閑話『既知との遭遇・下』
――懐かしい記憶である。
最近では思い出すことも少なくなっていた……いや、高校生になってからは殆ど忘れていた思い出である。自慢ではないが、俺はそんなに記憶力がよくない。……本当に自慢にならないな。健忘症とか心配した方がいいかな? いや、でも、こうしてふとした拍子に思い出せているので大丈夫か……? まぁ大丈夫か。大丈夫だろ。主治医のツラをした同級生にも至って健康であると太鼓判を押されているしな!
さて、それではどうして今になって、そんな年上お姉さんとのひと夏の出会い(健全)を思い出したのかと言えば、その人物が目の前にいるからである。
「久しぶりだね、秦。キミは随分と素敵な男の子になったようだ」
お姉さん――ナナさんはベンチに腰掛けており、そんなナナさんを見て呆然としている俺に対して軽く手を振っていた。
時刻は夜。南雲さんからの依頼を済ませた帰りであり、我が家の最寄り駅である羽蔵駅のホームに一人降り立った俺を出迎えるようにナナさんはそこにいた。
偶然の再会と言うのであればその通りだろう。そのことに驚くのもおかしくはない。だが、俺が驚いたのはそういった理由ではなかった。
――服装の違いはあれど、彼女は記憶のままの姿だった。
――変わっていなさすぎる。
そのことに俺は驚愕していた。
□■■□
駅構内での立ち話――ナナさんは座っていたけれど、駅員や他の利用者からしてみれば立っていようが座っていようが邪魔でしかないだろう――というのもよろしくないので、俺とナナさんは近くの公園に移動した。
移動途中――というかわざわざ遠回りしてコンビニに寄って飲み物も購入した。ナナさんは当然というようにいくつかのアルコールを手に取っていたが、タバコは購入していなかった。単に切れていないだけなのかもしれないけれど、なんとなく確認してしまう。
「ナナさん、タバコは吸わないんですか?」
「ん、吸わないね。あんなの身体に悪いだけじゃないか」
「酒はいいんすか。似たようなモノでは?」
カシュ、と蓋の開く音がナナさんの手元から鳴る。
「酒はいいんだよ。煙と違って身体が対応しているからね。タバコは肺を汚せばそれっきりだが、酒は適量であれば問題なく回復する。いいかい秦、人体に肝臓があるのは酒を飲むためなんだぜ? ――っぷはぁー!」
「違うんじゃないかなぁ……」
人体に詳しくないので俺は深くツッコめなかった。
「いや、違くないね。肝臓がそう言っている。ん、ゴホン、チガクナイヨ! ほらね?」
「そっかー。肝臓が言っているのならそうなんでしょうね」
ナナさんは自身のお腹の肝臓がありそうな位置を指差しながら裏声(けっこう可愛い)でそんなボケをかましてきた。俺は流すことにした。
流して、本題に入ることにした。
「それで、えーっと、ナナさんはどうしてここに? 俺に会いに来たんですかね?」
「おや、疑問形なのに口調は確信に満ちているね。その心は?」
「登場シーンを考えてくださいよ。あんな偶然がありえるわけないでしょ」
「ああいった再会の形になる可能性だって零ではないじゃない。どれだけ小数点以下の確率だろうと、偶然があり得るのであればそれを否定しちゃダメでしょ」
「もうその物言いが偶然再会した人のそれじゃないんですよ。はぐらかすのやめません?」
「おっけ。やめよう。偶然じゃないね。つまりは必然だったわけだ」
「極端だな……。それっぽことを言っているだけでしょ、それ」
「なーんだよー。随分と男前に成長したかと思えば、冷めた物言いするようになっちゃってまー。お姉ちゃん悲しい」
ナナさんは「よよよ」と声に出しながら涙を流す素振りをした。
「姉を名乗る不審者……。あー、でも確か、実際は伯母が正しいんでしたっけ? おばさんってお呼びしましょ――」
不思議なほどに――不自然なほどに鮮明になった記憶からそんなことを言っていたなと思い出し、そう漏らした瞬間だった。
がしりと、腕を肩に回された。
う、動けない……っ!
