増えた家族《2》
――優護が、まだ眠っていた時。
ウタは、突如として室内に生じた異変に、当然ながら気付いていた。
とつてつもない、莫大な魔力の発生。
制御に失敗すれば、この部屋が吹き飛ぶどころか、地方が丸ごと吹き飛んでもおかしくない程の魔力。
即座に警戒態勢に入るウタであったが……やめる。
溢れ出る魔力の質に、何だか覚えがあったからだ。
今、己の脳裏に浮かんだ予想が正しいことを、この異変でも全く起きる気配がなく、呑気に寝たままである優護の姿を見て確信する。
他の誰であっても、多少の魔法能力を有するのならば即座に跳び起きるであろう特大の魔力の発生にもかかわらず、これだ。
恐らく彼は、本能レベルで理解しているのだ。
――これは、己の味方であると。
やがて、高じた魔力が一点に集中したかと思いきや、次の瞬間ストン、とその場に舞い降りる――一匹の猫。
滑らかで美しい、黒一色の毛皮。
そして、その黒の中に光る、紅色の瞳。
凡そ動物とは思えない量の魔力がその小さな肉体に渦巻いているのがわかり、こんな姿だが小国程度ならば簡単に滅ぼすことが可能だろう。
黒猫は、見渡すように一度周囲へ視線をやった後――最後にウタへと顔を向けた。
「お主……ヒヅキか。精霊種になったのじゃな」
一目見ればわかる。
忘れる訳もない。
何度も斬り合い、何度も魔力を吸われ、そして最後には己を貫いた剣なのだから。
恐らくだが、つい最近優護は強敵と戦ってきたらしいので、その魔力を吸ったことでついに臨界点を超え、実体を生み出すに至ったのだろう。
そして黒猫もまた、こちらのことをわかっているらしい。
「…………」
ジッと見定めるような、ともすれば睨まれているのではと感じるような瞳。
いや、実際に今、見定められているのだろう。
何度も、主と殺し合った相手のことを。
今もまだ敵なのかどうか、判断しようとしているのだ。
と、その時、優護のスマホがブブブ、と鳴り始める。
仕事用のスマホだ。
一瞬、彼を起こすか悩むが……こちらが鳴ったということは、恐らく今しがたの魔力に関するものだろうと考え、プライベートでないのならと、ウタはそれを手に取る。
向こうからすれば緊急だろうしと、そう思ったのだ。
「はい、もしもし」
『……これは、海凪君の番号のはずだが。……いや待て、その声……』
「ユウゴはまだ寝ておる。お主は確か、タナカじゃったか。――今の魔力に関する話ならば、問題ないぞ。ちとこちらで、はぷにんぐが起きた故のものじゃ」
そう言うと、やはり思った通りの用件だったらしい。
『……発生位置が海凪君の家の座標であった故、そうかとも思ったが。敵ではないのだね?』
「うむ、どちらかと言うと味方じゃな。騒がしてすまんの」
『……わかった、ではそのように処理しておこう』
そうして電話が切れたところで、ウタは黒猫を見る。
優護を守り続けてきた、彼の相棒に対し、何を言うべきか少し考え……口を開く。
「さて……ヒヅキ。安心せよ。儂がユウゴを害すことはもうない。あるとすれば、げーむでぼこぼこにするのみよ」
「…………」
「もう、儂が此奴と争う理由は存在しておらん。魔王として戦わねばならぬ理由は、この世界には何もない。今の儂は、他の何者でもない、ただのウタよ」
ただのウタ。
何も繕う必要のない、等身大の己。
それの、なんと楽なことか。
「それに、ユウゴと共におったのならば、わかっておろう。儂は此奴に救われた。ほぼ人間しかいない、縁も所縁も存在しておらんこの世界に、己一人だけがいると思うた時の絶望と来たら、なかなか酷かったぞ? そこを救われた恩を忘れる程、儂は恥知らずではないわ」
黒猫は、何も言わず、変わらずにこちらを見続ける。
猫とは思えない、深い知性と思慮を感じさせる赤い瞳。
