閑話『既知との遭遇・上』
四章の前の話です。三章の直後ぐらいで、だいたい本編です。
――昔のことを思い出す。記憶力はそんなに上等ではないのだけれど、鮮明に思い出せる。
当時、小学生だった自分は夏休みを利用して父方の祖父母の家に一人で遊びに行き、二週間ほどそのへんで遊んでいたことがある。
電車で二時間ほどの距離を着替えや夏休みの友、お気に入りの本を詰め込んだ重いリュックを背負ってえっちらおっちらと歩き、電車に揺られ、目的の駅のロータリーで待つ祖父母のところまで向かった。
今思えば、あれが初めてのひとり旅だった。高校生となり頻繁に電車に乗るようになった今となってはあの程度ちょっとした移動でしかないのだが、子供心に不安や高揚を抱き、駅の電光掲示板と時計とメモ書きを何度も見返しながらも無事にやり遂げたときの達成感は確かなもので、こうして思い出すと少しばかりこそばゆい。
あのときは妹と弟が流行り病に罹り、父と母がその面倒を見るのにつきっきりとなったのがきっかけだった。罹患者を増やさないための隔離、祖父母が孫に会いたがっているという要望、その二つが合致した結果として送り出された。
祖父母の家は伝統的な日本家屋と呼べるモノで、出されたスイカを縁側で食べるという日本の田舎の風物詩と言っても過言ではないイベントをこなしたりもした。軒先に吊るされた風鈴が風にあおられてちいさく騒ぎ、蚊取り線香がうっすらと煙を吐き、それらを駆動する扇風機が風と音で掻き乱していく。そんな夏たちを背にして縁側に座り、半分に切られたスイカに先端がギザギザしたスプーンを突っ込んでほじくっては食べ、口内に溜めた種を庭に飛ばす。当時はそういうモノだと気にも留めなかったけれど、今になって振り返るとコテコテの絵面だよなぁと苦笑しそうになる。
そんな祖父母の家から歩いて三十分と少しぐらいの場所に川がある。川幅が十メートルもないような小さな川だ。
――ちなみに、川幅というのは堤防から対岸の堤防までの距離のことであり、川幅と言われて漠然とイメージするような水面の幅のことではなかったりする。日本で一番の川幅を有するのは荒川で、最大となる幅は驚愕の二キロ強なのだが、その殆どは河川敷であり、水面部分の幅は数十メートルが基本だったりする。
詐欺だと思う。
話は逸れたが、本来の意味であれ誤解の意味であれ川幅が十メートルにも満たないその川の近くには駄菓子屋が存在する。そう、今どき珍しい駄菓子屋である。コンビニやスーパーの台頭、少子高齢化による購買層の減少と経営者の年齢的限界、そういった様々な事情により衰退の一途を辿る駄菓子屋ではあるが、減っているだけであり絶滅とまでは行きついておらず、場所によっては残っていたりするのだった。
そんな駄菓子屋でいくつかのお菓子とラムネを購入し、河川敷に設置されているベンチに座ってのんびりと川を眺めたり本を読みながらお菓子をつまんだりするのが好きだった。川べりでは釣りをしている人が幾人か見掛けられて、そういった人たちをぼおっと観察するのも楽しかった。
それは祖父母の家に来て四日目のことだった。
熱中症対策として渡されたつばの広い帽子を目深に被り、すっかり自身の定位置として認識したベンチに座り、毎度のごとくぼんやりしようとしたところ、近くに一人の女性が立っていた。
炎天に熱されたアスファルトは空気を焦がして肌と肺を焼き、茂みを通って草いきれを絡めとった風は汗に濡れた服を乾かさずに吹き抜けていく。そんな真夏日だというのに、その女性は凍てつくほどに精緻な顔立ちをしていて、ぞっとした。
その女性は相貌に似合わない大きな麦わら帽子を被っており、腰まで伸ばされた黒漆のような髪は夏風に吹かれてそよいでいる。帽子の影になっているというのに、その瞳は淡い藍色であることがわかる程度にはほのかに輝いていた。
