第18話 新人の頃は納会の存在を知らなかった
「佐野さん、雑巾洗ってきます」
「おう」
机の上の物を全部どかして念入りに水拭きする。毎日綺麗に使っていると思っても案外汚れているもので、真っ白だった雑巾がそれなりに濁ってしまった。
つくしがそれを洗いに部屋から出ると、いつものように丑岡がツッコミを入れて来た
「ま~た真心さんに甘えちゃって。いくら彼女だからって頼りすぎは良くないッスよ。そのくらい自分でやらなきゃ」
「うっせ。そんなんだからお前には彼女が出来ねーんだよ」
「どうしてそうなるッスか!?」
つくしが望んでやっているってことを理解してやれないからさ。異性にモテるコツは異性の気持ちを汲み取ってやること。デリカシーの無い丑岡にはそこが圧倒的に足りてない。
「それに真心さんは納会の準備で忙しいッスから、佐野さんの大掃除の手伝いをやってもらう時間なんて無いッス。やっぱり佐野さんは間違ってるッス」
「手伝いも何も、雑巾を洗って貰っただけじゃないか」
むしろ褒めて貰いたいくらいだ。だってつくしなら俺の分も全部やってしまいそうだから。
そうならなかったのは、俺が自分でやるべきだと思っていたから。
一年の汚れを落とす大掃除。
感謝とお疲れ様の意をこめてお世話になった机を綺麗にする。そうすることで来年も良い仕事が出来るんじゃないかってなんとなく思うから。
その気持ちをつくしが察してくれたから、ちょっとした手伝いだけに留めてくれたんだ。
「丑岡」
「はいッス!」
「手を動かせ」
「はいッス!」
疲労がピークなのか、目の隈と充血が酷い晴着さん。低音ボイスでの注意が迫力満点で丑岡がびびってら。
「普段から整頓してないからそんなに時間がかかるんだ。真心さんや晴着さんを見習え」
「うう……片付けは苦手ッス……」
女性陣の机は不要な物が置かれていないが、ちょっとした飾り付けがされているのでそれらを移動させての掃除は少し面倒そうだった。でもてきぱきと終わらせ、その飾りつけも綺麗に整え、もう大掃除は終わっている。
一方で書類やらゴミやらが散乱している丑岡の机は、必要なものなのか不要なものなのかを判断するのに時間がかかり、不用な書類をシュレッダーにかけにいったりとやることが多い。
俺の机はノートPCとコースター以外が置かれていないから、会議で掃除の開始が遅れたがすぐに終わった。
「佐野さん、納会の準備に行ってきますね」
「おう」
雑巾を洗い終えて戻って来たつくしが、今度は別の作業のために席を離れる。
うちの会社での納会はフロアごとに実施し、コンビニやスーパーで買って来たお酒、おつまみ、それと寿司やピザやオードブルなどの出前を飲み食いしながら一年間お疲れ様と労いあう。忘年会と内容が被るが、なんで両方やるのかは知らん。
その飲食物の準備や会場セッティングをするのが若手の役目であり、つくしはその仕事を開始した、というわけだ。
「今年ももう終わりか」
仕事は全部区切り良いところまで進めてある。なのでぶっちゃけもうやることがない。後は納会を待つだけなのにそれで給料を満額貰うなんて申し訳ないなって気分になる。
せめてやり残しが無いか調べておくか。
そう思って会社のポータルサイトを開いたら、異動通知の新着が目に入った。
……
…………
………………
「佐野さん、難しい顔してどうしたッスか?」
「たいしたことじゃない。異動通知を見ていただけだ」
「異動通知ッスか? 自慢じゃないけど見たこと無いッス」
「マジで自慢じゃないな。せめて偉い人の動向くらいは見ておけよ」
執行役員が退任するとか、新しい役員が外部から来るとか、他事業部の事業部長クラスの異動も知っておくべきだ。自分の会社の事なのだから当然だろう。
「というか掃除は?」
「もう終わりそうッス。それで、その異動通知がどうしたッスか?」
「そんなに気になるか?」