この刀に、いったいいつから意識と呼べるものが宿っていたのかは知らないが……今の様子を見るに、漠然としたものは結構前から存在していたのかもしれない。
「だから――ウータルト=ウィゼーリア=アルヴァストの名に誓おう。この世界において儂は、喧嘩しようとも、悪口を言い合おうとも、必ずユウゴと共にあると。ユウゴの隣を生きると」
「――にゃあ」
黒猫は鳴く。
ただ一声だけだったが……ウタは、そこに含まれる感情を、よく感じ取っていた。
「うむ。これからは共に、此奴を支えるとしようぞ。ユウゴ、勇者をやっていただけあって、かなりお人好しで放っておくと面倒ばかりに巻き込まれそうじゃしな。お主は直接、守ってやってくれ」
「…………」
こちらの言葉に同意するかのように、やれやれだと言いたげな様子を見せる黒猫に、ウタは笑う。
「かか、ま、それが此奴の良いところで、悪いところじゃ。ヒトはそれを、魅力と言うのよ。――そうじゃヒヅキ、朝飯、お主も食うか? 何か食えんものがあったりするかの?」
「にゃあ」
「問題ないか。わかった、用意しよう。それでは、そろそろその寝坊助を起こしてくれるか?」
黒猫はこくりと頷くと、トン、とベッドに飛び乗り、ボフッと優護の顔に乗った。
その様子にウタは小さく笑みを浮かべ、それから再び朝食を作り始めた。
◇ ◇ ◇
ピンポーン、とチャイムが鳴り、鍵が回される。
「……こんにち、は!」
玄関からピョコンと顔をのぞかせたのは、リン。
「おー、いらっしゃい、リン」
「いらっしゃい、リン」
リンはニコニコしながら家に上がり――丸くなって寛いでいた緋月を見て、止まった。
「……むむ!」
「…………」
何故か、見つめ合うリンと緋月。
ピンと耳と尻尾を立て、緋月を凝視し、我が愛刀もまたジッとリンを見返している。
「……お兄ちゃん、この猫さんは?」
「緋月だ。俺の刀で……あー、とにかく新しく飼うことにした」
「……むむむ!」
そう言うと、何故かリンは唸り始める。
「……お兄ちゃん、この猫さん、耳がある!」
「え? あ、あぁ。猫だからな」
耳のない猫は、どこぞの青い猫型ロボットしか知らないが。
あと、耳自体は俺もウタもあるし。まあ勿論、ケモ耳がってことなのだろうが。
「……尻尾もある!」
「おう、猫だからな」
「……お兄ちゃん。猫さんの毛並みと、凛の毛並み……どっちが好き?」
何だか、いつもは全然感じない圧を微妙に放ちながら、そう聞いてくるリン。
「え、えーっと……」
ふと横を見ると、こちらに口を挟まず、からからと笑っているウタ。他人事だと思いやがって……。
何と答えるべきか少し悩んでから、俺は口を開く。
「……そこは別に、比べるところじゃないさ。緋月の毛並みは良いものだし、リンの毛並みも良いものだし。どちらも違って、どちらも良い、だ」
「……むぅ」
納得したような、納得していないような顔をするリンに、俺は苦笑を溢しながら彼女の頭を撫でる。
「緋月は緋月で、リンはリンだ。どっちが良いとか悪いとかそういうことじゃない。ただ少なくとも言えることは、リンの毛並みは最高だってことだ。……それじゃダメか?」
「……んーん。駄目じゃない」
ふるふると首を横に振り、それから少し、シュンとした様子になる。
「……ごめんなさい。お兄ちゃん、困らせちゃった」
「はは、いいさ。別に困ってもないよ。――ほら、それじゃあ、挨拶してくれ」
「……ん。猫さん、こんにちは。凛は、凛」
「にゃあ」
緋月は自己紹介するように一声鳴くと、ペシペシと凛の足を軽く叩く。
まるで、自分の方が先輩だからなと言いたげな様子である。
「……むむ! その意見は、納得出来ない。凛の方が、きっとお姉さん」
「にゃあ」
「……むむむ! それに関しては、ちゃんと話し合う」
そこから一人と一匹は、可愛らしい様子でなんか言い合いを始めたのだった。
う、うーむ……こういう感じになるとは正直予想外だった。




