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魔術師の少女、世界端末の少年  作者: 海山優
三章『その目に映るのは』

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◆十八話:蹴りたい顔

 私――空海成世はイト様との面会部屋へと足を向けていた。


 私の面会時間は十五時。現在時刻は十三時十五分前。どうして二時間以上も前に向かっているのかと言えば、暇だからだ。本来であれば先輩と落ち合って色々と打ち合わせをする手筈になっていたのだけれど、


『スノウのとこに行ってくる』


 ――という連絡だけ寄越して放置された。


「はー! 後輩より彼女ですかー!」


 …………当たり前だな。当たり前なので、特に怒ることもない。


 別館はちょっとした健康ランドになっており、施設内では専用の室内履きがある。


 専用の室内履きとは言うが、要はスリッパだ。


 ぺたぺたと間抜けな足音を鳴らして歩く。音がやけに耳に残るのは他の客が見当たらないから。


 イト様の面会部屋は別館の奥の方にあり、そこだけ雰囲気が違う。


 私含め、ちらほらと見掛けた人々は旅館側で用意された浴衣を着ている。けれど、面会部屋までの道のりにはスーツを着てグラサンを着用したガタイのいい男が複数いた。いわゆる身辺警護――SPの類だろう。施設内に漂う緩い空気感の一切を跳ね除けているその雰囲気は正直、怖い。彼らは仕事を真面目にこなしているだけなので責めることなどできないが、こんなのがいれば理由もなくこっちにまで足を運ぶ客はいないだろう。


 まぁ、イト様の部屋自体は奥にあるので、わざわざ足を向けないのであれば、それらに出会うこともなく施設を満喫できるので問題もない。


「……」


 SPの一人がこちらをちらりと見るが、特に声を掛けてきたりはしない。怪しいことをしなければここらをうろついても問題ないということか。


 曲がり角を二度ほど通って、面会部屋の前である待機廊下まで来た。


 そこにもSPはいた。黒髪ロンゲのグラサンだ。そして、それとは別に先客がいる。


 四十代後半から五十代前半ぐらいの中年のおっさんだった。男性で、灰色のスーツで、所々に白髪が見られる。その目は落ち窪んでいて、まるで死人みたいだ。


 ――死人のような目。


 先輩の目をちらりと連想する。けれど、あの人の目とは決定的に違う。


 先輩の目は怖い。怖いけれど、その怖さは失う怖さだ。あの人の見る世界の価値は低い。だというのに、あの人は自身の価値をそれよりも低く見積もる。だからあの目を見ていると、気付かないうちになにかを失くしてしまいそうで、怖くなる。不安を刺激するから、先輩の目を直視するのは気が引ける。気付けば死んでしまっていそうで、怖い。逆に、そういった不安に慣れているか、不安を覆せる強さがあれば、あの人の目はすごく――優しく見える。そこには敵意がないから残酷なまでに緩くて暖かい。自らを低く見積もるが故に、他者を見下げない。


 でも、このおっさんの瞳に宿るのは敵意だ。攻撃的で距離を取りたくなる。


 ああいった目を何度も見た。昔、鏡を前にすれば嫌になるほど見ることになった。


 どうして自分がこんな目に……。そういう恨みの目だ。そして、決意した目だ。


 だからだろう、おっさんが次に取る行動がなんとなくわかった。


 立ち上がる。懐に手を入れる。取り出したるは一丁の拳銃。


 ロンゲSPの反応は一拍遅れた。動きはしたし、身辺警護を務めている人間としては及第点と言える反応速度となるが、飛び道具に対しては致命的な距離と時間だ。


 ――乾いた音がする。拍手よりも小さい。


 サプレッサーなんて付いていないように見えたけれど、アレか、微声拳銃というやつか。サプレッサー内蔵型かつ亜音速弾を使用することで発射音を限りなく抑えるというやつ。


 ――パイナップルアーミーで読んだ。


 ロンゲSPの胴体に三発ほど撃ち込まれる。躊躇いがない。


 私は跳躍していた。こちらにも躊躇いはない。


「ロォォオリングゥソバットォオオ!」


 火灼さん曰く「やはり技名は叫んでこそ」だそうだ。私もそう思う。先輩は「気持ちは分かるが、現実的ではない」とのことだった。スノウさんにはあり得ないモノを見る目で見られた。スノウさんは対人想定が基本だからというのもあるのだろう。


