121 シータの心配
「では、本日はこれまで」
鐘が鳴って授業の終わりが告げられ、生徒たちが教科書やノートを片付け始めた。
この後は昼休憩であるため、開放感からか教室内はにわかにざわざわと活気づいていく。
魔法学園定科生たちのいつもの日常。
その中で、シータもまた、同級生たちと同様にテキパキと荷物を纏めていく。途中入学となった彼女ではあるが、その姿はすでに慣れたもの。すぐに鞄を背にして立ち上がった。
「ねえ、シータ。ちょっといいかしら」
と、そこに友人であるネリィに声を掛けられた。
「お父様がね、昨日聖騎士の話をしてくれたんだけど、リョウ・サイトウってシータの話してたあの人だよね?」
そんな風に言う彼女からは、以前、父が商会の幹部だと言う話を聞いている。
シータとてリョウの現状を知っているため、その絡みの話だろうなとすぐに察することができた。
「いつもエルメイル先生と一緒に居るあの人がリョウ様?」
「う、うん。そうだよ」
シータはリョウへの様付けの呼び名には少々抵抗があった。
リョウと出会った頃の自分は、彼の魔法に触れて過剰な敬意をもってしまい、しばらく「様」を付けて呼んでいたのだ。その頃を思い出してしまって、少し気恥ずかしくなるからである。
そんなことはつゆ知らず、言い淀むシータをお構いなしに、ネリィが続ける。
「凄いじゃん! お兄さんの探索者チームで今一緒に住んでるんでしょ? どんな人なの? お父様もひっきりなしに話題に出すしさ、そんな人が身近にいるなんて、気になっちゃって」
「うーん、どんな人かぁ……」
シータはテンションの高いクラスメイトの問いに、頬に人差し指を当ててリョウの顔を思い浮かべた。
その脳裏には、最初に彼の穏やかな表情が浮かんでくる。
それに加えて、呪いを解いてくれた時に抱きとめてくれた腕が、意外と逞しかっただとか。行動を起こす時の眼差しが、実は凛々しいだとか。そういった感じのものが想起された。
実際のところ、彼女のリョウへの印象はどうにも美化しているところがある。
けれど彼女にとってはそれらのイメージがもはや真実となっていた。
他にも、自分に向けてくれる優しい笑顔や、困ったような苦笑した顔。バカな話をして盛り上がっている時の無垢な笑顔などが次々に浮かんでは消えていく。
そうして記憶を探っている中で、彼女はその中に一つ、気にかかる表情があることに気づいた。
「……」
「どうしたの、シータ」
シータはネリィから問いを投げかけられ、頭を振った。
「ううん、なんでもない。リョウさんは……凄く良い人だよ。聖騎士叙勲が決まったから話せるけど、実は私、昔呪いに掛かってたんだ」
「呪いって、なんか軍人さんがたまになってるやつ?」
「そうそう。理由はよく分からないんだけど、たぶん兄さんが戦った魔物由来のものなんだと思う。……それで結構長い間、学校も行かずに病人みたいな生活を送ってたのを、リョウさんが治療してくれて今があるんだよ」
「へえ。体を壊してて、って言ってたけど、そんな理由だったんだ」
その後彼女から話を聞いたが、やはり商会幹部の父親のことを考えて、迷宮攻略物資の販路として選ばれるための情報収集をしたいということらしい。別に指示されたというわけではなく、父親に褒められたい一心で、シータに声をかけたという経緯のようだった。
シータには、商家のせめぎ合いは良く分からない。政治的なことも、特にリョウには聞かされていないので知る由もない。リョウを信用している彼女は「何も聞かされていないのだから、きっと私が知っていることは話してもいいんだ」という考えで、ネリィから聞かれたことを、言える範囲で語った。
そうした会話の末に満足してネリィが去った後、シータはすとんとその場に再び着席した。
そして自身が気付いた、気がかりなリョウの表情を改めて思い浮かべた。
シータが思い浮かべたその横顔。
ふと、何かの拍子に、遠くを見つめるその眼差し。
何を考えているのだろうと、最初に見た時にそう思ったのを覚えている。
普段見ることのない、書類とにらめっこする真面目な顔とも、戦いに臨む険しい顔ともまた違う。
どこか寂しげな表情だった。
「……」
昼食のため人気の減っていく教室で、ひとりシータは考えていた。
あの表情は、いったい何を示しているのだろう、と。
どうしても気になってシータはその場で考え込んだ。
そして昼食の時間も無くなりそうになって、ようやくその表情が何であるか、一つの推測を立てるに至った。
(たぶん、あの視線の先には……)
自分たちは、たぶん居ない。
それがシータの結論だった。
恐らく、彼は戦いの結末を見ているのだろう。
戦いの結末は勝利とは限らない。
それくらいのことはシータだって理解している。
