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聖女の帰省

作者: 河辺 螢

 王都の聖堂にいるリアーナが帰省すると連絡があった。


 リアーナは十歳の時に聖なる力を持っていることがわかり、以来家を離れ、聖女候補として王都にある聖堂で女神にお仕えしている。


 聖なる力を持つ子供は聖堂で力の使い方の指導を受け、治癒や浄化の力を身に着ける。力が使えるようになった者は聖女見習いとして聖堂に所属し、救いを求める人々を助け、時には魔物討伐に同行することもある。聖なる力を使い続けると瘴気の影響を受け、心身に疲れがたまりやすくなりがちで、希望すれば休養のため故郷に戻ることが許されていた。



 家の前に止まった馬車は象牙色に塗装されていて、扉が開くと布張りの座席が見えた。馬車から降りてきたリアーナが着ている聖女見習いの服は清楚なデザインで、上等な布で丁寧に縫製されていた。

 リアーナはトランクを受け取ると、世話人に礼をした。遠くで見ていても品のある、いかにも女神に使える聖女見習いといった印象を受けた。


 しかし家に入るとリアーナはすぐにその服を脱ぎ、普段着に着替えると、背中からベッドに倒れ、ほうっと息をついた。


 家に戻って来たリアーナはいつもイライラ、ピリピリしていて、口から出てくるのは溜息に愚痴、文句ばかり。


「貴族のお嬢様は夜間勤務を免除なんて、どうかしてるわ! 有事になれば平民も貴族もないっていうのに」

「治療中にじいさんが触ってくるのよ、触らなくても治せるって何回言っても無視して! 死ね! エロじじい!」

「酒飲み過ぎで肝臓壊しといて、酒場で倒れて頼ってくんじゃないわよ。酒樽で溺死すればいいんだわ!」

「毎日一所懸命祈ってるのに、ちょっと作物の育ちが悪いと手を抜いてるんじゃないかって言いがかりつけて…。私達にそんな力あるわけないじゃない」

「『今度の競馬にあの馬を勝たせてください』? 賭け事に神頼みするなんて、バッカじゃないの? 祈れば勝つとでも思ってるの? 女神様、あんな奴らの懐、すっからかんにしてやって!」


 とても聖女になる(かもしれない)人とは思えない愚痴の数々。料理をしながら母は笑って受け止め、セレーナは呆れながらも時に頷き、時に突っ込みながら聞いていた。



 久しぶりにリアーナが帰って来たからと父は鳥を仕留め、高価なバターを分けてもらった。いつもより豪華な食卓を前にしても感謝の言葉もない。セレーナは鳥を香草焼きにし、なかなか上手にローストできたと思うのだがおいしいという言葉は出ず、昔は平気で食べていた黒パン、具の多くないスープは気に入らなかったみたいだ。聖堂での食事に舌が肥えてしまったのだろう。もちろん後片づけもしない。卓上の皿さえほったらかしだ。


 「休養」のために戻ってきたリアーナは、その名目通り家の事には全く手を貸さず、まるで貴族のお嬢様のようにあれをして、これをしてと要求してくる。

 信心深い両親は娘が聖女候補になり、その勤めを果たしていることを誇らしく思っていたが、大して裕福でもなく、使用人もいない平民の家でごろごろしてご飯を出してもらえるのを当たり前だと思っている姉がセレーナには面白くなかった。とは言え親が容認しているのに自分が手伝ってくれとも言えない。不満はたまる一方だ。


 夜着を忘れた時はセレーナの使っているものを貸したが、着古した服に肌触りが悪いと文句を言われた。翌日には母が新しい夜着を買ってきたが、それさえも自分の好みからは遠かったようで面白くない顔をしていた。