さらっと丑岡を指導する流れにして誤魔化そうとしたが、すぐに話題を戻されてしまった。
「佐野さんの顔が見たこと無いくらい険しかったッスから」
「マジか」
「マジッス。真心さんを呼んできた方が良いかって思ったくらいッス。でしたよね、晴着さん」
「はい」
それには異議を唱えさせてもらおう。
「いや晴着さんより険しいってヤバいだろ。というか晴着さん、もう帰って休んだ方が良いんじゃないか? 今まで見たこと無いくらい酷く疲れた顔してるぞ。そのままだと本番で倒れるだろ」
「大丈夫です。もう完成したので明日は一日中休んで体調を整えるつもりですから」
「そうか……ん? 完成したなら猶更帰ってすぐ休めって。確か休むと家でも作業しちゃうから出社してたんだろ?」
「それはダメです。今帰ったら時間があるからって修正したくなりますから」
「おいおい、そんなんで明日ちゃんと休むんだろうな」
「もちろんです。明日も休んで作らなきゃいけませんから」
「え? 休むんだろ?」
「あっ……なんでもありません」
意味が良く分からないが、本人が大丈夫って言うならこれ以上は言わない方が良いだろう。倒れないようにだけ気を使っておこう。
もしかしたら皆と一緒に納会に参加したいのかもしれないな。
「それで佐野さん、異動通知がどうしたッスか?」
「しつこいな。逃がしてくれないのか」
良い感じで誤魔化せたと思ったんだがな。
「だってマジでヤバそうだったッスよ」
そんなに心配させてしまったか。悪いことしたな。
「ただ、知り合いの名前を見かけただけだよ」
「知り合いッスか?」
「ああ。この歳になると同期とか仕事で知り合った同年代の社員とかが異動通知に載るようになるんだ。お、あいつも主任になったのかって感じでな」
「ああ~それは確かに見たくなるかもッスね」
主任になる前は俺も異動通知なんてまともに見てなかった。やっぱり知っている人や身近な人が載るかどうかってのは見るモチベーションになるよな。
「それで、誰が載ってたッスか?」
「…………この前の重大インシデントの原因となった奴」
俺の同期の久内。
そいつが十二月三十一日付で自主退職となっていた。諭旨解雇の可能性も考えたがそうではなかったらしい。
「あ~そういうことッスか。複雑ッスね」
「ですがそのインシデントは回避されたと聞いていますが」
「晴着さんの言う通りだ。詳しくは俺も知らんが、なくした業務用PCが見つかったらしい。ただそれであいつのやらかしがチャラになるわけじゃないからな。関係者らしき人が軒並み降格とか飛ばされてるっぽいし」
通知を見る感じ、ほぼ再編の勢いだな。官庁プロジェクトだし、相当きつく言われ、徹底した再発防止をするという意思を見せるために既存の組織を終わらせたのだろう。
「あいつも会社に居辛くなって辞めたんだろうな」
誰よりも出世欲が強かったあいつが、一番に脱落するなんて皮肉なものだ。
「お前らは絶対にインシデント起こすなよ。もし少しでも怪しいそぶりを見せたら、俺と部長がブチ切れて何をするか分からん」
「もちろんッス」
「はい」
異動通知は見ていて気持ちの良いものでは無かったが、見て良かった気がする。
俺にとってのインシデント事件が終わったように感じられたから。
「丑岡さん、手が空いてたらお酒の購入を手伝ってもらいたいんですけど」
「は~い、すぐ行くッス」
話をしている間にどうにか掃除が終わったらしい。フロアの入り口から顔を出したつくしの元へと丑岡が歩いて行く。
「気をつけろよ。そいつ新人の時、ビール買って来いって言われて発泡酒買ってきて大ブーイングされてたからな」
「その話は忘れて欲しいッス!」
「くすくす。荷物持ち以外は私達がやるから安心してください」
「うう……今年も最後まで二人に弄られっぱなしッス」
なんかもう終わった感を出しているが、まだまだ弄るチャンスはあるんだぞ。
「丑岡。机の上に捨てる予定の書類出しっぱなしですよ」
