眠れない夜
離宮の城門が開いたその時、背後から馬の蹄が地面を駆ける音が近付いてきた。
その場の全員が、近づいて来る後方の馬へと視線を向ける。馬を操っているのは長身の青年。
「すみません……」
謝罪の言葉を口にしながら青年が馬上から降りると、後ろにもう一人、少女が乗っていたのが分かった。亜麻色の髪の可憐な少女も、青年の手を借りて馬から降り立つ。
一見特に危険など感じられない二人だが……。
騎士達は突如現れた二人の一挙一動を見逃さなぬよう、殿下と私を守りながら、警戒している様子が伺える。
そんなわたし達に向けて、表情に憂いの色を宿し、瞳を潤ませながら少女は真摯に打ったえかけてきた。
「フォール領から参りました、フォール子爵の娘、ラステルと申します。シオン殿下が立太子される際に開催される、王宮での夜会に参加予定なのですが……子爵家の馬車が盗賊に襲われてしまって困っておりました。出来れば数日こちらに滞在させて頂きたく、お願いに参りました」
フォール領というとかなり遠方にある領地で、フォール家の人間は滅多に王都へは来ていない筈である。
盗賊に襲われたという、子爵令嬢ラステルの話が本当ならとても気の毒な話だ。
ちなみに彼女曰く行動を共にし、そして馬を操ってここまで連れて来てくれた長身の青年は、子爵家の従者なのだとか。
そして王侯貴族の城は、他の貴族が滞在を願い出れば、極力許可するマナーがある。
大変な目に合った彼女を気の毒に思う反面、お忍びでこの離宮を訪れた殿下を、待ち受けていたように現れたこの二人に対して私は訝しんでいた。
(この二人は殿下がここを訪れることを知っていたの?それとも偶然……?偶然にしては……)
わたしが思案していると、殿下が前へと歩み出る。
「分かった、僕が許可しよう」
「感謝申し上げます、シオン殿下」
胸の前で手を組んで感謝を述べるラステル嬢は、とても可憐だった。
ふいに子爵令嬢と目が合う。
おずおずと上目遣いで私を見つめてくるラステル嬢に、わたしは疑念を内側に隠しながら矜持を持って、悠然と微笑みかけた。
「リディア・アマーリア・フォン・エヴァンスです。お会い出来たことを嬉しく思います。どうぞ長旅のお疲れを休めて行って下さいませ」
「こちらこそ、お会い出来て光栄ですリディア様」
ようやく城へ足を踏み入れると、すぐに子爵令嬢とその従者は、それぞれの部屋へと案内されて行った。
令嬢が階段を上がっていくのを見届けたら、続いて私も滞在する部屋へ案内されることとなった。
殿下が直々に案内してくれるらしく、わたしは彼の後に続く。
階段を登り、廊下を進んだ先にある、部屋の扉が開かれる。
「僕達が使う部屋はここだ」
「僕達?」
「リディアと僕に決まっている」
平然と言い放つ殿下に私は絶句した。
「急遽客人を招くこととなったから、部屋が足りなくなったんだ。ここしかない」
「嘘おっしゃい! 二人増えたところでお城の部屋が足りなくなる訳ないでしょうっ」
未婚のわたし達が部屋で一夜を共にするなど、許される訳がない。言わずもがな、常識かつ分かりきったことだ。
「前も同衾したじゃないか」
「どっ……!? って、ウサギになっていた時のことをおっしゃっていますか? あの時と今では状況が違いますっ」
「それに急遽招いた客人もいることだし、用心するに越したことはない。リディアを守るために、今回は同室を受け入れて貰いたい」
これはリディアを守るためなんだと、念押ししてくる殿下。
その意見は最もらしい気もするが、後から取って付けられた言い訳に聞こえなくもない。
(元から二人で一つの部屋を使う予定だったとかじゃないですよね? それはわたしの自惚かしら……)
疑念は拭えないが、殿下の言っていることも一理ある。
しぶしぶではあるが、同じ部屋で寝泊まりすることを私は承諾した。
◇
子爵家の客人とは寝泊まりの場所を提供する以外に、今のところ接触は特にない。
王子の晩餐に招待される訳もなく、わたしと殿下は二人きりで過ごした。
その後はそれぞれで湯浴みを済ませ、暫く私は部屋で一人寛いでいた。わたしの読んでいる本のページが、全体の四分の一辺りに差し掛かかると、別の場所で湯浴みを終えた殿下が部屋へと戻ってきた。