ゆえに彼のその表情は、たぶんきっと、自分の死を見つめている時の顔だったのだ。
記憶辿るほどに、リョウがたびたびその表情を見せていたことに気が付いて、シータは胸が締め付けられる思いだった。
シータにとって、リョウ・サイトウは常に強者であり、常に何かを成し遂げる者だったと言うこともあるだろう。そんな彼が自身の死を前提に未来に臨んでいることに、ショックを受けたのである。
シータは男性として、リョウのことが好きだった。
けれどそれ以上に、恩人として、人間として、彼のことを愛していた。
死に向かうことに対して、彼が弱音を吐いたのをシータは一度も見たことがない。
覚悟と決意の表れと言えば聞こえはいいが、諦めていると言ってしまうこともできる。
そんな彼に対し、自分ができることが少ないことを自覚して、シータは情けない気持ちになった。
達観した彼の表情を思い浮かべていると、少しでも楽にしてあげたいという気持ちになる。
そんな風に思っても、シータはあまりにもちっぽけな存在だった。
自分には、何もできないのだろうか。
そんなことを、シータはずっと考えていた。
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半月ほどが経過して、俺は最後の北方定期討伐に参加していた。
と言ってもすでに戦闘は終了しており、戦闘後に開催されるいつもの宴会も終えて、部屋へ引き上げてきたところである。
「はーっ、今回もたっぷり呑まされましたねぇ」
「んなこと言って、酒瓶二つも三つも持ってきてんじゃねぇよ。まだ呑む気かよ」
俺が苦言を呈しても、にししと笑いながらトビーはテーブルと椅子をガタガタと動かし始める。
今回は俺とトビーの二人部屋ってことで、早すぎる迎え酒でもやろうという魂胆らしい。
まあ俺も文句を言いつつ、魔モツ(魔物の臓物)の塩煎りをたっぷり持ち帰ってきているので同罪か。
案外二人きりで呑むというのも無いシチュエーションだ。
たまにはこういうのもいいだろう。
「じゃ、まずは一杯」
「うん」
互いに酌をして盃を交わし、酒に口を付ける。
さんざん吞んだ後なので一気にはいかず、ちょびちょびやる感じだ。
「それにしても、ホントに定期討伐が終わっちまうとはねぇ……最初予定を聞いた時は絶対無理だと思ったもんですが」
「俺も実際そう思ってた。そもそも人員も物資もどうやって準備するんだって話だったよなぁ。でも物資はとんでもない速度で集まってくるし、人員はほぼ現地調達だしで、マジで殺人的なスケジュールだったわ」
魔モツを噛みしめながら、二人してボヤく。
実際俺たちと俺に選ばれたガウムを始めとする精鋭メンバーは、およそ二週に一回のペースで定期討伐を戦ってきた。
俺もだんだん大軍団での戦いに慣れ、戦闘時の死者は全戦闘合わせてもゼロ。しかしながら、引きずり回した精鋭メンバーから脱落者が出なかったのは正直奇跡に近いと思う。なにせ定期討伐に加えて、精鋭部隊での戦闘訓練までやってたからな。体への負荷はめちゃくちゃなものがあったと思う。
もちろん、それによって鍛えられたメンバーの仕上がり具合は凄まじいものがある。
ガウムとか、もはや普通にしててもオーラが見えそうなくらいだ。
「これからは迷宮で訓練っすかね?」
「まぁそうなるな。フェリシアに頼んで門番たちと戦わせてもらおう。もちろん俺抜きで」
「うへぇ、ご主人抜きっすか。こりゃ大変な訓練になりそうだ」
そう言ってトビーがからからと笑う。
言葉面とは裏腹にそんなに大変とは思ってなさそうだ。
「ご主人はどうされるんで?」
「俺は魔法の方に集中しようかと思ってる。じわじわ進んではいると思うんだが、中々壁を超えられないんだよな……」
「例の魔法っすね。そういやこないだアトラさんと何かするって言ってませんでしたっけ?」
「ああ、精霊祈祷な」
アウェイクン習得に一切の進展が無い俺は、訓練を共にしたアトラさんとの会話の中で「精霊祈祷」というものに目を付けた。
それは実体を持たない精霊の輪郭を正確に認識し、それを糸口にしてアカシックレコードに触れるための儀式のようなものだった。そしてその精霊祈祷の副次効果として「自身の魂の輪郭を正しく認識できるようになる」というものがあるらしい。
その副次効果は、いつか神威に晒されていた時に行った「香の行」に似た要素がある。俺はそう感じたし、加えて日々送られてくる魂魄魔法の解析結果に添付されている、研究者たちの魂魄魔法への所見にも「魂の輪郭」という言葉が散見された。
精霊祈祷がアウェイクン習得の一助になるのではないか。
そう考えた俺は先日、アトラさんにお願いして精霊祈祷を体験させてもらったというわけだ。
