第1332話
風穴が空いても、コウヤはすぐには倒れなかった。
コウヤ自身、貫かれたことに気づいたのは、風穴を開けて痛みを感じ始めた後であった。
何が起きたのか、彼自身まるで把握していない。
しかし、ラビは見た。
元の世界………フェアリアに来る以前までの苛烈な戦いの最中で肥えてしまったラビの目は、その姿を捉えていた。
蝿のような翼を持ち、角のような禍々しい触覚を頭から生やした黒い塊が、コウヤの腹を貫いた。
人の形をしていたが、それは人ではないと、本能が理解した。
そして敵わないと言うことも、理解した。
理解し切った。
だから、ラビは棒立ちになっていた。
戦う意志と武器を捨て、いつの間にか消えていた40匹の配下のことにも気づかず、ただ茫然と立ち尽くしていた。
絶望的な状況に立ち尽くしているラビの意識を現実に戻したのは、奇しくもさらなる絶望であった。
「!!」
なんとか、と言った様子でラビの目の前に着地したレギーナは、息を切らして片膝をついていた。
傷も多く、何より消耗が激しい。
「ラ、び………………む………………無理、だ………………」
「れ、レギーナ………っ」
防御体勢を取りつつ、レギーナのそばに駆け寄ろうとするが、レギーナはそれを拒否するように手を前に出した。
「に………げろ………………やつ、は……………普通の、ベルゼビュート………………じゃない………」
「普通じゃない………って、なんで………」
「わからないのか………………お前の………部下は、40体全て消えているんだぞ………………!!」
「!?」
そう言われ意識を向けたことで、ラビはようやく気がついた。
いつの間にか、四十鬼ノ夜行が全て消えていたのだ。
まるで状況の読み込めないラビ。
しかし、不安をさらに膨らませるような焦燥感が、徐々にラビに忍び寄っていたのは、ラビ自身少しずつ気がついていた。
何かがおかしい、と。
「っ………………」
吸い寄せられた視線の先にあるのは、ただ強い1匹の魔物。
文句のつけようもないほどに強い。
しかし、それは異変でもなんでもない。
手をつけられない化け物が変身し、さらに手がつけられなくなってはいるが、それではラビの配下が消えた理由にはならない。
だからこそ、ラビは恐ろしかった。
今の強さ以上に、あのベルゼビュートは何かがあるということ。
それは絶望以外の何物でもない。
「はやく、し………ろ!! 来るぞ………………………奴らが!!」
「………………………奴ら………………」
たった一言に集約される最悪の結末。
想像がついてしまった。
しかし、ラビはそれを受け入れたくなかった。
だが、感じる。
今だからこそ、はっきりと。
これまでなりを潜めていたもう一つの魔力が、空に浮かんでいるのだ。
「………………ハハ………………馬鹿げてる」
空に浮かぶ二つの黒を見て、ラビはそうこぼした。
単純な話だったのだ。
上でレギーナと戦う間に、もう一体が40匹を殺し尽くし、そして今合流した。
シンプルだ。
秘密でもなんでもない。
ベルゼビュートは、2体いたのだ。
「………」
切り札はもうない。
コウヤは瀕死、レギーナも満身創痍。
唯一無事なラビも、自分の知らないところで切り札を奪われている。
戦えないわけではない。
今から全てを振り絞り、全力を注げば抵抗はできる。
が、できて1体。
つまり、この状況では、抵抗すらできない。
誰がどう見ても終わりだった。
「………………………師匠………………!」
ラビはぎゅっと目を瞑り、すがるように、この世界で最も頼りになる男を思い浮かべた。
彼ならばなんとかしてくれる。
彼ならばどうにかできる。
そんな希望を持ち、ラビは祈った。
「………」
しかし、目を開けてもそこにはケンはいない。
瀕死ながら、必死にベルゼビュートへ向かっているコウヤだけが、目に映った。
彼はフラフラと勝てるはずのないその死に体で歩いていた。
既に髪色は元に戻り、生命維持に魔力は搾り出され、足を引きずりながらも、敵に向かっていた。
「コウヤ………」
起たねばならない。
仲間がまだ諦めていないのだから。
………そんな思考すら、今のラビにはもうなかった。
「………………もう、終わりだ」
そんなラビの気持ちを代弁するように、レギーナはそう言った。
ラビに異論はない。
むしろ、納得した。
「………………………ラビよ」
「………?」
「短い間だったが、楽しかった。私はこれまで、友と呼べるようなものがいなかった。だから、この数日間は、私にとって宝物だ」
そんな終わりを思わせるような言葉たちに、ラビも答えた。
「私も………楽しかったぞ」
「そうか………………本当に、すまない。こうなったら、私は………………………」
言い淀みながらも言葉を綴り、滲み出る後悔の念。
ラビはレギーナに寄り添い、黙って言葉を聞いた。
そして、ゆっくりと指差すレギーナの手を見た。
真っ直ぐと、コウヤを指さしている。
「——————お前たちの、敵になる」
「………………え——————」
そんな言葉に、ラビは驚きの言葉をあげた。
………否。
そうではない。
驚いてこそいたが、視界に映り、ラビの意思を奪っているのは、全く別のもの。
地に落ちた2体のベルゼビュートと、その首を両手に掴むコウヤの姿だった。
状況がまるで掴めない。
倒したのか、そもそもどうやってそんなことが出来たのか、あの傷で何故動けるのか、何もわからない。
しかし、とにかく何か変化がわかるのだとすれば、髪色が再び黒に戻っているということだけであった。
「な、にが………」
「あれが、コウヤ本来の姿だ」
明らかに何かを知っているような口ぶりで、レギーナはそう言った。
いつの間にか傷も癒え、ゆっくりとコウヤの方へ歩いていく。
ラビはそれを呆然と眺めていた。
「言っただろう。もう、終わりなんだ。戦いも………………仲間ごっこも」
「お前………何言ってるんだ………?」
「コウヤが元に戻ることさえなければ、私もこんな事をしなくてよかった。しかし、こうなった以上、私は目的のために動かなければならない………………王になるために」
「——————」
王。
そのワードが指し示す言葉は、
「私は、最後の王候補。騎士のレッドカーペットを持つ者だ」
レギーナが、最後の敵だという、ラビにとって受け入れ難い事実であった。




