テラス
「ご機嫌よう」
背後から思いがけず声を掛けられて驚きはしたものの、平静を装ったまま振り返る。
今は夜会の最中なのだから、気を抜くことは許されない。
振り返って声の主を確認すると、先程シオン殿下と踊っていたルーブルクのニネット公女がそこに立っていた。
ニネット公女は微笑み掛けてくれているけれど──
(どうなさったの!?さっきの数倍顔色が悪いじゃないっ!)
「飲み物はいかがですか?」
「あ、ありがとうございます」
彼女の兄も、妹をあがり症だと称していた。
多分あがり症が原因なのだろうけれど、体調不良の可能性もある。
心配になったわたしは、取り敢えず少しでも落ち着かせてあげようと給仕に声を掛けた。
給仕からグラスを二人分受け取り、片方をニネット公女へと手渡した。
わたしからグラスを受け取り、飲み物を半分程飲み干したニネット公女は、か細い声で話し始める。
「わ、わたくしは……父が病のため、代わりに兄と共に国の代表として、今回王太子殿下に祝辞を述べるべく出席させて頂きました……。
他国の儀式や、盛大な夜会に参加させて頂くのは初めてでして……。それなのに先程シオン殿下と踊って頂いて、注目をあびてしまって更に緊張が増してしまい……っ」
一通り話すと、彼女は挙動不審気味に辺りを見渡した。
「申し訳ございません、少し夜風に当たりたいのですが、テラスはどちらでしょうか?」
「大丈夫ですか?よろしければご案内致しますわ」
「リディア様……お優しいのですね。お願い出来ますでしょうか?」
優しい訳ではないけど、放っておけないだけよ。そう頭の中で呟きつつ、縋るように見つめてくるニネット公女の手を取ってテラスへと向かった。
◇
テラスに出ると、眼前には薔薇や夜に咲く花が咲き誇り、上を見やれば夜空に満月が輝いている。
(満月か……あれからニヶ月が経ったのね)
そう、満月の夜に実の妹からウサギになる呪いを掛けられて早二ヶ月。
正解に言うと「呪い」ではなく「魔法」だが、掛けられた本人からしたら呪い以外の何物でもない。
例え祝福の魔法でも、人によっては呪いになりえる。
少し感慨に耽っていると、隣にいた筈のニネット公女がテラスの階段を降りて行こうとしていた。
「あら、あのお花は何かしら?」
「そちらの花は……」
夜咲の花の強い香りに惹かれた様に、ニネット公女が庭に足を踏み入れる。
先程の覚束無い足取りとは違って、真っ直ぐに歩いて花壇の方へと向かっている。
目を離すのが危なっかしい彼女だけれど、夜風に当たって少しでも気が楽になったのなら良かった。
でも、あまり庭園の奥に行かないよう早めに引き止めないと──そう思いながら私も彼女の方へと歩みを進める。
その時──
「エヴァンス公爵令嬢、リディア様ですね」
「どなた?」
ニネット公女を追って庭園を進んだ所で、急に男性の声がわたしの名を呼び、反射的に思わず身を固くする。
眉根を寄せながら声の方に視線を向けると、暗がりからフードを被った黒ずくめの男が私を真っ直ぐに見ていた。
どう見ても招待客ではないのは明白。
そんな怪しい男が庭園に潜み、わたしに呼びかけてくるなんて嫌な予感しかしない。
わたしは手に汗を握りながらニネット公女を一瞥する。
(どうにかして、ニネット公女をこちらへ引き戻さないと……)
流石に彼女を置いてはいけない。
しかしわたしの思いとは裏腹に、ニネット公女は後退りしながら、むしろこちらからは遠ざかって行ってしまう。
「リディア様、ごめんなさい……」
そう呟いた彼女は青白い顔で震えていた。
全く逃げようとする気配を見せないどころか、黒ずくめの男も公女に危害を加える様子もない。
男は真っ直ぐ射抜くように、私に向けた視線を逸そうとしない。
(男の狙いはわたし……そしてどうしてニネット公女は謝ったの……? まさか、嵌められたの?)