一旦テーブルに読み掛けの本を置くと、わたしは改めて寝台についての問題を切り出す。
「そういえば寝台が一つしかありません。いかが致しましょう?」
「一緒に寝ればいいじゃないか」
「それは承諾致しかねます」
「何故だ」
「何故って、わたし達は婚約しているとはいえ未婚の身ですから。って、分かってて仰っていますよね?」
「だから何? 少し前だって、一緒の寝台で寝ていたじゃないか」
「またウサギの話をしますか、だからウサギの時と、人間の女の体では違いますって!」
「何が違うんだ、ウサギの姿でもリディアはリディアだ」
「うっ……確かに、それはそうなんですが……。でしたらわたしは長椅子で休ませて頂きます」
「リディアを長椅子で寝かせる訳にはいかない」
「……」
全く引く気配はなく、屁理屈を捏ねまくる殿下にわたしは暫し思案する。
「でしたら、こう致しましょう」
逡巡しながらも、一つ提案してみることにした。
わたしは一本のリボンを取り出し、寝台の上にそれを置く。丁度寝台が左右均等に分かれるよう、境界線としてど真ん中に。
「お互いこのリボンを境界線とし、ここから出ないように致しましょう」
「……分かった」
しぶしぶではあるが、意外と素直に殿下が受け入れてくれて、わたしはほっと胸を撫で下ろして安堵した。
広い寝台だから、境界線さえ越えなければ案外気にならないかもしれない。
殿下の言う通り、ウサギの姿の時は閨を共にしていたのだから……。
そう言い聞かせながらふと隣を確認すると、既に殿下は寝台の上で体を横にしていた。
まだ眠りに着く気はないようで、懐中時計を取り出して時間を確認している。
「明日は何をしようか、池で舟遊びなどどうだろう?」
「楽しそうですね」
「あっ」
次の瞬間、小さく声を上げた殿下は持っていた懐中時計を滑らし、それを自身の美しい顔面へと落とした。
「!!? だ、大丈夫ですかっ?」
「いたた……」
幸い顔に直撃は免れ、こめかみの辺りに落下させてしまったらしい。
心配ではあるが、少し安堵したと同時にわたしの頬が緩む。
そして、ぶふっと吹き出してしまった。
「だっ、大丈夫ですかぁ? ぷークスクス、シオン様も意外とドジですね」
いつも殿下に掌の上で転がされがちなわたしではあるけれど、本日は特に彼をギャフンと言わせたくて堪らなかったのだ。
(少し笑うくらい許してほしい、代わりにこれで水に流して差し上げますから)
そう胸中で呟きながら、彼の額に手を伸ばした。
ニヤつきながら。
「顔に当たらなくて良かったですけど、お怪我はなさっていませんよね?」
頭をよしよししてあげようと、彼の頭にわたしの手が触れかけたその瞬間──
「越えたな?」
言いながら、殿下はわたしの手首を掴んだ。
確かに殿下へと伸ばしたのとは反対の方は、身を乗り出す為に境界を越えた場所へと手をついている。
「……へ?」
「境界線を越えたな。境界のリボンを超えてはいけない、そういうルールだっただろう?
そのルールを侵してこちら側へと来たリディアは、逆に朝まで境界を越えて元の位置に戻ってはいけない」
「そんなルールありませんからっ!」
「境界を越えるなと言ったのはリディアだろう。境界を越えて向こう側へ戻ることは許さないから」
元の位置に戻ろうとしたわたしを、殿下は後ろから手を回して抱きしめ、拘束した。
「ひぃぃ! 離して下さいー!」
ジタバタともがくわたしに抱きつく彼は、無言という対極の意思表示をしてくる。
──無視するな!
そう思うながら、振り返ると──殿下は瞳を閉じて、規則正しい微かな寝息を立てていた。
「えっ、寝たんですか?」
この隙に、わたしの体を抱きしめる殿下手を外そうとしたけど、物凄い力で解けない……。
「って、そんなすぐに寝れる訳ないしょ、寝たふりしないで下さいっ。そしてこの手を外しなさいよー!」
しかし返事は返ってこず、ただただわたしが体力を消耗しただけとなった。
仕方がないから今夜はこのままで寝るしかないのか……。
とはいえ、意識しない様に心掛けても逆に触れられた場所から感じる体温やら温もりやらが気になって仕方がない……。
この様な状況で、自分こそ寝れる訳がなかった。