「ダメだこりゃ」
ほらな。
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「今年一年間、お疲れさまでした。かんぱーい」
「かんぱーい!」
「後で社長が来ますので、それまでの間ご歓談ください」
納会の大きな特徴の一つとして、社長が全部のフロアに回ってコメントするってのがある。社長に会う機会なんて滅多になくて、下っ端的には有名人を眺める一般人的な気分にしかならない。ただ、上の人達は滅茶苦茶緊張している様子で、俺もいつかはああなるんだろうな。
「佐野、お疲れ様」
「部長もお疲れ様です」
つくしが持ってきてくれた俺の好物だらけの一皿を堪能しながらビールを飲んでいたら部長がやってきた。
「南雲はまだ仕事してるのか?」
「みたいですね」
「今更何の仕事が残ってるんだよ」
「OSSのコミュニティがどうとかって言ってましたよ」
「どうせただの口実だろ。切り替えるのが下手なだけだ。少し待ってればこっちに来るだろ」
南雲さんはかなりふくよかにも関わらず、食べ物があるからって積極的に食べに行くわけじゃないんだよな。昼飯も多くないし間食はしてるけどそっちも多くないし、どうしてあそこまで大きくなったのかが良く分からん。
「お前には沢山迷惑をかけたな」
「そんなことないです。むしろ感謝してます」
部長のおかげでつくしと付き合えるようになったんだ。最高に感謝してるぞ。
「そうか、インシデント対応がそんなに楽しかったか」
「勘弁してくださいよ」
そっちかよ!
「ははは、もうお前には頼らんから安心しな」
「頼るも何も、他の部署からインシデントのヘルプを求められることなんてもう無いですよね」
「どうしてそう思うんだ?」
「異動通知見たんで」
「なるほどな」
組織再編にはインシデントを蔑ろにしそうなところを潰す意図もあるのだと俺は踏んでいる。それに執行役員の真中さんがブチ切れてたから、その辺りのルールがかなり厳密に定められることになりそうだ。
「通知見たなら話は早い。佐野、そしてつく……真心」
「はい」
「はい」
部長が真面目な顔になり、俺だけでなくつくしも呼んだ。しかも丑岡達に聞かれないようにと隅の方へと移動する。
「久内に気をつけろ」
気をつけろって、なんでだ?
「あいつが自主退職したのは知ってるだろ?」
「はい」
「辞める直前の久内の様子が異常だったらしいんだ」
「……そりゃあ異常にもなりますよね」
メンタルは確実にぶっ壊れ、仕事どころか生活すらままならないだろう。
じっくりと時間をかけて精神科に通いながら治すしかない。
「それはそうなんだが……まぁこればかりは直接見た訳ではないからなんとも言えないか。ただ、最近の久内に会った人物は口を揃えて言うらいし。目が怖い、とな」
「目が怖い?」
「それと、ぶつぶつ独り言をするらしいが、その中で『佐野』という言葉をよく口にしているとも聞いた」
「俺?」
なんでだよ。何も恨まれるような事なんかしてないぞ。
「聞き間違いじゃないですか? 俺とあいつって接点ほとんどないですもん」
同期として同じ研修を受講したり飲み会に参加したことがあるが、同じ空間にいるだけで会話したことがほとんど無い。インシデントの時に久しぶりに再会して、そういえば久内なんて同期にいたなって思ったくらいだ。
「だと良いんだが……追い詰められた人間が何を思いこみ何をしでかすかは分からん。念のため周囲には気を付けておけよ」
「はい、分かりました」
なるほどな。それでつくしも一緒というわけか。
俺とつくしは一緒に外出する機会が多いから、揃って警戒しろという話だ。
どうやら終わったと思っていたインシデント事件にはまだ続きがあるようだ。
せっかく気持ち良く年越しを迎えられると思ったのにな。
なんてこの時はがっかりしたが、幸か不幸か俺が期待した年越しを迎えられるようになったのだった。