「秦は直腸からアルコールを摂取した経験はあるかな? 肝臓を通さずに吸収できるから血中のアルコール濃度が爆上がりするんだ。興味ある?」
「……それ、死にません?」
「まぁ、運が悪ければ。運が良くても病院のお世話になるのは確実だけど」
「ナナさんは永遠のお姉ちゃんです!」
「うん、よろしい」
拘束が解かれる。
「これが噂に聞くアルハラってやつか……」
戦慄を覚える俺。大学生や社会人たちは日夜こんな恐怖と戦っているのかと思い、社会への恐怖が募る。社会が怖い。
「だいたい違う」
ナナさんが訂正してくる。どうやらだいたい違うらしい。……え、じゃあ少しは合っているの? 社会にはそんなアルハラが稀にあるの? マジで怖いな……。
□■■□
「目が合ったんだよね」
ナナさんは理由を端的に教えてくれた。端的過ぎて理解が及ばなかった。
「目、ですか……。えっと、俺と、じゃあないですよね? 目が合った記憶ありませんし」
「うん。なんかお婆さんだったね。私と目が合うなんて珍しいからさ、声を掛けたんだけれど、どうやら声は届かなかったみたいでさ。だから、どうして目が合ったのか不思議に思って、縁を辿ってみたらいくつかそれっぽいのが見つかってね。大したことないのばかりだったんだけど、その中に秦がいてさ、うわ~~~~あの時の少年じゃ~~~ん! 懐かし~~~。よっしゃいっちょ会いに行くかぁ! という感じだね」
「思ったより行き当たりばったりっすね……。というか、エン? エンって、ご縁とかの縁ですか? 仏教的なヤツ」
「そうそう。その縁。仏教的なやつ」
「縁ってそんな気軽に辿れるものだったかなぁ」
「いけるいける。こう、くいくいっと」
ナナさん、その手つきは釣りのやつです。釣っています。リールを巻くな。あ、引いてる引いてる。これは大物だぞ~。網を取り出して――
「――って、なんでやねん!」
以心伝心のボケとツッコミだった。
――切り替えるために、大きく息を吐いた。そして、吸う。次に吐き出すのは息ではなく言葉。
「というか、もう直球で聞きますけれど、ナナさんって人間ですか?」
こちらの問いを受けて、ナナさんは目を細める。
「……普通に失礼じゃね?」
「いや、少なくとも普通じゃないでしょ」
ポケットからチェーンに縛られた指輪を取り出して見せる。複雑な意匠が施された金色の指輪が、まるで何かを封じ込めるかのように鎖でぐるぐると縛られている。どう見ても厄ネタだが、これを渡してきたネセルさん曰く「解けても問題はない」とのことである。
「コレ、一人で仕事するときは必ず持たされる支給品の一つなんですけれど、認識を阻害する効果があるんです。これを持っている限り、普通の人が俺に話し掛けるのは不可能なんです」
なんなら、多少外れているような人間でも俺を認識するのが不可能だったりする。
「……そんなモノが支給されるバイトってなに?」
「真っ当な疑問だとは思いますが、それに答えるのは先に俺の質問に答えてからでお願いします。――いや、マジでおかしいんですよ。これを提供した人たちは中途半端な代物を渡すような立場じゃないので選りすぐりの逸品でしょうし、実際にその効果は実感しています。でも、ナナさんはそんなのお構いなしでしょう? もう、その時点でだいぶ逸脱しているんです」
ちなみに、俺の唯一の『後輩』である空海成世はこれの影響を受ける。成世はアレでも魔術師としては血統書付きの純正品だ。その血筋が途絶えそうになっているのは劣化や衰退が原因ではなく、能力があるが故の――突き詰めることが出来てしまった故のモノである。あんなんではあるが、スノウが面倒を見てもいいと思えるぐらいには素質があるし、刀河が南雲さんの仕事に付き合わせてもいいと判断するぐらいには魔術師として高水準なのである。そんな成世ですら影響を受けるような魔具の影響が一切ない時点で問題しかない。これの影響を受けない人物はそれこそさっき名前を挙げた三人やネセルさんなどの上澄みたちだ。