「ま、結果はダメだったわけだが」
「そうなんすか?」
「最初はいい感じだったんだけど、なんか上手くいかなくてな。日を改めてまた挑戦するってことになった」
俺の言葉に、トビーが曖昧な返事を返す。
お互い酔いも回ってきているようだ。
「帰ってからすぐやるんすか?」
「うん、いや、まあ一日くらいは休息日だな。それからズーグの村にも一度行っておこうと思ってる」
「連れ戻すんすか?」
「テレポートでぱっと行けるようにするだけだよ。猶予がどのくらいあるのか分からんけど、用意はしておかないとな」
酒気を帯びた息をはぁっと吐き出して、俺は酒杯を一気に呷った。
「しっかしまあ……実際のところ、勝てるんっすかねぇ」
ぽつりとトビーが言った。
回答を求めていないような声色だ。
「トビーだから言うけど、正直分かんねーんだよなぁ。邪神の眷族の全容も、アウェイクン習得後になるしな。それにそれが分かったとしても、状況は未知数なことばっかりだし……」
言葉にしてみると、不安ばかりが口から出てくる。
定期討伐を用いた訓練が済み、精鋭部隊の強さは確実に上がっている。
カトレアは全盛期を越える勢いで、アトラさんたちのような補助戦力もいる。
次期聖女クリスの訓練もやってるし、神殿勢力から送られてくる戦力だって、徐々に精鋭部隊への組み込みが進んでいる。
ズーグだってどれだけ強くなってるか分からないし、装備の準備だって順調だ。
けれど、俺の心に余裕は一切なかった。
アウェイクンで敵となるやつらが知れたとしても、たぶんこの不安は解消されないんじゃないかなと、そう感じていた。
なぜならば、全ての情報が出そろってなお、撤退という選択肢が無い戦いというのは初めての経験だったからだ。
「なるほどねぇ……いやでも、なんか安心しやしたよ」
俺が心情を吐露すると、トビーからそんな言葉が返ってきた。
「安心? なにがだよ」
「色んな準備が進んでて、その中でもひときわ強くなってるのってご主人っすからね。そのご主人が勝ち確定みたいに思ってたら、その方が不安っすよ。相手も分からないってのに。……それに」
「それに?」
今度はトビーが酒杯を呷って、臭い息を吐き出した。
「ご主人が俺たちと同じだって、思えますからね。どんだけ強い力を持ってても、不安なものは不安なんだって。自分も不安で良いんだって、そう思えた方が、幾分かマシっすよ」
言いながらトビーは手酌で酒を注ぐ。
俺も盃を空にして、酒を注いでもらった。
「遠くに行っちまったと思ってたのもありやしたし……だから安心した、って感じっす」
トビーは酒杯の水面に視線を落として、そんな風に感慨深げにしている。
遠くに行っちまった……か。
「俺としては、むしろトビーが食らいついてきてくれてるのが助かってるんだけどな。実際遠くまで来たなって思うことはあるし、どこまでいくのか不安になる時だってある。けど後ろを見た時にお前がいたら、まあまだ大丈夫だなって気がすんだよ」
俺の口にした言葉に、トビーは嬉しそうに「へっ」と短い笑い声をあげた。
「そいつは業腹っすね。ご主人の定位置は俺の後ろじゃないっすか。突っ走られたら困るの困らないのって……」
超然とした強者として、不安を出さない方が良い。
俺は、ずっとそうあろうと振舞ってきたつもりだった。
しかし、トビーの言葉を聞くにどうやらそればかりでは不足だったようだ。
もちろん、自身の上役が強者としての振る舞いをしてくれた方が良い人間もいるだろう。
ただそれはある意味、その上役に依存した考え方だとも言える。
そんな弱者は、どうやらトビー含む精鋭部隊には居ないらしい。
「そうだな……気を付ける」
「お願いしやすよ」
俺の不安と、仲間の不安。
それらがお互いに干渉しあって、お互いの不安を解消する。
そんな不可思議な状況と、実際に戦いを共にする仲間たちの顔がぐるぐると脳裏を巡る。
酔いもあってあまり考えはまとまらなかったし、不安はいまだそこにある。
けれど、このまま進んでいけば良いのだという、そんな漠然とした考えに行きついた。
しばらく魔モツを咀嚼する音と、酒を飲み干す音だけが続いた。
「……そういや、休息日ってことは家に帰るんっすよね?」
「まぁそうだけど、どうかしたのか?」
「なんかシータがご主人と話したそうにしてたんで、もし何か言われたら付き合ってやってください」
いきなり話を変えてトビーが言った。
シータの頼みなら別に言われんでも付き合うが、なんかおかしい。
特にトビーの表情が。
「なんか知ってんのか?」
「さぁ?」
肩をすくめたリアクションだが、これは逆に知ってるやつだな。
……まぁいいか。
まだ酒もあるし、分からないことはさておいて、適当な雑談に興じることにしよう。