細身の体格に合っていないダボついた白いドレープシャツを着ていて、下に履いているのはところどころに穴の開いているボロボロのジーンズ。夏場にジーンズは暑そうだが、女性が履いているのは通気性が良さそうなので意外とそうでもないのかもしれない。(――などと当時は思ったものである。ただのダメージジーンズであり、お洒落でしかない)
背は高い。母より高く、父と同じぐらい。人の年齢を推測するのは苦手ではあったけど、親たちよりは若くて、それでも大人ではあるのだろう――つまりは二十歳ぐらいなのだろうと、なんとなくそう思った。大人のお姉さんである。
――第一印象は『格好いい』の一言に尽きた。
そんな大人のお姉さんはこちらを見て、言った。
今までの印象が覆るような、見る者を思わず安堵させてしまうようなふやけた笑みを浮かべて、言った。
「少年。釣りは好きかい?」
鈴を鳴らしたかのような凛とした声。
そこで初めて、お姉さんが釣り竿を抱えていることに気付いた。
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釣りをしたことがないと答えると、お姉さんはこちらを手招きして(そして自分は誘われるがままに一緒に)川べりへと降りて行き、テキパキと釣り竿を組み立て、それをこちらに握らせてきた。お姉さんはこちらの後ろに回り込み、竿を握る手に手を重ねる。
「こうやって、こう」
お姉さんの手に導かれるままに釣り糸を川に垂らす。
そのまま五分ほど待つが、魚が掛かる気配はない。
「釣りとはね、待つことなんだ」
お姉さんはそれっぽいことを言った。
「そうなんですね」
「そうなんだよ。うむうむ、少年は人の言うことを素直に聞けて可愛いね」
格好いいお姉さんに可愛いと言われた。そのことにむずがゆいモノを感じつつも、褒められたのだと思えば素直に嬉しかった。
「私はね、ある意味でキミのお姉さんとも言える」
お姉さんは唐突にそんなことを言い出した。あまりにも堂々と言われたこともあって、本当にそうなのではと思わされた。
「お姉さんが、ぼくのお姉さん?」
だから、そんな間抜けなことを聞いてしまった。
「厳密には同類――いや、同族、あぁいや、同種。うん、それが一番しっくりくるね。――同種ってだけだし、私とキミでは今のところの立ち位置が違うから、当てはめようとするなら私にとってキミは甥で、キミにとって私は伯母の方が正しいのだろうけれど、この歳でおばさんって呼ばれたくはないから……うん。お姉さんってことで!」
「…………?」
理解が追い付かなかったため、当時の自分は小首を傾げることしかできなかった。
そんなこちらの表情を見てお姉さんは緩やかに笑う。
「まー、そのまま『お姉さん』って呼び続けてくれると嬉しいなってことだよ」
「わかった。お姉さんはお姉さん」
「素直ぉ~~~! こうしてみると弟もいいモンだねぇ。妹以外に兄弟姉妹なんていらねぇと思っていたけれど、考えを改めちゃうなぁ」
「お姉さんにも妹がいるの? ぼくにもいるよ」
「うん? うん。私には妹がいるんだよ。目に入れても痛くない愛い妹でね、自慢の妹なんだ。――そっか、キミにも妹がいるんだね」
「うん。弟もいるよ。かなでちゃんとともくん。可愛くて、どっちも大事」
「そっか。大切なんだね」
「うん! ……ということは、お姉さんはかなでちゃんやともくんのお姉さん……?」
自分にとっての姉であるのならば、弟妹にとっての姉にもなるのではないかと考えるのは当然の帰結だった。だけど、お姉さんは手を振ってそれを否定した。
「あぁいや、そうとはならないかな。血縁としての兄弟姉妹は妹だけだし、キミとは近縁種としての――いわばレトリックとしての姉弟ってだけだから、キミの弟妹が私に繋がることはないよ」
言っていることは半分どころか殆ど理解できなかったが、違うと言うのであれば違うのだろうと、そう納得した。