つまり、順当に考えればこの接触はかなり危険度が高い。自分自身を特別だと思ったことはないけれど、自分の立場が特別であることは理解している。そんな俺に接近することができる時点で注意しなければならない。
けれど、頭ではそう思っていても不思議とその必要はないという確信もある。
ナナさんは首を軽く傾げ、数秒ほど視線を上に放り投げたのち、あっさりと言った。
「外来者――外から来たりし者。それと、秦と同じようにその身に『世界』を宿す存在だよ」
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「えっと……、あの、え? 世界の端末――世界のバックアップではなく? 世界を宿す?」
予想していたのは、ナナさんが世界端末であることだった。それも、俺よりもその在り方が進んでいる状態の存在としてだ。だが、予想の斜め上の答えが返ってきたので俺はかなり困っていた。
「ん? うん。少なくとも私はバックアップではないかな。秦だってもうそうなっているでしょ? 少なくとも二つは意図して世界を創っていて、それが中にあるじゃない」
――世界を二つ、創っている?
世界変容――『理想のセカイのつくりかた』と名付けたソレによって俺は二度、世界へと変容している。その事実を知っているのはスノウと刀河だけだ。一度目は南雲さんやネセルさんにも知られているので、その筋から関係者に知られている可能性はあるが、二度目については刀河の指示によって南雲さんやネセルさんにすら報告していない。この時点でナナさんが本物であることを認めるべきだと思った。では、彼女が『本物』であるとして、さらに訊かなければならないことがあった。
「いや、世界を創ったって、あれは俺が一時的にそうなったモノで、それも維持できないからすぐに崩壊している、という認識だったわけですが……」
「そんなことはないよ。一度生まれた世界はそんな容易に崩壊しない。少なくともそう簡単に自壊するようなモノではないしね」
「でも、この世界の中に一時的とはいえ新しい世界として成ったわけですから、それに対して世界が異物として排除しようとするじゃないですか。それは十分に潰れる理由では?」
「そりゃ世界の中に世界をそのまま突っ込んだら反発は起きるけれど、秦の状態は人間だからね。内に何を収めていようとも参照されるのが人間という存在であれば問題はないよ。それこそ、私だってそうだもの」
両手を広げて自身の存在をアピールする妙齢の黒髪碧眼。
「…………とりあえず、理解しました」
「納得はしてなさそうだね」
「呑み込めていないってのが正確ですね……」
考えなしに開けていた口に投げ込まれた情報だったが、それは劇物にも程があった。この情報をどう扱えばいいのかを考え、思考が詰まる。学府における立場。南雲飾の思惑。デイライト家の目的。スノウとのこれから。刀河火灼の狙い。
「どうすりゃいいんだ……?」
思わず、言葉が漏れる。そんな俺の言葉をナナさんが拾う。
「秦はどうしたいの?」
「どうすればいいのか分からないから困っているんですが」
「いやいや、私が確認しているのは秦の目的や目標だよ。秦はなにを目指しているの?」
俺の目的や目標と言われても、何も思いつかない。目指しているモノなどない。それでも、強いて挙げるとするのならば、これしかない。
「げ、現状維持……」
「十代とは思えない発言が来たね」
これにはナナさんも苦笑い。
「いや、でも、今が十分に楽しいし不満もないから、仕方なくないですかね?」
「まー、十代らしからぬ発言ではあるけれど、別にそれが悪いわけじゃないしね。いいんじゃない? 現状維持だって立派な目標だし、それはそれで結構大変でもあるからね」
「大変、ですか?」
「現状の設定と、維持の定義によっては大変だよ。子供のままでいたい、なんて意味で現状維持を掲げるのはどだい無理でしょう?」
「まぁ、そりゃそうですが……」
