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魔術師の少女、世界端末の少年  作者: 海山優
閑話

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閑話『とある四月のできごと』

 ――等間隔で発生する揺れは瞼を重くするばかりだった。


 四月馬鹿の翌日。四月二日。高校一年生になった宝木(たからぎ)章司(しょうじ)は電車に乗っていた。

 否。明確に記述するのならば、高校一年生になる予定の、が正しい。


 それなりの思い出が詰まった愛すべき母校でもある遠楯中学校を卒業し、一応の第一志望校である仲溝高等学校へと入学するのは数日後の話だった。


 年度末までであれば籍は中学校に存在していたのだが、四月一日(わたぬき)を終え、それでいて入学式を控えている今、章司には『学生』という肩書きが無かった。


 ほんの数日間しか存在しない特殊な期間であり、思春期を迎え自身の立場に思いを馳せるようになった不安定な少年少女であれば、それだけで少しばかりの思案を重ねられそうな命題。


 ただし、そのことを章司本人は意識しておらず、本人は特段自分の立ち位置に対してもありきたりな認識をしていた。


 学生。頭に「ただの」を付けてもいい。そういう認識だった。


 優秀な姉と、愚鈍ではあるが愛嬌のある妹。そういう姉妹に囲まれて育った章司は早々にして自身が『特別』ではないことと『誰かの特別』になれることを学んだ。


 章司の姉は優秀だった。章司に反抗する気力すら湧かせないほどに完璧だった。学業においても、スポーツにおいても、人間関係においても姉は苛烈なほどに優れており、章司は小学生の段階で心をへし折られていた。


 章司の姉はある日、受け入れるようにこう言った。


「私にも無理なモノはたくさんあるねー」


 幼い子供であれば誰でも持ち得る根拠のない自信。理屈抜きの全能感。世間を知らないからこその「どこまでも行ける」ということを心から夢見ることのできる希望。


 そういったモノを姉に潰された。それも無自覚に。

 姉に悪気はなく、章司にも恨みはなかった。


 ただ、姉のようにはなれないと――姉のようにすらなれないのに、その姉が早々に限界を見定めた。そういう限界が存在することを早々に知ることになった。


 そんな姉は自分のように上手く出来ない章司を見下すことなく「人それぞれだから」と、ありきたりではあるがこの世の真理そのものを慰めるように告げた。


 そんな章司が道を踏み外すことなく成長できたのは妹の存在が大きかった。


 章司の妹は要領の悪い子供だった。物覚えが悪く、運動神経も劣っており、およそ才能と呼べるモノを姉と兄に全て持ち去られた状態で生まれてきたような存在。


 そんな妹を間近で見たことによって、章司は己が姉に比べれば劣る存在ではあっても、全てから劣るような存在ではないのだと自覚した。姉ばかりを見ていたがために、基準値を姉という異常に定めてしまっていた章司の認識を強制的に常識の範囲に落とし込んだ。


 また、愚かであっても、そのことを自覚し、その上で強かに生きる妹には姉とは別の意味で敵わないと章司は痛切している。


 ――もしも俺がお前の立場だったら、きっと立っていられない。


 優れた姉を見て、それよりは劣った兄を見て、それにすら及ばない自身など見ていられない。けれど、妹は前を向いて生きている。転んでは涙し、躓いては泣き、失敗しては悲しむが、それでも進もうとする妹の姿に章司は眩しさを覚えたのだった。


 宝木章司という少年の人格はそのように形成されている。


 ――有り体に言えば、恵まれた生活だった。


 そんな章司の生い立ちから話は戻り、場面は現在に戻る。


 章司の人生において、電車に乗った回数は両手で数えられる程度の回数である。実際はもう少し多いのかもしれないが、記憶に残るのはその程度だった。


 章司の住む比佐(ひさ)市は片田舎とは言わないまでも決して都会とは言えないような場所である。都心まで電車で一時間半強のベッドタウン。古くは宿場町としての側面もあり、市町村合併を繰り返して市となってからは鉄道の整備などにより都心までのアクセスがある程度良くなったという経緯が存在する。国から首都圏近郊整備地帯として指定され、衛星都市としての価値を見込まれて行われた都市開発は功を奏し、比佐市は大多数の人々の思惑通りにベッドタウンとして形成されていった。一軒家や世帯向けのマンションを購入するような層が増えたことにより児童の数も増加傾向にあり、学校などの教育機関も増えることとなった。また、人が増え、その需要に応えるように近接する地域には商業施設がいくつも開設されていくことになる。幸いなことに比佐市は広く平坦な土地ならいくらでもあるため、山を切り拓くような手間は必要なく、開墾された田や畑を潰しながらテンポよく開発が進んだ。増えた店は新たな雇用を生むようになり、ベッドタウンではない住み方をする人間も出るようになった。


