◆三話:人の口に戸は立てられぬ
「おや、先輩」
暇潰しに入った本屋から出て少し歩いたところで、声を掛けられた。
知っている声だったため、そちらに顔を向けると、
「おや、後輩」
後輩こと空海成世がいた。そしてその隣にはスノウがいた。
「今日は、秦くん。一日ぶりだね」
透き通るような金色の髪を片手でかき上げ、こちらを真っ直ぐに見つめる碧い瞳。
昨日ぶりの挨拶を投げてきたのは異国の少女。スノウ=デイライト。現役高校生であり、俺の恋人でもある。そしてその本質は魔術師という中々に現実離れした存在。
「ん? お二人は昨日も会っていたんです?」
一日ぶりという言葉に首を傾げた少女は空海成世。一つ年下の後輩は肩口まで伸ばされた少し癖のある赤茶けた髪を揺らし、下から覗き込むようにこちらに質問する。俺やスノウよりも頭一つ分背が低いので、普通に話す分でも成世はこちらを見上げるようになるのだが、意図的に窺うような姿勢をされると、小動物っぽさが強調される。
「先輩、三が日中は父方の祖父母の家に行くとか言っていませんでした?」
「あぁ、実際に行ったよ。帰ってきたのも昨日だ」
そう返すと、
「てーことは、帰ってきてからすぐに会ったんですか? へぇー、熱々じゃないですかー!」
にやけた笑みを浮かべて肘でつついてくる後輩。
「違う」
下世話な感じにイラっと来たので、端的に答える。
実際のところ、事実とは違うのでしっかりと否定する。すると、後輩は眉をしかめる。
「はぁ? じゃあなんですか、スノウさんも一緒に行ってたんです?」
「お、なるちゃん正解」
俺ではなく、成世の隣にいるスノウが小さく拍手した。
「二年参りの帰りに秦くんの家に寄ったんだけれど、私に帰国の予定がなくて、三が日中は暇になることを知った郡さんが『それなら一緒に来る?』って言ってくれて、二つ返事で頷いて一緒に行ったんだ」
郡さん、というのは俺の母の名前だ。天木郡。三児の母。スノウのことを交際相手として紹介してからというもの、二人は俺のことを飛び越えて連絡を取り合うぐらいには仲がよろしくなっている。どれぐらい仲が良いかと言えば、夫の実家に息子の彼女を連れて行こうとするぐらいには仲が良い。
「正月に親族に挨拶ですかー。なんかこう、着々と地盤ができていますね。先輩、外堀がすごい勢いで埋められていません?」
「俺の城、堀なんか埋める必要がないぐらい籠城性能がないんだけれどな」
攻めてきているのはスノウだけだし、そのスノウは今のところ城門顔パスだし。
「というか、そこら辺の話は聞いていなかったのかよ後輩」
現在、成世はスノウと刀河の家に下宿している。最初の方こそ成世が一方的に警戒していたのもあるが、ここ最近は警戒も解けたのか仲良く生活しているように見えていた。
けれど、お互いの三が日の動向を把握していない辺り、そういった私生活の線引き行われているのかね?
「いえ、私が帰ってきたのは今朝で、そもそもスノウさんが三が日の間はずっと外出していたのを知ったのも今ですよ」
「なるちゃんはなるちゃんで帰省していたんだよ。で、その話を聞いていたところだったの。私の動向はまだ言ってなかったよ」
スノウが補足する。
「さいですか」
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気付けば年が明けている。一年が過ぎている。
この一年は色々あったものだと、振り返ってみれば濃密な走馬灯が……それは死ぬ直前だな。
――スノウ=デイライトと接近し、学府もとい南雲飾に世界端末だと認知された初夏。
魔術の存在を知り、世界の認識を改め、自身の秘密を暴かれた。
それでも、自由と安全を手放したくなくて抵抗した。
二人の少女の協力もあって、表面上の平和は約束された。
その代償は『学府』と呼ばれる魔術の研究機関への所属と、スノウ=デイライトが死ねば俺も死ぬという『首輪』を付けられたこと。代償としては軽いモノと言えた。
大事なモノは何一つ失うことなく、様々なモノを得た夏。
――空海成世と知り合い、背負うモノが増えた晩秋。
世界端末の失敗作となった一人の少女。
失敗にすら届かなかった人々。
残されたのは人でなしたち。
南雲飾の思惑と、目的が不明瞭な協会の人間による介入。
明らかに歯車が噛み合っていないまま物語は進み、歪みに歪んでもはや原型すら忘れ去られた悲願の達成を目前にして男は逸り、埒外な存在に邪魔されて失敗する。
遺志を受け取ってしまった。他人事として処理しきれないほどに継いでしまった。
だから、残された少女を背負うと決めた。
失ったのは左眼と温度感覚の半分ほど。たったそれだけ。
得たのは重い思い。得ることもまた、良いことばかりではないのだと改めて実感した秋。
大きな出来事と言えばその二つだろう。
――それ以外にもちょっとした出来事はいくつかある。
夏休みの終わりにスノウと向かったとある地方の寒村で起きた『四牙村不連続殺人未遂事件』だったり、年末に地元近辺を騒がせた『仲坂団地集団神隠し』だったりがあるけれど、どれも実態は気の抜けるような――要はアホらしいオチだったので、前述した二つには到底並べられない内容だったりする。
人生山あり谷ありと言われているが、まさしくそれを凝縮したかのような一年だった。
はてさて、ここからの一年はどうなるのだろうか。
それは神のみぞ――世界のみぞが知るのだろう。
ところで、山あり谷ありってどっちも難所じゃないかな? 人生は苦難の連続ってことか?