□■■□
見知らぬ人についていってはいけない、などとそのようなことを親にも祖父母にも言われていたし、学校でも周知されていたのだけれど、当時の自分はそのお姉さんのことを不思議と『見知らぬ人』と思うことが出来ず、一緒にいることに疑問を抱かなかった。お姉さんの話す内容が面白くて興味深かったことも理由だったと思う。あと、美人のお姉さんという属性に脳が焼かれていたというのも若干あると思う。
お姉さんは大学生の身で、長期休暇を利用して世界各地を旅して回っているのだと教えてくれた。旅行先として挙げられたのは知らない国名や地名ばかりで、世界は広いのだと感心したのだが、それならばどうしてお姉さんはこのような辺鄙な――日本の片田舎と言えるような場所に来ているのかと聞いてみれば、どうやらお姉さんは比較的都心部で育ったらしく、こういった田舎過ぎない田舎の実態を知らないこともあり体感してみたかったから、だそうである。
そんなお姉さんとの会話。
「へぇ、秦ね。随分と大仰でいいね。あぁでも、繁茂――成長の意味もあるんだっけ。肥沃の国、豊沃の大地、豊饒なる――世界。なるほどね。そういう意味では確かに少年にはぴったりだ」
名前を教えたところ、お姉さんはそんなことを言った。意味はわからなかった。
「そうなの?」
「ま。あくまでも私の推測だけどね。真相は少年の両親のみが知ることだ。お母さんやお父さんに名前の由来を聞いたことはないのかい?」
「あるよ。学校の授業で親に聞いてくるようにって言われて、聞いた」
「あるんかーい」
お姉さんは手首にスナップを利かせて空中を軽く叩いた。
「ていうか、そういうのをやるような学校がまだあるんだね。そりゃ親が考えてつけてくれたって事実を確認できたのならそれはいい思い出になるだろうけれど、そうじゃない場合だってザラなわけだし、なんつーか、想像力が豊かというか、足りていないといいますかね。人によっちゃその質問の先にあるのはちょっとした地獄な気もするよ。おお、地獄への道は善意で舗装されている、とはこのことだね」
「どういう意味?」
「良かれと思って行われたとしても、それが結果に伴うとは限らないという話だよ」
「うーん……?」
「ま、いいさ。それで、ご両親がどういう意味で『秦』という名前を付けてくれたのか、私に教えてくれないかな? 答え合わせといこうじゃない」
「えっと……、繋がりを表す名前だって、お母さんは言ってた」
「繋がり、か。お母さんやお父さんから一字ずつ貰ったりとかかな?」
「ううん。妹や弟との繋がり」
「ん? 先に生まれた子の名前に因むのなら分かるけれど、後から生まれるのに…………あぁ、妹と弟の名前はカナデちゃんとトモくんだっけ。その漢字ってこれかな?」
お姉さんは携帯電話を取り出して『奏』と『奉』と打ち込む。合っているので頷く。
「兄弟に繋がりを感じて欲しい、そういう願いが最初の段階からあったんだね。元々子沢山の予定だったんだろうなと少し下世話なことを思ったり~」
「お母さんがね『私はてんがいこどくだった』って言っていて、だから繋がりを大事にしたいんだって、大切にして欲しいんだって、そう言ってた。そのための名前なんだって」
「へぇ…………。ねぇ秦、キミはお母さんとお父さん、好き?」
「うん」
「そっか、キミは恵まれているんだね。そう思えるような育ち方を、したんだね。――結局さ、そういうのってどこまでいっても一方的なモノなんだよね。願いは呪いになるし、与えることは奪うことになる」
「お姉さんがなに言ってるのかよくわかんない」
お姉さんが言っていることの意味が理解出来なくて、理解できないことを素直に口にする。
「そうかな。単純な話だと思うのだけどね。それに、私はそれを否定しない。むしろ肯定するね。私はそういう在り方を好ましく思う。有り体に言えば、そういうのは大好きだ」