 ただし、それもある程度の時間が過ぎると頭打ちとなる。増える人口に比例できるほどの開発は行えず、新たな高速道路や国道の開通もあってベッドタウンとしての価値が高まる程度で終わった。最終的に――現在の比佐市は「市から出る必要がない程度には衣食住も娯楽も市内や隣接した市外で賄えるようになったけれど、都会に憧れがあると微妙」な都市となった。


 それが高校生(予定)の章司にとってどういう意味があるかと言えば、本心から「何一つ不満のない街」という感想だった。章司が必要とするような娯楽であれば市内で十二分に楽しめる品揃えになっており、物足りないと感じたことはなかった。


 バスで行ける大型複合施設では大体なんでも揃うし、近所の大型書店には大抵の漫画が入荷されている。自転車(チャリ)で三十分掛かるところにある敷地の半分が駐車場になっているゲームセンターは治安も悪くなくて友達(ツレ)とはよく行く。


 物が溢れている都会に憧れるまでもなく、手の届く範囲で満足できるモノが充実している。


 つまり、何が言いたいかというと、章司にとって電車とは乗る必要のないモノだったのだ。小学校は徒歩での集団登下校で、中学は自転車通学、高校も自転車で通えるところを受験し合格したので向こう三年は自転車と仲睦まじく登下校を共にする予定。大学進学や就職ともなれば、それまでを支えてくれた自転車から電車へと乗り換える必要性も出てくるだろうけれど、それはまだまだ先の話であった。


 さて、そんな章司がどうして新年度から縁のない電車に乗っているのかと言えば、


『入学祝いに肉食わせたるからこっちゃ来い』


 と、都内の大学に進学すると共に一人暮らしを始めていた姉に呼び出されたからである。


 最初こそ渋ったが、母親から姉への届け物と一緒に交通費を渡され、実質無料で焼肉が食べられるとなればそこは食欲旺盛な思春期の男の子、こうして文句も言わずに電車に揺られているという次第だった。



 ◆◆◇◇◆◆



 ――それは不愉快な臭いと雑音だった。


 鉄の揺り籠に心地良い微睡みを提供されていた章司にとって、それは虫唾の走るような存在だった。


 三人掛けの優先席に寝転ぶ男が一人。加熱式煙草をふかし、手に持った携帯電話で誰かと話している。吊り革を利用する人がいない程度に空いた車内では、男の乱雑な声はよく響く。


 章司は規律(ルール)を守ることが嫌いではなかった。否、秩序(ルール)を乱すことが嫌いだった。特に、自身が常識から外れたことをするのを嫌悪していた。歩行者用の信号機が設置されている道を通るとき、たとえ車が一台たりとも通っていなくとも、見晴らしのいい道路の地平線にすら車の影を見つけられなくても、赤信号であれば章司は立ち止まるようにしている。たとえ他の歩行者が道を渡ろうとも、章司は決して動こうとはしなかった。車の気配がないからと渡る他人を咎めることはない。実際に車はおらず、その人の行為によって迷惑を被る人はいないからと、章司はその行為を見なかったことにする。気持ちは理解できるし、理由も納得できるからだ。けれど、それでも、章司は信号の切り替わりを待った。道交法を破ることに抵抗があった。ルールを破ったという自身が形成されるのを嫌がった。お天道様ではなく、自分自身にその姿を見られることを嫌悪した。自身に対するある種の潔癖。自己満足としての『間違ったことをしたくない』という考え。


 正しくありたいのではなく、誤りたくないという、そんな反発心に対する拒否感。


 だから、章司は嫌悪こそすれ、それを咎めるようなことはほとんどなかった。友人であれば、それが好みではないことを伝え、度が過ぎるようであれば縁を切るようにするのだが、赤の他人ともなれば基本的には不干渉を信条としていた。


 ――きっと、この時の自分は気が大きくなっていたのだと思う。


 後になって振り返った際の章司は、他人事のようにそう考察した。



 ◆◆◇◇◆◆



 章司は成長期の到来が早く、中学三年生の春頃から急速に背が伸びた。当時は成長痛に悩まされることもあったが、百七十代後半へと到達し始めてからは素直に喜べるようになった。上背があることのメリットは多く、百八十近くになると純粋な身体性能で同級生を上回れるようになり、無意識ではあるが増長した部分もある。


