014 深層からの来訪者①
時の経過は早いもので、気がつくと4月も終わろうとしていた。
そんなゴールデンウィークを控えたある日の放課後――。
俺とセラは、二人でダンジョンの地下十九層を訪れていた。
セラ曰く、ここは「迷いの森」と呼ばれているエリアだ。
その名が示す通り、鬱蒼とした森と草原が広がっている。
階層のわりに手強い魔物が多いらしいが、俺にとっては等しくザコだ。
今は、その森に向かって草原を歩いている最中だ。
「二人きりでの探索は初めてですわね、迅さん」
隣を歩くセラが、恥ずかしそうに頬を染めて言った。
今日の彼女は、学校帰りということもあって制服姿だ。
ボディラインがわかる強化スーツもいいが、制服姿も似合っている。
俺に戦闘を委ねており、刀は抜くことなく鞘に収めたままだ。
「そうだな。いつもは賑やかだから、なんか新鮮だ」
マリンは他の配信者とのコラボ企画で忙しくて不在だ。
最近はそういうことが多くて、しばしば彼女抜きで過ごしていた。
俺のおかげで今では東京でも屈指の人気配信者だ。
一方、ルナは論文の発表で海外に行っている。
何やらすごい学会に参加するらしく、学園長が喜んでいた。
というわけで、今日はセラと二人きりだ。
何だかんだで約一ヶ月の付き合いになっていたので、緊張することはなかった。
ただ、セラのほうは普段より緊張している様子だ。
「……その、手、繋いでもよろしいですか?」
「え? ああ、はぐれたら困るしな」
俺が許可すると、セラは嬉しそうに俺の手を握ってきた。
華奢で柔らかい手だ。
剣ダコがあるかと思ったが、意外なほどすべすべしている。
「やった……! 迅さんと手を繋ぎましたわ……!」
「喜ぶほどのことじゃないと思うが……」
俺は苦笑しつつ、周囲に目を向ける。
(めちゃくちゃ見られているな。またしても目立っている……)
周囲の冒険者たちが、奇異の目で俺たちを見ていた。
何とも居心地が悪いけれど、仕方ないとも思う。
ダンジョンで手を繋いでいる高校生がいたら、誰だって見るものだ。
そのうえ、俺とセラはどちらも有名人である。
すぐに「ジャージ男」や「名家の令嬢」という声が聞こえてきた。
「ふんふーん♪ 迅さんと二人きり♪」
セラは全く気にすることなく上機嫌だ。
鼻歌交じりにリズミカルな足取りで歩いている。
そんな時――。
ガサガサッ!
茂みからキラーエイプが飛び出してきた。
凶暴な大猿で、図体に反して不意打ちを好む卑怯者だ。
「きゃっ! 迅さん!」
「問題ない」
俺は繋いでいないほうの手で対処した。
キラーエイプの顔面に裏拳を食らわせてやったのだ。
ブシャアアアアッ!
キラーエイプの顔面が粉砕した。
残った胴体は遥か後方に吹き飛んでいく。
「相変わらず、無駄のない動きですわ……!」
セラがうっとりとした目で俺を見つめる。
「そうか? ただ払っただけだぞ?」
「それが凄いのです。私の父も常々言っていました。『真の強さとは、日常の所作にこそ宿る』と」
「俺の祖母は『大根を抜くのに三秒もかけるな、このたわけが!』ってよく言っていたよ」
「あはは。さすが迅さん、冗談も冴えていますわ!」
セラが上品に笑う。
(冗談じゃなくて事実なのだが……ウケたようなのでよしとしよう)
俺は一呼吸を置いてから言った。
「セラのお父さんは、何となく厳しそうなイメージがあるな」
「ええ。父は強さのみを追求する修羅のような人です。『剣聖』の二つ名は伊達ではありません。私も幼い頃から厳しく鍛えられました」
そこで言葉を区切ると、セラは「でも……」と続けた。
「迅さんの強さは父とは違います。もっと自然体で、温かみがありますわ」
セラが俺の手を握る力を強める。
「よくわからないが、何となく理解できる。俺は素手で戦うからな。剣聖のお父さんとはタイプが違うのは当然だ」
ちなみに、俺も武器を使うことがある。
武闘家ではないため、素手の戦闘に大したこだわりはない。
ただ、敵が弱いから素手でも十分というだけのこと。
神隠村で過ごしている時は、鍬などの農具を武器にすることが多かった。
「私は、そんな迅さんの強さに憧れています。そして、お慕いして――」
そこまで言いかけた時だった。
ズズズズズ……ッ!
空気が重く震えた。
「キャァァァァァ!」
遠くから何かの咆哮が聞こえてくる。
「に、逃げろ! ボスが出るぞぉおおお!」
前方の森から、冒険者たちが蜘蛛の子を散らすように逃げてくる。
彼らの背後にある空間が歪み、そこから巨大な影が姿を現した。
全身が黒い甲殻に覆われた、巨大なカマキリ型の魔物だ。
鎌の一振りで大木を薙ぎ倒し、その鋭い複眼で獲物を探している。
「なっ……あれは!?」
セラが目を見開き、戦慄する。
「知っているのか?」
「ええ! 『深層の死神』……デス・マンティスですわ! 本来なら地下四十層以下に生息する魔物ですわ!」
通常、魔物は自分の適正階層から大きく離れることはない。
深層のボスがここに現れるなど、本来であればあり得ないことだ。
ただ、東京では稀にこうした問題が起こるのだろう。
他の冒険者やセラの反応から、俺はそう推測した。
(ボスの登場時に空間が歪んでいたので、それが関係しているっぽいな)
そんなことを考えながら周囲を見回す。
他の冒険者たちはパニックに陥り、我先にと逃げていた。
このエリアが適正階層の連中にとっては、深層の魔物は「死」そのものだ。
賢明な判断と言える。
「迅さん、私たちも逃げましょう! 一刻も早くダンジョン管理局に報告して、Sランク冒険者に対処してもらわないといけませんわ!」
セラが青ざめた顔で俺の腕を引く。
だが、俺はその場から動かなかった。
「ふむ……」
俺はデス・マンティスを値踏みするように見上げた。
鎌の鋭さ、甲殻の艶……そして、何よりも肉付きの良さが目を引く。
「あいつの肉、美味そうだな」
「は、はい?」
セラが素っ頓狂な声を上げる。
「カマキリの肉ってのは、鶏肉に似てさっぱりしていると聞いたことがある。それに、あのデカさなら相当な量が取れるぞ。深層に棲息している魔物なら、それなりに高級なはずだ」
「迅さん、何をおっしゃっていますの……?」
俺は「ふっふっふ」とニヤけた。
脳裏に浮かんでいるのは、キョウコさんの顔――いや、胸だ。
珍しい肉だから、きっと喜んでくれるに違いない。
(あわよくば夢の揉み揉みイベントも……!)
気がつくと、俺は舌なめずりをしていた。
「迅さん、正気ですか!? デス・マンティスは個人戦に特化した魔物ですわ! 1対1で戦う場合、その戦闘力はアビス・ドラゴンを上回ります!」
「大丈夫だ。セラ、俺に任せておけ」
俺はセラの手を優しく解き、一歩前へ出た。
「キシャァァァァァ!」
デス・マンティスが威嚇音を上げる。
真紅の目は、真っ直ぐに俺を捉えていた。
普通の人間なら、目が合うだけですくみ上がるだろう。
だが、俺からすれば可愛らしいものだ。
「今日の晩飯はカマキリの唐揚げだな」
俺はニヤリと笑った。
セラを守り、キョウコさんの胸を揉むため――深層の敵を、討つ!
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