 おっさんの後頭部を蹴り抜き、そのまま綺麗に着地した。ウルトラCだろう、いぇい。


 などと、ちょっとした達成感に浸っていると面会部屋のほうから人が出てきた。


「なにしているんだい」


 老齢の女だ。白髪を和髪にきっちりとセットしており、恰幅が良くて健康的な顔色をしている。記憶にある姿より皺の数も深さも増えている。誰あろうイト様だ。面会部屋の中にもいたのだろう別のSP――角刈りグラサンの男が急いでイト様の前に出てくる。状況を把握しようと視線があっちこっちに動いているのが顔の動きで理解できる。


「不審者がいましたよ」


 害意がないことを示すために両手を顔の前に持ち上げつつ、状況を簡潔に報告する。



 □■■□



『放置で』


 先輩の言葉を思い出す。


 さて、現状がその指示に沿っているかというと微妙だ。先輩が選んだのは不干渉であるが、現在の私は明らかに干渉している。ただ、私が行った干渉はイト様に対してであり、悠理ちゃんへの干渉ではない。先輩が許容し、自由にすればいいと判断し、不干渉を選んだのは『佐田悠理の復讐』に対してだ。


 こんな見ず知らずのおっさんの怨恨については知ったことではないだろうし、それを私が阻止したとしても責められる謂れはないだろう。


 よし、自己弁護終わり。理論武装完了。意識を現実に戻す。


 場所は面会部屋。部屋の中には人間が五人。グラサンが二人、老女が一人、おっさんが一人、そして活力に満ちた見目麗しい少女である私。


 面会部屋は応接室みたいな雰囲気がある。革張りのソファが二つとそれに挟まれたマホガニーのテーブル。それ以外はなにもない。……いや、よく見れば、部屋の隅には大きな透明のパーテーションが鎮座していた。透明度が高く、枠に気付けないとそこにあることがわからなさそうなやつだ。なんぞアレ。アレを部屋の入口に設置しておけば気付かずにぶつかる人の間抜けヅラ映像が取れそうだなーとか、そんなどうでもいい想像をする。


 なお、おっさんは未だに気絶しており簀巻きにされている。簀巻きの成長過程を初めて見た私はちょいとばかし珍しいモノを見たのもあって気持ちが昂っている。


 しげしげと簀巻きの中年を眺め続けていると、呆れ声が飛んでくる。


「勇敢な娘だね」


 イト様だ。


「まぁ、暇ではありますね」


有閑(そっち)じゃないよ。勇ましいほうさ。銃を持った大の男に蹴りかかるだなんて、普通はできないよ」


「そうですかね? 武術の心得があって、相手が隙だらけなら誰だってやると思いますよ」


 誰にだって英雄願望がある。機会があって、自身にそれを遂行するだけの能力があれば動こうとするのは普通だろう。


「そうかねぇ? 思ってはいても、咄嗟には動けないものだよ。それこそ、咄嗟に動くための訓練が必要だろう? なぁ?」


 イト様が横に立っているロンゲのグラサンに問い掛け、ロンゲが頷く。


「はい」


 何事もなかったかのようにしているが、このロンゲは先ほど撃たれていたロンゲだ。防弾チョッキみたいなのを着ていたようで、銃弾は貫通どころか埋まってすらいなかったのである。とはいえ、衝撃自体は消えないので胴体にいいのを三発もらったようなモノだ。にもかかわらず平然としているのは、やはりプロだからなのだろう。


「防弾チョッキって標準装備なんですか?」


 気になったので聞いてみる。


「身辺警護に就く場合は、基本的に着用いたしますね。警護対象の盾になるために身体を張ることは当然ですが、それで死んでは元も子もありません。我々は万全を期して警護に臨んでおります」


「む、それもそうだ。とはいえ、流石に銃で撃たれるのは怖くないですか?」


「そうですね。その恐怖が薄れることは基本的にありません。とはいえ、今回はイト様から事前に言われておりましたので、そこまで怖くはありませんでしたよ」


「事前に言われていた……?」


 言葉の意味を考えようとしたが、イト様がすぐに答えを教えてくれる。


「撃たれるのは分かっていたからね。下手に動かないように言っといたのさ。そうすれば変なとこに当たることはないとね」


 あっけらかんと言うが、私はその言い方にムッとした。


「分かっていたのなら、撃たれる前に拘束すれば良かったのでは?」


「そんな怖い顔をしないでおくれ。それが一番無難だったのさ」


 肩をすくめて笑うけれど、笑うようなことなのだろうか。



 □■■□



 今徳(いまとく)善之丞(ぜんのじょう)。K県を本拠地とする指定暴力団升田一家の構成員()()()男である。過去形であることからもわかるように、升田一家はすでに解散しており、今徳は約二ヶ月前に勤めを終えたばかりだった。利息制限法に引っ掛かる高金利での取り立て、及びそれに連なって行われた恫喝、傷害が主な罪状だった。


