。
そんな時――。
「おい、そこの腰抜け!」
馬鹿の集団が近づいてきた。
銀縁眼鏡の自称エリートこと桐生院ハクとその取り巻きたちだ。
肩で風を切って歩いてくる。
「……んん……うるさい……」
ルナが不快そうに眉をひそめた。
「見つけたぞ、朝比奈! 前の借りを返しに来た!」
桐生院は俺を指差し、鼻息を荒くしている。
「静かにしてくれないか? ルナが寝てるんだ」
「知ったことか! 今日こそは僕の魔法で黒焦げにしてやる! この新しい杖の威力、思い知るがいい!」
桐生院が高価そうな杖を構えた。
「黒焦げ」と言っているので、火属性の魔法を使うのだろう。
前回は氷属性の魔法を使っていたが……なかなか器用な男だ。
「やれやれ、懲りない奴だ」
俺はため息をつき、ルナを起こさないよう静かに立ち上がった。
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