そう言ってお姉さんは笑う。
帽子の影に隠れているというのに眩しさを感じるほどの笑顔を向けられた。
当時の俺は、人の笑顔が好きだった。
見るとそれだけで嬉しくなるくらいにはソレを好んでいた。
だって、嬉しいときに人は笑顔になるモノで、嬉しいことは絶対的にイイモノだと思っていたのだ。だから、そうやって人が笑っているとき、俺はそれだけでなんとなく嬉しかった。
けど、そのとき見た笑顔に抱いた感情は歓びではなかった。そのときはその感情に当てはまるモノが思いつかなくて戸惑いを覚えたけれど、後になってあれは『ときめきを覚えていた』のだと理解して、きっとそれが俺の初恋だったのだろうと、心境をそう解釈した。
「お姉さんのお名前は?」
名乗って、自分の名前の話をされて、しばらくしてからお姉さんの名前を教えてもらっていないことに思い至ったので名前を尋ねた。
「ん? んー……。そうだね、ナナと呼んでくれ。敬愛を込めてナナさんと呼んでくれると嬉しいな」
□■■□
それからほぼ毎日、祖父母の家にいる間はお姉さん――ナナさんと会って色々な話をした。
いや、話をした、というよりもナナさんの話を聞いた、というのが正しいか。
ナナさんは色々な話をしてくれた。のべつ幕無しに、脈絡なしに、思いつくままに語ってくれた。とはいえ、ナナさんはこちらの年齢や知識などお構いなしに話すのでモノによっては全然理解できない話もあったけれど、聞けば答えてくれるし、なによりそれはこちらを一人の人間として、対等な存在として扱ってくれているようで嬉しかった。
「――すわんぷまん?」
「そう、スワンプマン。英語だね。スワンプは沼で、マンは男。だから日本語だと沼男」
「なんで沼なの?」
「有名な思考実験でね。沼の近くを歩いていた男が雷に打たれて死ぬのだけど、ほぼ同じ瞬間に近くの沼にも雷が落ちる。すると、雷と泥が化学反応を起こして、死んだ男と全く同一な存在が泥から出来上がる。それは男が死ぬ直前と同じ身体組成、同じ記憶、同じ衣服を身に着けていて、本来の男が雷に打たれて死んだことは知らず、自身が泥から出来上がったことにも気付かないままに、そのままその死んだ男の代わりとして生きていく。でも、それは死んだ男ではなくて、沼から生まれた男だから、沼男」
「雷に打たれて人が死ぬのはわかるけれど、泥が人にはならないよね?」
「そこはそういう思考実験のためのもしもとしてのお膳立てだからあんまり気にしないで欲しい気もするけど、泥も人間も原子の集まりであるという点を考えれば、核変換さえ行えれば泥が人間になるのは不可能じゃないよ」
「そうなの⁉」
「実質不可能な理由はその核変換のためのエネルギーが現実的じゃないからだけどね。くず鉄を金に変換するには超新星爆発並みのエネルギーが必要だとか言うけれど、汚泥を人間に変換するなら雷でも……いやまぁ無理か。無理だね。うん、無理無理」
ナナさんは手をパタパタと振って「無理」と連呼した。
「ここで大事なのは、私たちはそのスワンプマンをどう扱えばいいのか、という話になる。さて、秦。キミはその男をどう思う?」
「どうって、うーん…………。どうとも思わない」
「ふふっ。そうだよね。そんな知ったこっちゃない男がどうなろうとも、どうとも思いようがない。そりゃそうだ。けど、そういうフラットな思考で考え続けて欲しいから、私は続けてこう訊ねよう。果たして、死んだ男とスワンプマンは同一存在なのか? とね」
「……スワンプマンは、元が泥なんだよね? じゃあ、もうその時点で違うんじゃないかな」
「だけど、元が泥なだけで、今はもう全てが死んだ男と同じなんだぜ? 記憶も、血液も、髪も、目ん玉も、仕草も、性格も、同じなんだ。元が泥であることを知っているから秦はそいつを違うんじゃないかと言えるけれど、もしもそのことを知らなければ、その沼男を死んだ男だと疑問を抱くことすらできないわけだ。違うかい?」