「ていうか、学生のうちは『今がずっと続く』という感覚がわりと当たり前なんだよね。だってそれが普通なんだもの。それまでずっとそういう状態が続いているから、そうじゃない状態を想像できない。できたとしても実感はできない。当然だよね、実際に経験していないのだから。だからこそ、そんな状態で『現状維持』という発想は出ないんだ。当たり前のことをわざわざ考えないから」
「…………」
「その上で現状維持を望んだキミは、どういう現状を、どういったふうに維持したいと思ったのかな?」
「俺は……。今の――家族がいて、彼女がいて、友達がいて、後輩がいて、それぞれがそれぞれに頑張って生きようとしている今が気に入っています。それがずっと続いて欲しいと思っています。いつか来る終わりまで、そういう今が続けばいいと、感じています。俺にとってはそれが幸福なのだと考えています」
停滞を望むのはそれが望むべくもないことだからだ。だからこそ停滞に近しい緩やかな変化となるように停滞を望む。波風の立たない人生などないと知っているからこそ穏やかであって欲しいと願う。
「なるほどね。普遍的な願いだ。誰もが望むような陳腐な希望とも言える」
「多数派ってことですね」
「そうだね。多くの人が望むからにはそれには相応の理由がある。そして、多くの人が望むということはそれ相応の難しさがあるわけだ。不可能ではないけれど、簡単でもない。それを継続させるには十分な維持費が必要だし、そのためには頑張り続ける必要がある」
――要は、頑張るしかないということだろうか。
「なんだか、ありきたりな結論に着地しましたね」
「でも、結論がはっきりしたのなら後はそのためにどうするべきかという話でしかないし、それは考えやすいだろう?」
「そう、ですかねぇ?」
「そうでしょ。そうすると、秦が『内包者』であることって別に大したことじゃないね」
「ないほうしゃ? あー、内包者? 世界が中にある人のことはそう呼称するんですね」
「私が今考えた。使っていいよ」
産まれたてほやほやの造語だった。
「……で、その『内包者』であることが大したことないって話は、どういう意味ですか?」
「そのまんま通りだよ。関係ないでしょ実際。秦がどういう生活を送っていてどういう状況にいるかは知らないけれど、『内包者』であることを知らなくても、幸福な今を続けられるようには頑張っているんじゃないの? それとも頑張っていない?」
「一応、頑張っているつもりです」
「じゃあ、いいじゃん。そのまま頑張り続けるだけだよ。秦、キミは『内包者』である以前に人なのだから。属性が増えたところで主体は人間のままだ」
「いや、その『内包者』という存在に目を付ける人がいたらどうするんですか。そういうのに狙われたりしたら一瞬で日常が崩壊しそうですけど」
実際、世界端末であることが判明したことによって俺の日常は一度崩壊している。崩壊が小規模で済んだからこそ、再構築された日常を日常として過ごしてはいるが、次があった際に同じように小さな出来事で済む保証などない。
「んー、そうそう分かることじゃないけどね。以前にたまたま認識して、縁を設けた私だから分かった部分が大きいし。それにさ、それって結局わかる奴に出会ったらどっちみちダメじゃない?」
「確かに……」
「むしろ、秦は予めそういう奴に遭遇した際にどうすればいいかを考えられるわけじゃない? 事前に知っているってのはそれだけで大きいでしょ」
「確かに」
「手札が――切り札が一枚増えたぐらいの感覚でいいでしょ。切らずに済むならそれでいいんだし」
「確かにー」
「確かにbotかな?」
なんとなく両手をチョキにしてカニの真似をする。ナナさんも真似して両手をチョキにしてチョキチョキと指を動かす。
「そう考えると、俺は『内包者』であることに関しては特段なにもすることがないのか……」
むしろそのことを他の誰かに知られるほうが面倒なことにしかならない。
「まー、別に使命とかがあるわけじゃないしね。ただそうであった。それだけだよ」
「それはそれで、ちょっと遣る瀬無いな……」