 数年前、警視庁によって暴力団への大規模一斉検挙が行われた。それは升田一家やその上部団体にまで及び、癒着していた地元警察署の組織改革までされるに至った。


 年々、暴力団は減少傾向にある。暴対法の改正によって取り締まり基準が強化され、暴力団排除条例――暴排条例が各自治体で制定、施行されており、升田一家もそのあおりを受けたモノとされているが、その実態は少々違った。


 時の政治家である楯谷(たてや)(りゅう)岸本(きしもと)紳之佑(しんのすけ)下屋敷(したやしき)大貴(だいき)。官僚である針金屋(はりがや)由久江(ゆくえ)今村(いまむら)栄一(えいいち)。実業家の磯風(いそかぜ)祥宣(よしのぶ)。彼ら彼女らの相談役であった伊地知(いじち)桃嘉(とうか)――イトと名乗る女性によってソレは起こされたというのが実態だった。服役中にそのことを知った今徳は復讐を決意し、そして、今に至る。


「許さねぇからなこのクソ(アマ)がぁああ! 殺してやる! テメェのその目ぇ刳り抜いて踏み潰してやる!」


 簀巻きの状態で声にドスを利かせても間抜けにしか見えないのだと、空海成世はそんな無駄な知見(トリビア)を得ていた。矯正施設(けいむしょ)に数年いたにもかかわらず、物騒な言葉をポップコーンが弾けるかの如くポンポンと出してくる様を見るに、これは法務省の怠慢ではないかと成世は訝しむばかりである。


 成世は政治批判を意味もなくしたくなる年頃だった。


 今徳から視線を外し、成世はイトとの会話に戻る。


「だいぶ恨まれているんですね」

「なんでだろうねぇ、所属する組をちょっと解散させただけなのだけれどねぇ。暴力を生業として不当に人々を苦しめるような存在なんていない方がいいだろう?」


 暴力団というのは暴力を手段として金銭を稼ぐ団体であり、本質は人を擦り潰して利益に変換することにある。その根底は搾取であり、人の持つ悪性の中でも特に低俗な部類を顕在化させた集団だった。


 生み出すということをせず、生産性がなく、ありもしないモノをでっち上げ、ただ削るだけの文明の膿。「海外のマフィアなどを国内に入れないようにしているから必要悪である」などという擁護があるが、警察組織の対応が間に合わないのは内側で好き放題に迷惑行為を働く存在がいるからという事実から目を逸らさずに言うべき言葉である。加えて、暴力団は自分たちの利益となるのであればそれらの存在を招き入れることすらあり、自分たちに被害が及ばなければ他人事であり放置する。事実として、国内の暴力団は来日外国人犯罪グループとの連携を年々進展させつつある。


 つまるところ、自分たちのことしか考えていないだけだった。搾取(シノギ)のためにやっているだけのことを、あたかも正義――或いは必要悪であると言っているだけである。正当性がないからこそアレらは義理や人情を騙り、任侠を名乗って自分たちの下劣な行いを取り繕うとする。


 刀河火灼(よっぱらい)の晩酌に付き合っていた際に聞かされたことを成世は思い出していた。


「……まぁ、やったことは正しいのでしょうけれど、もっと恨まれないようにする方法があったのでは?」


 暴力団の問題は根深く、イトによって引き起こされた膿の排出ですら完全な根絶とはならない。その地域で迷惑を被っていた人々の中には救われた者もいるだろうが、その地域(シマ)の後釜を他の組や一家などが狙ったり、半グレが発生したりすることもある。加えて、逆恨みで暴れようとするモノも出てくる。事実、大規模一斉検挙が行われた際、関与した政治家の楯谷は末端の構成員による殺人未遂――いわゆるところの鉄砲玉を差し向けられたこともあった。そして今になっても、恨み骨髄に徹した今徳がこのように玉砕覚悟で命を取りに来る始末である。