「私が帰ったら使えばいいわ。おこぼれに預かれてよかったじゃない」

 その言葉に、セレーナは姉の夜着を投げつけた。

「私が欲しいのはおこぼれじゃないわよ! 何よ、聖女様なんて、女神様のおこぼれをもらって生きてるだけじゃない!」

「何ですって! 私がどれくらい大変な仕事をしてるか」

「私だって働いてるわよ! 畑行って、ご飯作って、鶏の世話して、遊んで暮らしてなんかないわ!」

 セレーナだって新しい夜着が欲しかったのを我慢していたのに、簡単に買い与えられて、それに文句をつける姉が許せなかった。発端はそれだけだったが、久々に取っ組み合いのケンカをして母親に怒られた。


「聖女候補に手を挙げるなんて、罰当たりな!」

 一方的にセレーナを叱る母に、セレーナは反発心でいっぱいになった。ケンカの理由さえ平等に見てくれない。ただ姉が聖女見習いというだけで自分ばかりが怒られ、自分ばかりが我慢させられることにセレーナは納得がいかなかった。

 そのうえ、つい口から出たとはいえ、聖女をバカにするようなことを言ってしまった。母に告げ口され更に叱られるに違いないと覚悟していたが、リアーナはそのことを母に言わなかった。


 その日はずっと険悪でお互い口を利かず、夕食にはリアーナがあまり好きではないキノコを多めによそったが、リアーナは眉をひそめながらも文句は言わなかった。


 翌日、朝食に朝一番で摘んできたダークベリーを添えると、リアーナは目を輝かせ、すぐに一つつまんで口にした。小さい頃よく二人で取りに行き、たくさん取って家に持って帰るつもりが大半をその場で食べてしまったくらい大好きな実だった。

「やっぱりダークベリーはおいしいわねぇ」

「今年は谷側が豊作なのよ」

 聖女見習いになっても対等にケンカし、いつの間にか仲直りしているのも姉妹ならではだ。



 聖堂暮らしに慣れたリアーナは、この村では風呂に入ることさえ贅沢だということを忘れてしまったのか、二日に一度は風呂に入りたいと言った。

 村の教会では、リアーナが聖女候補になってからしばらくの間聖堂の幹部が訪れていたことがあり、その時に入浴設備が作られた。今では偉い方々は滅多に来ないが、リアーナが帰って来た時にはその施設を使うことが許されていた。しかしお偉い方々が来た時には同行した使用人が手分けしてやる仕事を、帰省した下っ端聖女見習いのために引き受ける人はなく、必然的に風呂の準備はセレーナの仕事になった。


 水を汲み、湯を沸かし、バスタブを満たすのは重労働だ。

 準備ができた風呂にゆったりと浸かるリアーナ。くつろいだ溜め息が漏れるが、感謝の言葉一つなく、時には

「香油か、せめて香草くらいあるといいのに」

などと言われ、母に目で促されれば次の入浴時には用意しなければいけない。香油など買う余裕はないので、山に出かけたついでに香りのよい木の葉や枝、草を摘んで湯船に浮かべておいた。姉が気に入った香草は家の近くに植えておき、次の年には要望があればすぐに庭で調達できるようにした。


 セレーナは家の果樹園のオリーブからとった油で石鹸を手作りしていたが、入浴時にはリアーナはそれを惜しげもなく使った。聖堂で香りのいい高級な石鹸を使い慣れているのだろう。

「相変わらずぱっとしない匂いね。もう少しいい香りになればいいのに…」

と文句を言いながらも、帰るときには家にある石鹸を全て持って帰ってしまうので、家で使う分がなくて困ってしまう。何度か持って行かれてからは、セレーナは自室に二、三個隠しておくようにした。


 リアーナが風呂を使った後、セレーナも使ってもいいことになっていた。これがあるからこそ愚痴りながらも用意する気になれるというものだ。お湯を使って体を洗うなどこの村に住む者には贅沢中の贅沢。手桶一杯のお湯で体を拭くか、暑い夏なら川の水で行水するのが普通だ。