立場に対して背景が存在しないのは、些か寂しい気もする。
「じゃあ、世界の命運とか背負いたかった?」
「いや、背負いたくないです」
「即答じゃん」
他人事だからこそ命運とか使命とかの重責に価値を感じてしまうのだ。それが自分のこととなれば重荷でしかないだろうから、俺にとっては何もないぐらいが丁度いい。
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俺が「内包者」と呼べる存在になっていたという事実に対してどうしたいかという方向性が定まったので、一先ずその件については持ち帰って一人で検討することにした。なので、ナナさんとの会話を一段階進める。
「で、スルーしていましたけれど、ビジターってなんですか」
「外来者のことだよ。私はこの世界の存在じゃないから、外来者でもあるわけ」
額を抑える。さっきからこの人は爆弾発言しかしない。
「えーと、つまりは異世界人ってことですか?」
「わかりやすく言えばそうなる?」
「なぜ疑問形……。いや、仮にそうだとしても色々とツッコミどころがあるのですが」
「たとえば?」
「世界間の移動って出来るんですか?」
「やったらできた。今では立派な趣味だよ。世界旅行、楽しい」
世界中の様々な国を巡るのではなく、様々な世界を巡っているということだろうか。
「秦だって自身が創った世界の中に入ったことあるでしょ」
「…………えっと、つまりこの世界はナナさんの中にある?」
「いや、違うよ。私は外様さ。私はこの世界の存在じゃないって言っているでしょ」
「この世界の存在じゃないのに、ナナさんが人間であることとか、そもそも世界が違うなら法則――原理が異なるんじゃねぇかとか、それこそ異物の存在がどうして許されるんだとか……」
「私が『人間』である理由とか、世界のそのものの法則の違いとかに関しては逆転スペクトルというか、クオリア・アジャスト――アジャスト・クオリア? による影響かな」
「クオリア……感覚質の調整ですか。それに逆転スペクトル……」
以前、刀河にそのへんについて大雑把な説明をされたことがある。
感覚質とは感覚に伴う質感というモノで、例えば『赤くて丸い物体』があるとする。俺はそれを見ることによって赤いと思い、触れることによって角のない球体であると、主観的に実感する。そういったモノをクオリアと呼ぶ、らしい。
そして逆転スペクトルというのは逆転クオリアとも呼ばれているモノで、同じモノを見た際に他者とは必ずしも同じクオリアを共有しているとは限らないが、それを指摘することができず、証明することもできないし、そもそも不都合が生じないせいで別の感覚を得ていることを認識できない。という話だった。
よく挙げられる例としては、普通の人にとっての赤色が「青い色」に見えて、普通の人にとっての青色が「赤い色」に見える人がいるとする。でも、その人は見えている「青い色」を赤色として教えられているので「青い色」を赤色と呼ぶし、「赤い色」に対しても同様に青色と呼ぶ。この場合、本来その人物が見ている世界のクオリアは普通の人とは全くの別物であるはずなのに、同一のクオリアを得ていると感じてしまう。という思考実験だった。
「つまり、ナナさんはこの世界の存在ではないが、ナナさんと俺のお互いの感覚が相手を『人間』として捉えている――それどころか、この世界そのものがあなたを『人間』として感じていて、ナナさんがこの世界に対して自分が『人間』としていられる場所として感じている。そういう調整が入っていると、そう言いたいんですか?」
「そうだね。わかりやすく言えば火の鳥の復活編かなぁ。私は土くれで秦はロボットだけれど、お互いの主観では互いが『人間』に見えていて、現象に対してすらその認識に齟齬が発生しない状態というわけ」
「別の世界なのに手塚治虫作品で話が通じる……」