 卒業と進学。久方ぶりの遠出。慣れない電車内。そういった事情が彼の背中を押した。


 その一押しに籠められたモノが『勇気』なのか『蛮勇』なのかは、章司自身には判別がつかなくなっていた。


「ちょっと」

「それがよ――あ?」

「迷惑です。電話するのやめてください」


 通話中だった男は、視界を覆うように目の前にやってきた図体を見る。


 章司は慇懃に、それでいて威圧的に出ることを選んだ。この手の人間には下手に出てはいけないと、そう判断した。この手合は自身の立場が上だと感じ取ればそれだけつけあがるタイプであり、下に見られてはいけないと、そう思ったからだった。


「チッ――あぁ、気にすんな。なんか変なのが来ただけ」


 男は章司の顔を見て、舌打ちをして、実に面倒そうに目を逸らし、会話を再開した。空いた方の手で空を払った。散れ、と言葉にせずに示した。


 たかった虫を払うかのようなその仕草がひどく癪に障り、章司は頭に血が上った。


「だから、やめろよ!」


 手を伸ばす。対象は携帯電話。男は掴むように出された手を振り払おうとし、手と手が空中で衝突する。鈍い激突。床を弾ける精密機器。罅の走る液晶。


「ッッッ、テメェなにしてくれてんだよ!」


 男が激昂する。跳ね起き立ち上がった男は章司に真正面から掴み掛かる。


 そこで初めて章司は男の顔をはっきりと認識する。同じ高さの目線。傷によって出来上がった不自然な剃り込み。落ち窪んだ不気味な目。その顔の左半分には禍々しい刺青が彫られており、明らかにまともな人間がしていい相貌ではない。


「オイ! てめえのせいでコワれちまったじゃねぇかよ! どうしてくれんだよオイ!」


 淀みのない怒声。呼吸した瞬間に差し込み、息を止めさせるという手慣れた恫喝。口を挟ませないようにして「言葉が出ない」ように錯覚させる追い込み。


「――――」


 章司はそこで言葉を失う。


 暴力を『手段』の一つとして当たり前のように選んできた人間が持つ不気味さを見た。今まで平和な環境で生きていた章司にとって、初めて目の当たりにした種類の人間。


 ――頭が真っ白になった。


 距離感が失われる。目の前の顔が近い筈なのに、章司にはそれがとても遠くに感じる。


 ――自分は大丈夫だと思っていた。こういう人間を前にして尻込みすることなどないと考えていた。でも実際はそんなことなくて、こうして「怖い」人間を目の前にして怯えた。


「謝れよ」


 男が一段低い声で命令する。


「謝れっつってんだろ!」


 掴まれた胸倉が下に引っ張られる。脚に力が入らず、膝が折れる。反射的に手を前に出すが、上手く手をつけることができず、どうにか肘を床に当てて顔が落ちるのを止める。


 視線を逸らすことができて、章司は内心安堵した。


 男は足を上げた――特に逡巡はない――踏み下ろす。


 頭蓋の軋む音。章司の頭が靴底と床に挟まれて弾む。章司の視界は揺れて、床がキラキラと光る。チカチカと鈍く煌めく世界が綺麗で、思考が一向に纏まらない。


 男は躊躇わない。今度は足を振り子の要領で後ろに上げた。


 蹴り抜いた。


「――あ?」


 蹴り抜いたつもりの脚が止められている。人の手が男の足首を掴んでいる。


「はい、そこまで」


 手の主が発した声は女のモノだ。男はその顔を見ようとして、


「おっと手が滑った」


 唐突に天地がひっくり返った。男の後頭部に衝撃が走り、その意識が刈り取られる。



 ◆◆◇◇◆◆



「あ、この後って急ぎの用事あったりします? ない? あ、それなら次で一旦一緒に降りてもらえますかね? 人助けだと思ってお願いします」


 後輩こと空海成世がことの始まりからの動画を撮影していた女性に声を掛けていた。


 俺があの役目をしたら下手なナンパ扱いされて不審者コースもあり得たので、率先して動いてくれて助かるなーとか思いながら、俺は俺でスノウの方へと近づく。


「証言する人は成世が捕まえた」

「そっか、駅に着いたら降りて、駅員さんを呼んで後のことはお願いしよっか」

「怪我とかはしていないか?」

「おっさんは転ぶ際に脳を揺らしただけだから外傷はないよ。気絶しているだけだね。ただ、少年の方はこぶになっているし、頭蓋内出血の線もあるから病院が推奨かな」


 少年(俺よりでかい)を軽く触診しながら、スノウは所感を述べる。


「えと、お前は?」

「……あ、もしかして私の怪我の心配?」

「一応、真っ先に聞いたのはそれだけど」

「この程度のと関わっても怪我なんてするわけないよ。大丈夫だってば」

「まぁ、そうだろうけれどね。それでもね……」

「んふふ、秦くんからの心配は嬉しいね」


 スノウは花開くような笑顔を咲かせる。



 ◆◆◇◇◆◆



 ――頭がぼうっとする。


 頭部に強い衝撃を受けて意識が朦朧としていた章司が最低限の思考能力を取り戻したころにはすでに電車を降りており、駅ホームに設置されているベンチに座らされている状態だった。