 自分で作った石鹸も、体全体に使うのはこの時くらいだ。普段は汚れた手や顔を洗うか、時に頑固な服の汚れを落とす時にも使うが、それさえも贅沢だ。

 終われば片付けが待っている。リアーナはとっくに家に帰っていて、一人できれいに掃除して家に戻る。


 セレーナが家の仕事を片づけ、ようやく一息つく頃、リアーナは既に眠っていることが多かった。女神へ祈りを捧げるため、朝は早いのだという。


 リアーナが間近で祈りを捧げた朝は、朝露に洗われたかのように世界が美しく見えた。



 概ね五日ほどで迎えが来て、リアーナは王都に帰って行く。来た時はいらつき悶々としていた表情にゆとりが生まれ、笑顔を見せていた。

 セレーナはリアーナが王都の聖堂で何をしているのか知ることはない。しかし決してちやほやされているだけではないのは想像がついた。


 別れ際にセレーナがダークベリーのジャムを手渡すと、

「これ好きなの。…ありがとう」

と珍しく礼を言われた。


 迎えに来た馬車の中には時に別の聖女見習いが乗っていることもあった。平民の帰省用の馬車は相乗りも珍しくない。

 世話人に荷物を預けると馬車に乗り込み、にこやかに家族に手を振って、リアーナは王都の聖堂に戻っていった。


 リアーナが家に戻るのは年にほんの一、二回。いなくなればまたいつもの生活に戻る。

「寂しくなるわね」

 母はそう言ったが、セレーナはリアーナがいなくなると一仕事終えた気分になり、寂しさよりもむしろほっとしていた。


 ◇ ◆ ◇


 リアーナは十五歳で聖女になり、十九歳になった時これまでの働きが認められ、「四方の聖女」の一人、「西の聖女」の称号を得た。この国の聖女の中でも特に力のある四人のうちの一人に選ばれたのだ。


 「西の聖女」になると結婚の申し込みが殺到し、その中からアヴァティーノ公爵家の四番目の公子との婚約が決まった。リアーナの意向を聞かれることなく聖堂が認めた婚約は、受ける以外の選択肢はなかった。


 聖女とは言え平民のまま貴族籍に入る訳にはいかず、リアーナはフィンツィ侯爵の養女になることが決まった。それは本当の両親の子供、セレーナの姉ではなくなるということだ。

 侯爵家の使者が家を訪れ、成り行きを説明すると、両親はショックを受けながらもリアーナが幸せになるのならと承知した。母の落胆ぶりは激しく、終始泣き通しだった。


 使者はリアーナの生家を見て、侯爵が訪問するにはあまりに難があると言い、両親を王都に招くことにした。戸惑う両親に、来なくても養子の手続きはできるがせめてもの恩情だと言った。リアーナとの別れの場を設けてやるという意味だ。


 一週間後、両親は侯爵家の用意した馬車で王都に向かった。

 誰もいなくなると畑や家畜の世話に支障が出るので、セレーナは家に残った。リアーナに渡してもらうようダークベリーのジャムと手作りのオリーブ石鹸を箱に入れ、手紙を添えて父に託した。


 これからはリアーナの帰省先はフィンツィ侯爵家になり、家に戻ることはなくなる。

 もう姉に会うことはないのだろう。


 そう思っていたのだが…。



 半年後、突然リアーナが帰省することになった。

 婚約者と共に訪問すると一報があったのは到着する前日で、あまりに急なことに充分な準備もできなかった。


 場違いな豪華な装飾の馬車が家の前に止まり、降り立ったのはこの辺りには出現しそうにない王子様を思わせる装いの男性だった。青灰色のロングコートは大きな折り返しの袖に刺繍が施され、ベストにも銀糸の刺繍が入っている。クラバットは見るからに柔らかそうな真っ白の生地で、中央に付けられたタイピンの親指大の宝石がつける人の財力を示していた。

 そんな男性から差し出された手を取って降りてきたリアーナは、花や草の刺繍の施された淡いベージュのドレスをまとい、ゆったりと段を降りる姿は見るからに貴婦人だった。並んだ二人は釣り合っていたが、明らかにこの田舎の風景にそぐわなかった。