「だから、それこそがアジャスト・クオリアなんだよ。私のいた世界は別の外来者による侵攻を受けたことがあるけれど、こっちの世界にはそういう痕跡がない。そのことから並行世界ですらないことが理解できるのに、言葉にも歴史にも地理にも違和感がない。それなのに会話と認識に不都合が生じないわけだし、もはやそういうモノだと私は考えているよ」
――今、ナナさんが少しだけ何かを越えた気がした。
だが、そのことについて俺の感覚は認識を追い越せなかった。
ナナさんのその言葉を俺は違和感なく受け止めた。
そして気付く。
――あぁ、そうか。ナナさんがこの世界の存在ではないことの何よりの証左はこれか。
――ナナさんには魔力が存在しなかった。
この世界の存在であれば全てが孕む力。この世界の一つでありながらこの世界の法則から剥離しつつあるが故に生じる矛盾の力。存在の魂から生じる存在しないエネルギー。
それが、ない。
これは俺が『世界端末』だからこそ、その感覚を認識できたのだろう。これが俺ではないこの世界の存在であれば、その存在はこの人から魔力を感じ取るのだろう。
つまり、この人の世界に魔術師は存在しないし、それに伴う歴史の動きも違うはずなのに、俺とナナさんの会話には一切の違和感が生じない。世界の歴史、日本の歴史、学問の体系、最近直木賞を受賞した好きな作家の話、それらが問題なく通じてしまう。
その事実に薄ら寒さすら覚えることが出来ない。
□■■□
まぁ、そのへんの話は俺にとってそんなに重要なことではないので気にしないことにした。気にしたところでどうしようもないし。
その後は、俺とナナさんは他愛のない会話をした。最初はそれなりに真面目だったり、陰鬱な内容の話だったりをしていたのだが、次第にくだらない会話へとシフトしていった。
その会話はまぁ……、ナナさんは常人が一日に摂取していいアルコールの量を明らかに超過しているであろう飲酒をしていたし、俺も付き合いで二、三口ほど飲んだが故のモノで、それが目も当てられぬ内容になるのは当然の帰結とも言える流れだったし、そんな状態で繰り広げられた会話である以上、内容は察して欲しい。マジでくだらない会話だったのだが、それでも敢えて一部を抜粋するとこんな会話である。
ナナさんの発言から始まります。
「あのさー! ハゲにも種類があるじゃん⁉ そんでさー、あのー、えーっと、なんて言えばいいのかなー! 頭頂部が禿げていて、側頭部や後頭部にじんわりと髪が残っているアレ。前髪が後退していってツルっぱげになる一歩前みたいな段階。ハゲが満月なら三日月みたいな感じのやつ。アレなんて呼称するんだろうね!」
「磯野さんちの波平さんみたいなやつですかね!」
「そうそう波平! 波平の頭頂部抜き! ていうか波平はなんやねんあのアンテナ! ど根性大根かよ! 荒野に咲く一輪の花ってか! で、結局アレはなんて呼べばいいんだろうね!」
「波平から一本減らした状態ですし、波平引く一……」
「つまりあの禿げ方は波平-1.0ってか! アカデミー賞取れそうな髪形じゃん!」
「あーはっはっはっははははははぁ! そういえば知っていますか⁉ 波平には双子の兄である海平ってのがいるんですけれど、容姿がクリソツで、唯一の違いは頭頂部の毛の本数が一本多いんですよ!」
「つまり、海平の髪形は波平+1.0ってことォ⁉」
「低予算パロディ映画みたいになっているじゃないっすかぁ!」
「わーはっはっははははははーぁ!」
――以上。ろくでもない会話でした。
人の身体的特徴を挙げ連ねて話題の種にするのはどうかと思いますね。
そうやって一通り話したあと、俺とナナさんは別れの言葉を交わしてあっさりと解散した。
少年の日の思い出。ともすれば初恋だったかもしれない人との再会と、再びの別れはそんな感じで幕を閉じた。
――いや、こう、酷いな。ほんと、ひどい。終わりが悪ければ全てが駄目なのでは……?
でも、意外と現実ってのはこんなモノなのかもしれない。
偶然の出会いと、劇的な再会と、ぐだぐだな別れ。
俺とナナさん――お姉ちゃんの間にあるのは、それぐらいが丁度いいのだと、そう思った。