「お、はっきりしてきた?」


 章司の目に焦点が戻って来たことを確認して、隣に座る人物が優しい声音で喋る。


 ――反射的にそちらへと目を向ける。


 光を受けて流れる金糸。青空を内包しているかのような碧い瞳。戦慄するほどに綺麗な造形。


 ――天使というモノが存在するのなら、きっとこんな形をしているのだろう。


 見蕩れた。章司はたっぷり十五秒を消費してその『形』を網膜に焼き付けた。これまでの章司の人生において、あまりにも長く短い十五秒であった。


「あんまり動かないほうがいいよ。頭を打っているからね」


 天使は章司の肩に手を掛ける。章司は正体不明の緊張を覚えつつ身体を強張らせるが、次にどうなったかと言えば、横にさせられただけだった。膝枕である。布越しであるが、女性特有の柔らかい感触に頭部が沈む。


「キミがやったことは失敗だよ」


 突然の幸福に目を白黒させる章司の心情をよそに、天使は説教を始める。


「結局、社会通念のない――いや、違うな。社会通念の違う相手とコミュニケーションを取ろうとするのなら『こんなことはしないだろう』って行動を取られることを念頭に置いておかないといけないんだよね。それを理解した上で、それをされた上でどうにかできるだけの能力がなければ今回のようになるんだよ」


 近頃の娯楽作品の一つに『物申す系』が流行していることを思い出し、そこら辺の影響もあるのかなぁと小さく呟きながら、天使は言葉を続ける。


「他の乗客が距離を取って触れないようにしていたのはそういうことだよね。そういうのからは物理的に距離を取るのが一番無難だと理解しているからこその、誰も何も言わない空間だったわけだし」


 触らぬ神に祟りなしと、みんなが距離を取る中、そこに触りに行ったのが章司だった。その事実を指摘される。


「言葉が通じるからといって、キミと同じ常識が通じるかといえばそんなことはないわけ。そこんとこ、キミは肝に銘じたほうがいい。――でもね、キミがやったことは失敗で、方法は間違っていたし、結果は芳しくなかったけれど、それでも、キミは良いことをしようとしたんだ。明らかな迷惑行為をする人に注意をすること。それはとても真っ当で、褒められるべき行動だ。そういうの、私は好きだよ」


 だから、と言葉を続ける。


「行動に釣り合った手段と能力を身に着けることができれば、キミはもっと素敵な男の子になれるよ。偉い人も言っていたでしょ? 正義なき力が無力であるように、力なき正義も無力だ。ってね」


「確かに偉い先生の言葉だけれども……」


 と、横からツッコミが入る。声の主へと視線を向ければ、目の死んだ青年がそこにいた。


 荒んだ目つきであり、ともすれば先ほど相対した喫煙男の落ち窪んだ目に通ずる部分もあるように見受けられるが、章司はその青年に対して不思議と恐怖を感じなかった。


 殺伐としていそうなのに威圧感がなく、声音はかなり落ち着いている――というか、疲れている?――ように取れるので、大丈夫か心配になる。


「駅員さん、呼んだから。一部始終を撮影していた善意の第三者も確保したし、そこでのびている勝手に転んだ人はもう少ししたら目を覚ますだろうね。駅員さんが警察に通報を済ませているし、たぶん傷害罪になるだろうね」


 青年から説明を受けるも、章司は未だに状況に追いつけていない。


「えっと、はい」


 それでも、辛うじて頷いた。


「保護者の人にも連絡しておくようにな。あと、さっきスノウ(こいつ)が言ったように君は頭を強く打っている。早いうちに――今日か明日中には病院に行くこと。できれば今日のうちに行ったほうがいい。これは絶対だよ。強い言葉を使わせてもらうけれど、死にたくなければ病院に行きなさい。それで何事もなかったのなら、俺のことを大袈裟な物言いをする奴だと馬鹿にしていいから、病院には行きなさい。わかったか?」


