068 サラクン7:嚆矢
眼鏡はヒダント砲の側面に手を伸ばす。
蓋を開けて、そこに収納されていた新品のヒューズを取り出す。
「いやあ、マニュアルは渡してあるんだけどねえ。ちゃんと読んだ?」
マニュアル。
その言葉にゲララは思い出す。
たしかに、眼鏡の言う通り、ヒダント砲のマニュアルはゲララも受け取っていた。
だが、どうせ必要ないだろうと、タブレットでちらっと見ただけで、それきり存在を忘れていた。
部下にいたっては、マニュアルの存在自体を知らなかった。
ヒューズが壊れるものだとも、その交換方法も。
眼鏡が新しいヒューズを装着し、再起動スイッチを押すと、ヒダント砲は問題なく動き始めた。
「ここに予備のバテリも収納されてるから、緊急のときはそれを使ってね。まあ、それも、マニュアルに書いてあるから、当然、知ってるよね?」
ゲララの顔が青ざめる。
ここにいたって、ようやく、自分の責任だと理解したのだ。
「いやあ、これは問題だねえ。ちゃんと報告しておいてあげるよ」
眼鏡はゲララを一瞥すると、部下に向かって笑顔を向ける。
部下たちの間に喜びが伝播する。
だが、それも次の言葉でピタリと静まった。
「いやあ、君たちよかったね。この無能とお別れできるよ。まあ、生きて帰れたらだけどね。あはは」
「どっ、どういうことですか?」
部下の一人が眼鏡に問いかける。
だが、その声はヒダント砲が上げる警告音にかき消された。
「いやあ、すごい量だね。魔物だらけだ。これっぽっちの人数で守れるの?」
騎士が数名、ヒダント砲のモニターを覗き込み、小さな悲鳴をあげる。
眼鏡の言う通り、森の中にはおびただしい数のモンスターが存在する。
その一部が、森を出ようとこちらに向かっていた。
騎士たちが慌てる中、ヒダント砲は設計通りに動作する。
森のモンスターに向かって、続けざまに魔力弾を発射した。
だが、ヒダント砲はこれだけのモンスターに対応できるように設計されていない。
攻め寄せるモンスターたち。
騎士たちは状況を知り、青ざめる。
「いやあ、頑張ってね。あはは。役目を終えた僕は帰るからね。後はよろしく。君、帰りもよろしく頼むよ」
眼鏡は他人事のように笑い、ここまで彼を連れてきた騎士に話しかける。
「クソッ。総員、配置につけッ!」
騎士の後ろで馬にまたがる眼鏡を睨みつけたまま、ゲララがやけくそ気味に怒鳴りつける。
実際にモンスターの存在が明らかになったことによって、騎士たちは恐怖に襲われた。
森の中から伝わる無言のプレッシャー。
今すぐにでも、モンスターが飛び出してきそうな気配。
それまでは意識していなかったのに、途端にモンスターの脅威に足がすくむ。
「俺はサラクンに連絡する。援軍が到着するまで持ちこたえるんだッ!」
ヒダント砲によるモンスター探知の結果は、自動的に騎士団本部へと伝えられている。
だが、一刻も早く援軍を送ってもらうべく、実際の窮状を訴えようという心づもりだ。
ゲララは連絡用の魔道具が置かれた小屋に駆け足で向かった。
騎士たちは森を向いて並んだ。
魔銃という名の筒状の魔道具を構える者を除いて、全員が抜刀している。
緊張している彼らを無視するかのように、二人を乗せた馬はサラクンを目指して去って行った。
顔を真っ青にする者。
ガタガタと震える者。
大声を出し、虚勢を張る者。
風で梢が揺れる度、ビクリと肩が揺れる。
誰かがツバを飲み込む音が聞こえるほど、静まり返っていた。
じりじりと焦れる、長い時間。
一分が一時間のように思える。
枝と枝がぶつかり合う音が次第に大きくなっていき――。
「大変だッ! モンスターが一体。物凄い速さで森から出ようとしているッ!!」
ヒダント砲のモニターを確認していた騎士が叫ぶ。
「なんだとッ!」
「どこだッ!」
「こっちに来るのかッ?」
騎士たちが悲鳴混じりで騒ぎ立てる。
「ここより、少し南だッ!!!」
騎士たちは示し合わせたように、サラクンへと向かう街道を見る。
騎士と眼鏡を乗せた馬。
小さくなっていく姿。
――そのとき、森から黒い影が飛び出す。
黒い影は一閃。銀色が日を浴びて輝いた。
馬は倒れ、ふたつの丸いものが宙を飛ぶ。
兜が地に打ち付けられる音。
もうひとつの球体からは眼鏡が離れ、レンズが砕け散る。
「オッ、オーガだッ!!」
「黒いぞッ!!」
「変異種だッ!!!」
通常のオーガと異なる、漆黒の肌をしたオーガ。
身体もひと回り大きい。
そして、その手には鋼の剣が握られていた。
騎士の間に動揺が走る――。
変異種のオーガは駐屯地を睨みつける。
そして、大きな咆哮を上げると、こちらに向かって駆け出した。
その背後では、眼鏡の男の首から吹き出す血が白衣を赤く染め上げていた――。
次回――『サラクン8:変異種オーガ(上)』