 異次元の光景にセレーナが呆然としている中、男性は両親に挨拶した。

「お久しぶりです。イレネオ・アヴァティーノです」

 アヴァティーノ公爵家の令息イレネオ、リアーナの婚約者だ。両親は王都で対面していたが、セレーナには初の顔合わせになった。


 持っている中では一番ましな服に着替えてはいたが、貧相な平民の「妹」にイレネオは小さく頷いて挨拶したものの、その目は好意的ではなかった。セレーナだけでなく、この家全体に嫌悪感を持っているのを感じた。顔立ちは整っていると言えるだろうがどうにも好感が持てず、セレーナは面倒くさい人を連れて来た姉を恨みたくなった。


「このようなところまでようこそおいでくださいました。よければお茶でも…」

「いえ、私は彼女を送ってきただけです。明日こちらに迎えに来ますので」

 イレネオは固い笑顔を向け、家に近寄ることさえ拒否していた。父も強くは勧めなかった。


 同行していた侍従と侍女がリアーナの荷物を下ろし、侍女の一人も残ることなくイレネオと共に去って行った。この先にある街で宿泊するそうだ。


 笑顔で手を振りながら馬車を見送るリアーナ。

 こんな豪華なドレスをセレーナは見たことがなかった。オリーブを買い付けに来る商人の奥方でもこれほどのドレスを着た人はいない。まさか姉がこんな装いをし、それがこんなにも似合っているなんて。品があり、少しもドレスに負けていない。思わず見惚れてしまった。


 馬車が見えなくなると振り返ったリアーナは眉間にしわを寄せ、不機嫌な顔を隠さなかった。それはいつも帰省した初日に見せる顔だった。


 リアーナは家に入ると服と揃いのヒールの高い靴を脱ぎ捨て、早々に服を脱ぎたがった。セレーナは姉と共に部屋に行き、着付けもよくわからないドレスを姉に聞きながら脱ぐのを手伝い、汚れがつかないようベッドの上に並べた。ぎゅうぎゅうに締め上げたコルセットを取ると、リアーナは水に戻された魚のように大きく息をついた。きれいに結い上げられていた髪をほどき、セレーナの服を借りて着替えれば、そこにいるのはセレーナのよく知っているいつもの姉だった。

 

「…何でついてきたのかしら。家くらい一人で帰れるわよ。一緒にいるだけで気疲れするわ。会話は面白くないし、どこに行っても平民は平民は、って愚痴ばっかり。そんなに平民が気に入らないならこの縁談だって断ればいいのよ。怪我した子供を前にして『聖女の力は貴族のためにある』ですって! 私の力よ! おまえのもんじゃないわ! ずっとあんなのに従って生きていかなきゃいけないのかと思うと、ぞっとするわ!」


 リアーナの愚痴はイレネオから始まり、公爵家、侯爵家、それに聖堂も加わり、今の待遇への不満を吐き出した。


「『平民には覚えるのは難しいのでしょうね』って、そっちが間違ったこと教えといてぬかすんじゃないわよ! 聖女への敬意なんて見せかけだけ、平民ってだけでバカにしていいと思ってんのよ」

「『貴族籍の聖女様ならよかった』って私に言うな。引き抜けなかったのは公爵家の力がないからよ。舐められてんのよ。自分の無力を恨めっての。こちとら西の聖女、他に引く手数多なのよ。自分から手を挙げといて今更愚痴るなっての!」

「平民嫌いな息子に平民あてがっといて、私に何とかしろって、何ともなるか! ばーか!」

「お貴族様の名前なんて覚えてられっかー! 私は聖女なんだぁああ! 貴族名鑑覚えるより祈らせろっ! こっちは聖詞を諳んじられるわよ! 聖詞も覚えてないエセ信者が」

「最前線送っといて『偽貴族』呼ばわり…。聖女なら貴族だろうと現場行きなさいよ、現場! 聖堂が平民差別してどうすんのよ!」


 相変わらず母はうんうんと頷きながら愚痴を聞く。セレーナもまた時々突っ込みは入れるが、基本聞き役だ。


 今回は一日だけの滞在でも風呂には入りたいという。聞けば昨日も宿の湯を使ったというのに

「どうしても!」

と譲らず、リアーナのリクエストに応じてやれと母の目線が訴えている。

「はいはい」

 諦めた返事をして、セレーナは風呂の準備に向かった。


 川に仕掛けておいた網にかかっていた魚と、今朝鶏が産んだ卵を使った夕食。母が夕食を作っている間、リアーナはずっと母に話しかけ、時に愚痴を、時に王都の素晴らしさや侯爵家での豪華な生活を語りながらも、あまり楽しそうではなかった。