「あたしにそこまで求めないでくれよ。少しばかり先が見えるだけの人間にできることなんて限られているのさ。最悪を避けているだけで十分だろうに」


「…………」


 どちらも未遂で終わっているという点に関しては、最善(ベスト)とは言えなくとも及第点(ベター)と言える結果だった。


「オイ! 無視すんじゃねぇ! テメェのせいでオレは全てを失くしたんだ! テメェの全てを奪ってやるからな!」


 喚く今徳を二人は眺めて、会話に戻る。


「あんなこと言ってますけれど、もしかして現実が見えていないタイプの人? 文字通り手も足も出ない状態ですけれど。クスリでもやってんのかな」


「組員はクスリをやらないよ、使う恐ろしさを誰よりも知っているからね。そいつが自信満々に罵詈雑言を吐ける理由は簡単さね。他にも協力者がいて、そいつらがこの別館に武装して突撃する手筈になっているからさ」


「へー……。あぶないのでは?」


「問題ないよ。そいつらはすでに拘束されている。そのことを知らないのはそこの男だけ」


 イトの話を聞いて、今徳が叫ぶ。イトの言葉の意味に驚き、その事実を拒絶し、もがこうとするが身動ぎしかできない。だから叫ぶが、すでにそれは言葉として成立していない。錯乱した今徳をイトと成世は鬱陶しそうに一瞥だけした。


 部屋の外から別のSPが二名入室し、今徳を連れ出した。今徳は最後まで呪詛のような叫び声を上げ続けた。


「さっきの男、今徳善之丞という。彼の両親はなにを思って“善”という字を彼にあてがったのだろうね?」


「知りませんよ」


 名は体を表さない。名前は記号でしかなく、そこに籠められた願いが叶うとは限らないことを成世は嫌というほどに理解している。


「ただ、そんな名前とは裏腹に彼は弱者をいたぶることに悦楽を覚えるようになった。そんな彼にとって極道、とりわけ金融関係の職というのは天職だったわけだ。弱りきった落伍者が彼にとってはなによりの玩具だった。度重なる失敗によって自信をなくして、それでも生きていくために暴力団が経営するようなまともじゃない金融会社に縋りつくしかないような人々は都合のいいサンドバッグでしかなかったわけだ。生意気なことを言わなくて、少しでも口答えしようものなら待っていましたと言わんばかりに暴力を振るえば問題の解決する相手。殴れば泣き、蹴れば嗚咽し、怒鳴れば頭を下げて懇願する姿は彼にとってどんな道化よりも愉快だったのだろうね」


 典型的な加虐趣味。


「わかりやすいくらいに人でなしですね。……どうしたって面白くならないパーソナリティだ」


「でも、世界は彼にとって都合が悪くなる一方だった。近代化の波は暴力団にすら及んだわけさ。法整備が進んだせいで大っぴらに無茶ができなくなっていた。昔気質の在り方では通用しないようになっていく日々に大層ご立腹だったのだろう。それでも、世間から見放された“弱者”と呼ばれる人たちは存在して、そんな人たちが今徳にとっては心の拠り所だった。大事に大事に壊していこうとしたのさ」


 まるで見てきたかのように今徳について語るイト。それを成世は黙って聞くばかりである。その話には共感の入り込む余地がどこにもないため、相槌すら打ちたくないというのが成世の本音だった。


「若中の一人が捕まり、何故かそこから芋づる式に組の不祥事が明るみに出た。本来であれば、尻尾切りができたはずだし、その準備も常にしっかりとしていた。けれど、これまた何故かそれは機能せず、しかも一部の公人がそれを契機として大々的に検挙を実行した。結果として、彼は何もかもを失った。そういうわけさね」


 一通り聞いた結果として、成世は『蹴りを入れたのは間違いではなかったな』という感想を持った。そして、これ以上今徳について知ったところで得るモノもないと思い、席を立とうとする。


「さいですか。それじゃあ私はこれで」


「おや、つれないね。もっと話をしようじゃないか」


「話ぃ?」


 成世に話したいことなどない。イトの真贋を知ろうとするのはあくまで仕事のためであり、それについてはこの後の正式な面会時に調べればいい。


 それに、自身の未来が知りたいかというと、成世はそれに興味がなかった。少し前までは決まりきった未来に嘆くばかりの日々で、今はそれが先の見えないモノに変化した。先が見えないことによる不安と期待を好ましく思っている成世にとって、先のことをわざわざ知りたいという気持ちはない。


「今徳の襲撃は分かっていたから次の一時間も空けていたのだけれど、思った以上に暇になってね。老い先短くなると、若者との会話が数少ない楽しみになるんだ。頼むよ」


 イトの言い方に引っ掛かりを覚え、まさかと思い成世は訊ねる。


「まるで想定外の状態になっているかのような言い方ですね」

「その通りだよ」


 その返答を聞いて、成世は浮かした腰を落とした。


名前がそこそこ羅列されていますが、特に覚える必要はないです。

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