「そう、だね。知らなかったら、その男の人が『そう』じゃないのではないかって、そう思うことすら僕はできない、と思う。でも、僕は知っているんでしょ? 知っている僕に、お姉さんはそのスワンプマンが同じかどうかを聞いているんだよね? じゃあ、知らなかったら、なんてのは考えなくていいんじゃないの?」
お姉さんは少し嬉しそうに口角を吊り上げた。表情を歪めたというのに、それでもナナさんの顔は綺麗だった。
「ここで大事なのは、秦、キミの認識が重要なのかどうか、という部分さ。キミはスワンプマンが泥であることを知っているが、それを知っているだけで『違う』と言えるのかい? 元が泥であることを知っていたところで、それがそのスワンプマンが死んだ男と同一存在であるかどうかの証明に寄与しているかはちゃんと考えるべきなんだ。今の段階では、死んだ男と沼男の同一性などキミの認識次第でしかないと、そうなってしまう。キミが知っているかどうかだけで判断するのは、あまりにもキミという存在に世界が拠り過ぎている。いや、キミが主体――中心になってしまっている。キミが『そう』だと思えば、世界は『そう』なのかい? 独我論は嫌いじゃないけれど、好みでもない。もっとさ、どうして違うと思ったのかを突き詰めていこうよ」
言われて、考える。
「うーん……。えっと、そもそも、死んだ男の人はそこで終わっていて、スワンプマンは逆にそこから始まっている。どれだけ似ていても、そこは同じじゃないから、違う……のかな?」
「連続性を持たない以上、そこに繋がりはなく、繋がりがないからには同じではないと、そう言いたいのかな? では、その連続性とはそもそもなんだと思う?」
そこからの話は混迷を極め、主に俺の脳内を掻き乱した。――正直、小学生にする話ではなかったと思う。興味深く面白い話ではあったけれど、知らない単語が多過ぎた。でも、分からない部分は都度確認して自分なりに噛み砕いてどうにか聞いた。
――お姉さんは朗々と語る。
連続性の話をする。
テセウスの船の話をする。ギリシャ神話にて語られる英雄が搭乗したとされる船。その船にまつわるスワンプマンと同様に有名なパラドックスの一つ。
とある都市に一つの船――物体がある。その部品を一つ一つ置換していく。最終的に元の部品は残らず、全てが入れ替わった船となる。では、それは果たして最初の段階の船と同一性を持つのかという話だった。これに対して、俺は同じではないと答える。何故ならそこには元の船が持つ要素が何一つ残っていないからだ。そこでお姉さんは一度頷き、追加で問うてくる。
「では、部品を置換していくにあたってどの段階から船は同一性を失う? 扉一枚、マスト一本、セイル一枚、ロープ一本、甲板の板一枚、それらのうちたった一つを替えた時点でそれは同一性を失うかい?」
失わないように思えた。ロープ一本替えただけではその船がその船であることに変わりはないと、そう答えた。
「では、それを何度も繰り返そう。どこの段階で船は同一性を失う? ロープ一本替えてもその船が同じであるのなら、その置き換わったロープを含めても同じであるということになるけれど、全てが替わったら違うというのであれば、その境界はどこになる?」
頭がこんがらがった。よく分からなくなった俺を見てお姉さんは微笑む。
「人間の細胞は日々入れ替わっているのだと言われている。飲み喰らったモノを血肉にして、古くなった細胞と入れ替える。そうすることによって人体はその新鮮さを保つ。細胞の入れ替えの間隔は部位によって変わるけど、早い部分であれば数日、血液や骨などは半年ぐらい。では、これを先ほど話したテセウスの船に当てはめよう。一年後のキミにキミはどれぐらい残っているのだろうね? そのキミは、果たしてキミなのかな?」