□■■□
なんとなしにスノウや成世との立ち話が続く。
「ところで刀河はどうしたんだ? 一緒じゃないのか?」
こういうとき、普段であればスノウの隣には刀河がいるのが当たり前の光景だった。
学府関連の呼び出しとなれば尚更だ。
けれど、今日に限ってはそうではない。軽く周囲を見やるが、その姿は見当たらない。
「火灼は私用があるって言って、年末ぐらいから出掛けているよ」
「年末から? あいつがお前からそんなに離れるなんて珍しいな」
学校でもそうだけれど、刀河は四六時中スノウと一緒にいる印象がある。ひとつ屋根の下で暮らしているからというのもあるのだろうけれど、こいつらのそれは“仲良し”という言葉では括れない間柄だ。
「そうかな? 火灼は昔からふらっと出掛ける癖があったよ。長いときなんか一年近くは部屋を留守にするときもあったし」
学府の所有する寮で刀河とルームシェアをしていたこともあるスノウは、昔を懐かしむように記憶を振り返る。
「一年て……。学校とかどうしていたんだよ」
「あー、こっちの感覚だと確かにそうなるね。日本とは教育課程がそもそも違うのもあるけれど、学府が取り込んでいる教育機関はそこら辺の融通が利いていたからねー。火灼は飛び級だったし、自分の研究室を構えていたから、肩書としては学生というよりかは研究者だよ。――そっか、こっちに来てからは長期休暇以外だとあんまり出掛けていなかったけれど、刀河なりに日本の風潮に合わせていたのかな」
と、そんなスノウによる刀河についての豆知識に反応したのは後輩だった。
「え、あの人飛び級しているんですか? ていうか研究者! 火灼さんて頭良いの⁉」
飛び級の事実は俺も知らなかった。じゃあなんで日本の高校に通っているんだよ、とは思うけれど、たぶん趣味なんだろうな。
「一応ねー。あんなだけど優秀な研究者だーって自分で言っていたよ」
「自己申告かよ……」
などとは言いつつも、刀河の成績がいいのはクラスでは周知の事実だ。刀河とスノウは成績上位者なので教師受けも良かったりする。
「あの人、平気なツラしてテキトーぶっこくこと多いからそんな印象ないんですけれど」
「あー、一応本人の中では整合性が取れているのだけれど、言語化が面倒くさいから端折って雑な説明をするところがあるんだよねー。わかるわかる。私も『コリオリの力』とか『ニューロン』とか『スペクトル』の話で大雑把というか、要約し過ぎた結果おかしな前提になった説明を受けたことがあるよ」
スノウは苦笑しながらも、経験した一例を言った。
「ニューロンは脳の神経細胞のことだよな。そんで、スペクトルは確か感覚質のことだっけか。その辺りはなんとなくわかるけれど、コリオリってなんだ?」
刀河が薬の調合や人体の仕組み――特に脳に関連する事柄を専攻しているというのは聞いていたので、後者の二つに関してはわかったけれど、最初の一つが知らない言葉だった。
「地球が自転していることによって発生する慣性力の一種、って言っていたよ。私もそこまでしっかりと理解しているわけじゃないから詳しくは言えないけれど、なんでも、超長距離狙撃を行う際に考慮すべきモノなんだとか」
「そんなモノを考慮する必要があるような生活送っていないでしょあの人……」
「ほんとね」
成世の言葉に頷き笑うスノウ。
「あっ、そうだ先輩! さっきスノウさんには話したんですけれど、火灼さんの所業を聞いて欲しいんですよ!」
「所業?」
物騒な言葉だな。
「正月だからと家に里帰りしたんですけれど、空海家の所有する山の一部が切り拓かれていたし、無人になった屋敷群を利用して観光事業を始めようとしていたんですよあの人! お墓参りを兼ねての帰省だったのに、重機があちらこちらに見える異様な光景の実家を見せられた私の気持ちですよ!」
「なにやってんだあいつ」
空海家は東北地方のとある山間部の森林地帯を所有する一族だ。ある事情により土地から離れることができず、一族で集落を形成して存続していたが、現在はその一族もここにいる空海成世一名を除いて全滅してしまっている。結果として、そのだだっ広い土地を持て余しているというのが現状だった。
「火灼は山師だからねー」
「……ヤマシってなんですか?」
スノウの口から発された聞きなれない日本語に、純日本人であるところの成世と俺はスノウに意味を目線で問う。
「投資家というか投機家というか、平たく言えば『土地を転がす人』かな?」
「あんまりいい印象を抱けないなそれ」