 お風呂につかり、食事を済ませ、リアーナは以前と変わらず実家でのぐーたらお客様待遇を満喫していた。


「ねえ、家の石鹸、もらっていい?」

 リアーナは珍しく石鹸をトランクに詰める前に、セレーナに声をかけた。

「さっきお母さんに聞いたんだけど、この前、私のためにジャムや石鹸を用意してくれたんだって? ごめんね、お礼も言わずで。私の手元に届かなかったの。勝手に処分されたみたいで…」

 侯爵家にはなじまない品だったのかもしれないが、石鹸は平民には決して安くないものだ。買った物ではないが、大切なオリーブオイルをたっぷり使い、時間をかけて作っている。人からのプレゼントを勝手に処分するような家で暮らし、聖女への敬意より平民への侮蔑を向けられ、それでも誇り高く毅然として見せているのだろう。しかも夫になるのがあの男では、セレーナはリアーナに同情せずにはいられなかった。


「王都の石鹸は匂いはいいけど、なんだか肌になじまないのよ。トランクの中に隠して持って帰りたいの」

「わかったわ。持って行って」

 セレーナは予備の1つを残し、自分用に取り置いていたものも全てリアーナに渡した。

 リアーナはほっとした顔で、

「ありがとう」

と礼を言った。すんなりと出てきた礼の言葉にリアーナの苦労を感じた。



 両親が侯爵家に招かれた際、侯爵家の養子になった以上リアーナとは縁を切ってもらうと言われていた。今後親と名乗ることはもちろん、会うことも、訪ねて行くことも、手紙のやり取りさえも許さないと言われたのだ。

 それが今回、一日だけとはいえ突然帰省することになったのは、リアーナの聖なる力に陰りが見られたせいだった。


 聖女は聖なる力を使って瘴気や邪気を晴らす半面、禍々しいものに触れる機会が多く、力を弱める原因にもなる。

 婚約が決まり、聖堂から侯爵家に居を移してから、リアーナは目に見えて瘴気をため込むようになっていた。それも魔物由来ではなく、人から吐き出される悪意や邪念が瘴気になったものだ。

 リアーナはいつも笑顔を見せて取り繕っていたが、ある日リアーナを見た神官長は驚いた。粘度を増し、祈っても払っても拭いきれない澱がリアーナにまとわりつき、聖なる力が弱まっているのを見て、神官長はリアーナに本来の自分に戻れる場所、故郷に帰って休息をとることを提案した。


 侯爵家、公爵家とも難色を示したが、神官長の決定には従うしかなく、旅行の体でたった一日だけながら真の実家への帰郷が実現したのだ。



 侯爵家に言われるままリアーナとの接触を断つのが面白くなかったセリーナは、リアーナと話し合い、リアーナへの手紙や差し入れを聖堂宛てに送ることにした。


 リアーナがいつも持てるだけの石鹸を持ち帰っていたのは、仲間の聖女や聖女見習いにもおすそ分けしていたせいだった。素人が作った石鹸だが、匂いは癖があるが肌がつるつるになり、テンションが上がると好評だった。その石鹸が手に入ると言えば、みんな喜んで荷物の中継ぎを頼まれてくれるだろう。いつだって悪だくみする時は気が合う姉妹なのだ。