そう言われて幼い頃の俺は怖くなった。思わず自分の手を見てしまう。指は動く。手は開く。腕は曲がる。自身の意思に従い動く。繋がっているのが分かる。だというのに、それが以前までの自分の腕と果たして同じなのか、その確証を得られなくなってしまいそうになる。
「まぁ、神経細胞である脳は増えこそすれ、入れ替わりはしないのだけどね。――じゃあ、脳さえあれば首から下が別人のモノだったとしても、それが同じと言えるのか? という話にもなってくるね。頭部だけになったディオがジョナサンの肉体を乗っ取ったけど、あれをディオと呼ぶのか? という話でもあるわけだ」
当時の俺はまだジョジョの奇妙な冒険を読んでいなかったので、お姉さんの言っていることがこれっぽっちもわからなかった。なので当然のように「ディオとジョナサンって誰?」と聞いたらお姉さんはショックを受けた。
「ジョジョは全人類が読んでいる作品のはずだろう⁉」
世界で一番発行されている聖書すら読んでない人間がたくさんいるのにこの人はなにを言っているんだろうね。ジョジョのことなんだと思っているんだ。「人生のバイブルだ!」うん、だからその聖書ですら読んでない人がたくさんいるって話なんですよ。というか、回想の地の文に割り込んでくるのやめてください。
「人間は『船』を一つとして考えるが、その実態は様々な要素の集合体でしかない。それらをひっくるめて認識するのは構わないが『ひっくるめている』ということを失念すると、テセウスの船などというパラドックスに惑わされることになる」
ディオがジョナサンの肉体を乗っ取ろうともそこにあるのはディオの頭部とジョナサンの肉体でしかない。その肉体を動かしているからといって、その肉体がディオの肉体となるわけではない。そこを履き違えてはいけない。ただそれだけの話。
「同一性というのはまやかしなんだよ。万物は常に変化をする。変わらないものなどない。四法印の一つ、諸行無常ってやつだね。――そこに在るだけ。船も、沼男も、死んだ男も、もちろんキミも、そういう変化していく情報の集合体ってだけなんだ」
考えてしまう。
聞いてしまう。
では、もし、雷が男――自分に落ちず、それでいて沼にだけ落ちて、自身のスワンプマンが発生した場合、ぼくが本物であることはどうやって示せばいいのか。
そんなもしもを訊いてしまう。
「示しようがない。発生した時点でどちらも本物だ。というか、本物という考え方がすでに間違っている。本物などない。そこに在るという事実だけだ」
完全な複製が目の前に出現したとしても、その時点でそれはすでに自身とは別の個体として存在することになる。同じ記憶を有していようとも、立っている場所が違う以上すでに異なる刺激を受けており、異なる存在へと変貌していくのだと、ナナさんは言う。
それはなんだかとても残酷なことのように思えた。
「――あぁ。でも、もし、魂があるとするのなら、実体を持たないが故に数値化が不可能であり同様の形を取ることが出来ないソレを――全くの同一にならないソレが在るのであれば、魂を持つモノこそが本物であると、そう言えるのかもしれないね」
死んだ男の魂が沼男に移ったのであれば、肉体と魂が完全に同一である以上、沼男はそれこそ正しく死んだ男そのものであり、連続性は魂によって担保される。
逆に、死んだ男の魂とは別の新たな魂が沼男に生じていた場合、それは死んだ男の魂ではないが故に、沼男と死んだ男が別の存在であることの完膚なきまでの証となるだろう。
近くの駄菓子屋で購入し、すでに飲み切って空になったラムネ瓶を太陽にかざしながら、お姉さんはそう言った。からりと、くぼみから零れたビー玉がくぼみに落ちて音を立てた。
□■■□