 青年の目があまりにも真剣だったこともあり、章司はただ頷くしかなかった。


「は、はい」


 章司の頷きを見て青年は微笑む。


「よろしい。それじゃ、俺たちは急いでいるからお暇させてもらうよ」


 そう言って、青年は天使に立ち上がるように促し、天使は青年の言葉に従い膝枕をやめて立ち上がった。先ほどまで後頭部に存在した天使の温もりがなくなり、少し――いや、かなり惜しい気持ちがあったが、章司はそれを態度には出さないようにした。


 この場から離れていく青年を追おうとした天使が立ち止まり、こちらを振り向く。


「じゃあね」


 天使がふりふりと手を振る。章司は思わず手を振り返してしまう。


 そして天使は章司から視線を外し、青年に追い付こうと小走りになり、その隣に並ぶと寄りかかるように腕を絡めた。


 そうしてぼおっと眺めていれば、気付けば二人の背中は改札口のあるコンコースへと続く階段へと消えていった。


 しばしすると、駅員がやって来て事情を改めて説明することになり、章司は聞かれたことを答え、その後は青年に言われた通りに保護者――母親と姉に連絡を入れた。


 母親からは心配され、姉からは説教を受けた。


 姉から説教を受けている際、章司は天使から言われた言葉を思い出していた。


『行動に釣り合った手段と能力を身に着けることができれば、キミはもっと素敵な男の子になれるよ』


 章司は決意した。


 ――強くなろう。とりあえず、武術でも習おう。



 ◆◆◇◇◆◆



「意外でした」


 そう言ったのは後輩こと空海成世であった。


 俺の腕に腕を絡ませ、肩に頬ずりしてご満悦な表情を浮かべているスノウを見ながらの言葉だった。


「なにが意外なんだ?」

「いえ、スノウさんがああいった面倒事に首を突っ込むのが意外だなーと、そう思いましてね。スノウさんって下界の存在が何してようが知ったこっちゃねぇってスタイルだと思っていたので」

「下界て」


 後輩の言葉選びが酷い。


「じゃあ、下々」

「悪化しているぞ」

「でも、間違っちゃいないでしょう?」

「……そうね。では、言われたい放題のスノウから一言どうぞ」

「二人は私のことをなんだと思っているのやら。義を見てせざるは勇無きなり。人として当然のことをしたまでだよ」


 えっへんとその豊満なモノを強調するかのように胸を張るスノウ。成世が胡散臭い存在を見る目をする。


「で、本音は?」

「正直どうでもいいけれど、秦くんはああいう子、好きでしょ? だから助けようかなって」

「男のご機嫌取りっすか!」

「成世ちゃんや、言い方がよくないよ? 天木先輩そういうのよくないと思うよ?」

「まぁ、成世ちゃんの言うようにそれもあるけれど」


 肯定しちゃったよ。


「でも、それ以前にさ、好きな人の好きな在り方は肯定したいでしょ。少なくとも、あの子は秦くんにとって正しいことをしたんだよ。色々と足りていないのが問題だったけれど、それでも、正しいことをしたんだ。そういう心持ちがある存在だった。私と違ってね。私はそれを理解できても共感はできない。きっと、私は秦くんの好きな在り方をできない。でも、その在り方をしようとする人を助けることはできる。私にはそれを通せる力があるし、それが出来る私を私は肯定できる」


 そうはっきりと言い切れるスノウを見て、俺と成世はお互いになんとなしに視線を合わせてしまう。


「……いやぁ、やっぱスノウさん強いっすね」

「ほんとね」

「そういえばあの男、どう見てもスノウさんに惚れていましたね。恋する乙女の目をしていましたもん」

「乙女……?」

「言葉の綾ですよ。そのうち、あの時助けていただいた者です~とか言ってスノウさんのとこに押しかけて来たりして」

「無理でしょ。これでも私はそういう追跡ができないように色々と施しているからね。火灼手ずからの隠形術だから、そんじょそこらの一般人には一生不可能だよ」

「あー、そっか。火灼さん仕込みですもんね。それじゃ無理か。いやー、良かったですね先輩。図らずとも未来のライバルが脱落してますよ」


 成世はからかうように言ってくる。


「はいはい、そうだね」


 と、そう答えてふと気付く。


 つい先日、その刀河火灼仕込みの隠形術を一切無視して接近することができる人物と再会したことを思い出す。以前、その人の探し人との引き合わせを約束し、ほんの数日前にその探し人だった刀河火灼とその人物が会う場を設けたのは記憶に新しい。


 ――もし、先ほどの少年があの中年に何らかのきっかけで出会い、その技術を教えてもらうような、そんな場合のことを考えてしまった。


「――まぁ、ありえないか。どんな確率だよ」


 杞憂に過ぎないことを頭から振り払い、南雲さんから指示された本日の依頼先へと歩を進めることにした。

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