 充分とはいえないまでもリフレッシュし、元気を取り戻したリアーナだったが、昼に迎えに来たイレネオに

「なんだその粗末な格好は! この私が迎えに来たと言うのに恥ずかしくないのかっ」

と平民の格好を咎められた。

「私と妹ではドレスを着ることはできなかったのです」

 服はセレーナのものでも、イレネオを前にしたリアーナは背筋をピンと伸ばし、指先をそろえ、隙のない所作を見せていた。休暇は終わったのだ。

「これだから平民は。…すぐに着替えるんだ」

 すぐに侍女二人が家に入り、リアーナの身支度をした。イレネオは

「座ってお茶でも」

という母の申し出を断り、家に一歩も足を踏み入れることはなかった。

 髪型と化粧は簡易に済ませ、リアーナの身支度が整うと、ゆっくりと別れのあいさつを交わすこともなく急かされるまま家を離れた。


 次はいつ戻れるかわからない。もう戻れないかもしれない。それでも一日だけでも会えてよかった。

 セレーナは姉から手紙が来たらすぐに送れるよう、新しい石鹸づくりを急ぐことにした。


 ◇ ◆ ◇


 その後、半年もせずリアーナとイレネオとの婚約はなくなった。

 イレネオが婚約後も複数の女性と関係を持ち、その女性達がリアーナに数々の嫌がらせをし、邪念を払いきれなくなったリアーナがたまりかねて聖堂に逃げ込んだのだ。


 事情を聴かれたイレネオは自分達の正当性を主張した。貴族に愛妾がいても問題ない、高貴な血を保つため当然の行為、聖堂が「貴族の聖女」をあてがわなかったことこそ問題、と聖堂にまで責任をなすりつけた。

 これを受け、神官長はこの婚約の無効を宣言した。そしてアヴァティーノ公爵家には聖女を守る力がないとして、貴族平民を問わず今後聖女をあてがうことはないことを通達した。

 公爵は慌てて弁明し、処分の撤回を求めたが、その決定が覆ることはなかった。イレネオは公爵の怒りを買い、王都から遠く離れた領地で蟄居を命じられた。


 リアーナを養女にしたフィンツィ侯爵はこの裁定に驚き、即座に養子縁組を解除した。リアーナには一方的に手紙で知らされ、置いてきたものは公爵家からもらった宝飾品を含め全てなかったことにされていたが、今更侯爵家にも宝飾品にも未練はなかった。



 一旦は聖堂に戻ったリアーナだったが、すぐに次の婚約者が決まった。

 リアーナを見初め、婚約者候補に名乗りを上げたのは王の一番下の弟だった。

 王弟ブルーノとは魔物退治の遠征で何度か一緒になったことがあった。平民に対する偏見がなく、国を守る聖女の偉大さを知るブルーノは、偏見を持つ者達からリアーナを守った。

 サトゥルノ侯爵を名義だけの養父に仕立てながら、侯爵家ではなく自身の所有する別館にリアーナを招き、聖女に敬意を持つ者で世話役を固めた。

 それ以降、リアーナの聖なる力が瘴気に脅かされることはなくなった。

 真の実家との手紙のやり取りも許され、リアーナに届く品は安全は確認されたが、勝手に没収されることはなかった。


 結婚後、ブルーノは臣籍となり、王都を離れて下賜された領で暮らすことになった。リアーナはその地で聖女としての力を存分に発揮し、領と国を守った。

 その領は真の実家ともさほど離れておらず、時々お忍びで里帰りすることもあった。


 ◇ ◆ ◇


 セレーナの石鹸はリアーナの婚家からの依頼だけでなく、荷物の中継ぎで仲良くなった聖堂の聖女や聖女見習いからも注文を受けるようになり、オリーブ畑を広げ、小さな石鹸工場を営むようになった。数は多く作れないが売れ行きは好調で、やがて聖堂のご用達となった。


 油分にオリーブオイルだけを使ったシンプルな石鹸。

 しかし体の汚れはもちろん、心の汚れや瘴気までも落とすその効果に、さすが西の聖女様の妹、聖女に匹敵する力を持つ、と聖堂界隈で秘かに噂になっていた。












お読みいただきありがとうございました。


誤字ラ出現ご容赦のほど。

毎度のことながら、予告なく修正します。


2025.8.17 お盆の帰省の季節に。

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