炎天下での水分不足は命に関わるとのことで、飲み物を補充するために話を中断して駄菓子屋へと足を運んだ。店主であるかくしゃくとしたお婆さんからラムネ瓶を二本とアイスキャンディー二本を購入し、店の軒先に設置されているベンチに腰掛ける。日陰に移っただけだというのに、それだけで体感の暑さがぐっと和らいだ。ジワジワと辺り一面に響く蝉の声に耳を傾けてぼうっとしていると、袋から出された抜き身のアイスキャンディーが眼前に出される。受け取り、少し舐めた後に噛み砕いていく。
風の吹く音、蝉の泣き声、ときおり通過する車の稼働音。
それらに加え、しゃくしゃくと、氷菓を咀嚼する音がしばし追加される。
――最後の一口を食べる。
外気に晒され続けた最後の一欠けらは口内であっさりとその形を失い、液体となって喉を通っていった。
こちらが食べ終わったのを見計らったかのように、お姉さんは口を開いた。
「量子テレポーテーションという技術が存在する。まぁ私は詳しくないから聞きかじった話でしかないのだけれど、要はモノを一度素粒子に分解して、離れた場所に転送して、そこで再構成させる技術といったモノらしい。これはSFとかでも目にするヤツだね。そんな量子テレポーテーションはさっき話したスワンプマンの話でも引き合いに出される。一度分解して再構成した存在は同一存在なのか? とね。そして、量子力学的には全くの同一である、という結論になるそうだ。量子テレポーテーションによって転送された情報は転送前と転送後が漏れなく同じであることが観測者によって観測される以上、それは同じだと定義される。ここでは魂などという観念的で存在が確認されないモノは最初から考慮外だ。そう、どこぞのマッドサイエンティストが言ったかのように精神は神経細胞の火花にすぎず、人格は記憶情報の応答にすぎず、魂は存在しない。そう言うしかない。魂の存在なんてのは現状、科学分野においては語ることのできない領域にあるからだ」
――それでも、とナナさんは言う。
「私たちが魂と呼ぶモノ――意志と呼べるモノはあるんだよ、秦」
「それは複製不可能なモノで」
「それは代替不可能なモノで」
「それは再現不可能なモノで」
「キミが持つ、キミだけのたった一つしかないモノなんだ」
お姉さんはこちらの頭を緩やかに撫でながら、言葉を続ける。
「妹や弟を大切に思うのはいいことだ。それはとても素敵なことだよ。でも、だからといって、それが自分を蔑ろにしていい理由にはならないんだ。自分に価値がないだなんて、そう考えること自体が違うよ」
――俺はその日、お姉さんに確かこんなことを言ったのだ。
『弟や妹の代わりに自分が苦しめばいいのに』
なんて、そんな心情を漏らした。
漠然と感じていた自身が何かの代わりでしかないという感覚。他にも代わりはいるし、自分はいなくてもいい。物心ついたときからそういう認識だった。自分が自分である必要はないという確信。それでも、妹や弟のために存在しなければいけないという決意。だというのに、そんな自分だけが無事で、二人が流行り病で苦しんでいるのだという事実がとても苦しかった。
「いいかい、秦。キミはまず自分の価値を認めなさい。キミに価値がないのであれば、キミが代ろうとする存在の価値もまた無いことになる。それは嫌だろう?」
「……うん」
「だから、まずは自分を認めてあげるんだ。そうやって認めて、肯定して、そうして初めて他のなにかを大事な存在だと言えるんだ。そういった上で、代わりたいと思えるほどに掛け替えのない存在であると言えるんだ。――これは受け売りだけどね、人を幸福にできるのは、幸福な人間だけなんだ。誰かの幸福を願うのであれば、まずはキミが幸福になりなさい。キミ自身の幸福を願えるようになりさない」
――私にそうだと教えてくれた男は、そういうものなのだと言い切っていたよ。
お姉さんはまるで遠い昔の記憶を懐かしむかのような口調でそう付け足した。