「まぁ、転じて詐欺師とかの意味にもなるらしいからね」
「わぁしっくりくる」
成世ちゃん、キミはけっこう遠慮容赦ない言い方をするね。
「火灼はそう呼ばれるのは嫌がるけれどねー。『自分の利益を優先はするけれど、詐欺を働いて相手の利益を不当に減らすようなことはしないー!』って呟いていたし」
「……刀河のことに関してスノウは詳しいよな」
なんて、思わず漏れ出た言葉をスノウが耳聡く拾う。
「おや、おやおやおやおや。秦くん、まさかのジェラシィ? 彼女の親友に嫉妬だなんて可愛いことしちゃうんだ?」
こういう感情の機微を拾われるのはちょいと癪なので、誤魔化そう。
「別に。これからはこっちの方を詳しくなっていくだろうから、気にならないよ」
それを聞いて引いたのは後輩だった。
「うっわー……。先輩、当たり前のようにそういうことを言い切るときありますけれど、羞恥心とかないんですか?」
「悲愴感には負けるからな」
「いや、それは勝っちゃダメなやつでしょ」
後輩のツッコミは無視し、スノウの言葉を反芻する。
ジェラシィ。嫉妬。……いや、これはどちらかといえば羨望の比率が大きい。
スノウからの過剰ともいえる愛情表現は全てこちらに向いている。それは理解できている。けれど、スノウから全幅の信頼を得ているのは刀河の方だ。スノウという特別から、無条件に等しい理由で好意を寄せられている俺と違い、あいつはこれまでの積み重ねとその能力によって今の親友にして相棒という立ち位置を獲得している。そのことが羨ましいのだ。
――刀河火灼という一人の人間について考える。スノウという共通の知人を通じての仲ではあるが、ここ一年弱でそれなりの付き合いとなっている。
スノウの親友であり、学府に所属する魔術師。研究者にして探求者。複数の国籍と戸籍を持つ身元のあやふやな存在。金銭を好み、喫煙を好み、飲酒を好む。……ここだけ抜き取るとアカンやつだなあいつ。
――知っているのはそれぐらい。
一方的に助けられていることを考えると、あんまりよろしくない気もする。刀河がいなければ俺もスノウも終わっていた場面が存在するので、言ってしまえば命の恩人なわけだ。命の恩人に対して浅い認識しかないというは、人としてよろしくない。見ず知らずの明らかにやべー人間を見捨てるのは別になんとも思わないけれど、見知った人――どころかかなり助けられている人のことを知らないのはどうなんだ。
「とはいえ、本人のいないところで考えてもな」
「なんの話です?」
独り言を成世に拾われた。
「いやなに、刀河の生態って謎だよなーって話。えーと、ほら、スノウが個人で資産を持っているのは知っていたけれど、刀河がどうやって金を稼いでいるのかは知らなかったかなーって」
「あ、確かに。火灼さんってこっちの話を聞くことはあっても、自分の身の上話ってほとんどしないですね」
「一応とはいえ一緒に暮らしているお前だってそうなんだから、そうではない俺がなお知らんのもむべなるかなって感じだよ」
「なるほど、むべっすね」
成世の頭の悪そうな相槌になんて返そうかと考えていると、スノウが人差し指を立ててウィンクをしてきた。
「ちなみに、火灼は今のところ資産運用で生計を立てているよ。生活用の貯蓄自体は日本の中流階級なら二世帯に亘って養えるぐらいはあるとかなんとか」
さらっと暴露される刀河の経済事情。
スノウさんや、そういうのは結構センシティブな情報だから取り扱いに注意しような。
「へぇ、それはすごいな」
まぁ、それに関してはあとで注意するとして、どうやらスノウは刀河のそっち方面の事情についても把握しているらしいのでもっと話してもらおう。
「まー、その元手のほとんどは私の貯金から出したんだけれどねー」
「…………どゆこと?」
「会って間もない頃のあの子、すっごく借金があってさ。返済のアテもなくて、逃げるように学府に来ていたんだよ」
「えぇ……」
明かされた刀河の過去を聞き、成世が引いていた。
「それでねー。火灼は自分の身体を担保にして私からお金を借りて、土地を転がしてあれよあれよとお金を積み上げていったんだよ。そうして今では悠々自適な生活ってやつ」
「あんまり羨ましくないシンデレラストーリーですね」
「シンデレラじゃなくてサクセスじゃねぇかな。つーかシンデレラってガラじゃねぇだろアレ」
いない人のことを好き放題に言うのはどうなんだと思うが、まぁ悪口じゃなければいいか。と、そんな結論を出す。




