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25_疑念

 アイビスの社交界復帰は前代未聞の事件によってお開きとなった。

 それぞれ護衛や兵をつけて帰路につき、何か目撃をしていたなら知らせるようにと沙汰が出た。


 アイビスとエリザベスは、事件に巻き込まれた当事者として別室で事情聴取を受けている。

 この場に同席しているのは、アイビスの夫のヴェルナーと第二王子のルーズベルトで、学舎を共にした四人がこうして集うのが、まさかこんな形になるとは思いもよらなかった。

 ルーズベルトの手配で、アイビスは足を手当てしてヒールのない歩きやすい靴を頂戴していた。


「まずはアイビス嬢、誰も被害者が出なかったのはあなたのお陰だ。心より感謝する」


 上質なソファに腰掛け、暖かなココアをいただいていると、対面に座るルーズベルトが深く頭を下げた。アイビスは慌ててカップを置くと両手を振った。学園時代は友人として接していたが、今のルーズベルトは紛うことなき王子殿下の威風を背負っている。


「いえ!むしろ申し訳ありません。賊の狙いはどうやら私だったようで、エリザベスや皆様を巻き込む形となってしまいました」

「な……奴らがそう言ったのか?」


 このことはまだ誰にも伝えられていなかったため、賊の狙いがアイビスだと聞いたヴェルナーの顔色がサッと青ざめた。

 隣に座るヴェルナーに詫びつつ、アイビスは賊とのやり取りの一部始終を話した。


「なるほど……恐らく先日の路地裏での誘拐未遂事件の時、アイビス嬢の様子を確認していた者がいたんだろう。もし十年前の事件と繋がっているのであれば、奴らは二度も邪魔をされたことになる。どちらにもアイビス嬢が関わっていると知っているかは分からんが…名前や背格好が割れているのは危険だな」

「ええ……」


 そしてアイビスは、少し躊躇いつつ取り囲まれた時に覚えた違和感についても口にした。


「その、不敬を承知でお尋ねします。本日の王城の警備はどのようになっているのでしょうか?中庭に一人の兵も立てないというのは、その、あまりにも不用心かと存じます」

「ああ、今警備を務める隊長格に今日の警備図をまとめて持ってくるように伝えている。もうすぐ報告にやってくるだろう。俺も事前に今日の警備体制を確認していたが、抜け漏れもなくおかしな点はなかった。だからこそ気になっていてな。……それにしても、どうやって侵入した?城の警備を掻い潜って来たのか?いや、そんなことはあり得ない……」


 この場にいる誰もが、同じ疑念を抱いていた。

 そもそも城への侵入を許したことも大問題であるが、何者かに扮して潜り込んだのか、はたまた――


「まさか、誰かが引き入れた――?」


 ルーズベルトの呟きは、静まり返る室内に溶けて消えた。

 もし本当にそうならば、誰が、何のために。そこまでしてアイビスを消そうとしたのは何故なのか。


 考えれば考えるほど謎が謎を呼ぶ事態に、一同は頭を悩ませた。


「やぁ、失礼するよ」

「兄上!現場はもういいのですか?」

「ああ、あとはアイザックに一任してきたよ。後で仔細を報告するよう伝えてある」


 沈黙を破るように、扉をノックして入って来たのは、第一王子のジェームズであった。

 このような事態なのに、ジェームズはいつもの朗らかな笑みを口元に携えている。相変わらず心の内を見せないジェームズに、アイビスはどうしても警戒心を強めてしまう。


 ジェームズは夜会がお開きになった後、現場に残って参加者を安全に屋敷へ送り届けるための手配や、現場の確認に従事していた。全員に対する手配の目処が立ったため、今回の騒動の一番の被害者であるアイビスとエリザベスの様子を確認しに来たのだ。


 ルーズベルトの隣に腰掛けたジェームズは、バサリとテーブルの上に書類を広げた。

 遠慮がちに覗き込むと、どうやら城内を簡略化して描かれた地図のようで、黒い丸印や矢印があちこちに記されている。


「憲兵から預かってきた。各兵に配られた持ち場や巡回ルートを示すものだ。確認したら、おかしなことに中庭と真逆側に兵が固められていた。中庭は別の部隊が警備すると当日になって緊急の伝達があったらしく、その指示の出どころは不明だ。軍部が事前に承認した警備図とは大きく異なるようでね、アイザックも物凄い形相でこの書類を睨みつけていたよ」

「これは……なんてことだ。こんなことができる人物は限られてくるぞ。内政、あるいは軍事に深く関わりを持つものの中に間者がいるのか?いや、それとも主犯格が……?」


 ジェームズの話を聞いたルーズベルトは、顎に手を当ててブツブツと考えに耽り始めた。行動派の弟が先走ってしまわないように、ジェームズはパンと手を叩いて注目を集めた。


「ともかく、内通者がいるにしろ、犯人が潜んでいるにしろ、この件は僕が調査しよう。君たちは何の心配もしなくていいし、関わらなくていい。危険だからね。各自警備を強化して、どこへ行くにも必ず護衛をつけること。何かおかしな出来事があったら迅速に報告してほしい」

「ジェームズ殿下……かしこまりました」


 首を突っ込むなと暗に釘を刺されたようにも感じるが、ジェームズの言う通り、ここは彼に任せるのが得策であろう。

 アイビスがヴェルナーに目配せすると、ヴェルナーも同じ意見のようで、同意するように頷いた。


 ジェームズは二人の様子をニコニコ見守っていたが、視線をエリザベスに移すと悲しげに眉を下げた。


「エリーも、怖かったよね。本当に無事でよかったよ。すまない、姿が見えないと気にはなっていたんだが……こんなことになるぐらいなら君の手を離すべきではなかったな」

「いいえ!勝手に飛び出したわたくしの不手際ですわ!ジェームズ様は何も悪くありません」


 エリザベスは慌てて首を振って否定している。その頬には朱が差しており、婚約関係の良好さが見て取れた。

 ジェームズは滑らかな動きで立ち上がると、エリザベスの側に跪き、手を差し出した。


「馬車まで送ろう。公爵家の使いが到着している」

「はっ、はい!……あ、アイビス様!その、またご連絡いたしますわ」

「ええ、待っているわ。くれぐれも帰り道には気をつけてね」

「はいっ!参りましょう、ジェームズ様」


 アイビスと言葉を交わすと、エリザベスは嬉しそうに美しい笑みを浮かべた。

 ジェームズの手を取り、寄り添うように部屋を出ていった。扉が閉まる間際、ジェームズがアイビスに鋭い目つきを向けたような気がしたが、考えすぎであろうか。夜会で牽制されたにも関わらず、事件に巻き込まれたことを咎めているのかもしれない。

 これはきっと、目をつけられてしまったかと密かに肩を落とす。と同時に、モヤリとアイビスの胸にとある疑念が広がった。


(王子なら、夜会当日に警備の内容を変えさせることは容易いわよね。…………まさか、ね)


 ジェームズに対して、少しの苦手意識と疑念を抱きつつ、アイビスもヴェルナーと共に屋敷へと帰ることにした。

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