第1313話
正直、思った以上にゲロさんがやれることは少ないらしいと、俺は思った。
自由にできる空間と言っても制限は多く、何よりゲロさん自身がこの能力を使うのに十分な経験を積めていない。
だから、想像以上に簡単に突破出来てしまった。
ここへ来るまでにパズルで鍛えた神の知恵の本当の力を使うことになるだろうと思っていたので、拍子抜けもいいところだ。
とはいえ、まだ勝ったわけではない。
最後の最後で何をしてくるのか、期待はあった。
だが、打って来た手は、俺にとって最悪だった。
それで言えば、こいつはやっと有効打を打ったと言えるかもしれない。
「お前の性格はよく理解した。だから、悪いけど利用させてもらう」
「………」
リンフィアそっくりの、いや、本人としか思えないそれが、目の前に立っていた。
見慣れた顔が、見慣れた目が、俺をまっすぐ見つめている。
微笑みかけはしない。
いつもの笑顔の代わりに向けられたのは、混じり気のない、純粋な殺意だけであった。
「手を出せるか? お前に、この子を殺せるか?」
いよいよ手加減が出来なくなったというところだろう。
能力は、当然これまでの比じゃない。
俺の強化一級魔法を基準に作られ、そこにいるのだから。
あれは、本人以上に強い偽物だ。
「その白いオーラ、間違いない。一級魔法だ。つまり、これ以上の強化はない。その上で、お前よりもステータスが上の銀髪の少女を用意させてもらった。恨むなら、そのおかしな自分の能力を恨みなよ。お前が俺を追い詰めさえしなければ、俺もこんな手を使わなくて——————」
数十メートルの距離を詰め、そっと、そのリンフィアの殻に俺は手を触れた。
黒いオーラの纏った手に、一切の殺意も敵意も込めてはいない。
そう、偽物だろうが、俺はこの姿をしている奴を傷つけたくはない。
繰り返すが、これは俺にとって有効打ではあった。
精神に大きな打撃を与えた。
それは認めよう。
それだけ。
致命傷になることはなく、ましてや肉体的なダメージはない。
現に、触れてほんの少し経った今、ようやくリンフィアの殻は反応し、攻撃をするべく拳を握った——————その瞬間には、俺は扉の前にいた。
衝撃が残り、リンフィアの殻が少し吹き飛ばされるその間に、俺は扉を破り、中へ入った。
多少頑丈だ。
多少。
三重の強化を施している今、扉をひきちぎるのは造作もない。
「ぁ」
目があった。
本体は確かに俺の目を見ていた。
その無機物の面では表情まで読み取れない。
そもそもこいつが人かどうかも怪しいところなので、顔が見えたところで感情など測れるわけでもないが、ただ、数瞬後に首を掴んだ時の感触としては、微かに震えていた。
では。
今俺は、どんな顔をしているだろう。
「は、はは………………なんだそれは………………上が、あるのか? それに………それは、人に向ける顔じゃないぞ………少年」
上擦っている、その中に混じる微かな高揚。
喜びが、透けている。
「正真正銘、これが最後の一撃だ」
向かってくる刃は、音速を超えていた。
当然だ。
基準になるのは、クインテットブースト・トリプルを付与した俺の強さなのだから。
空気を切り裂く音よりも早く迫るそれは、1秒にも満たぬのち、俺を貫くことだろう。
何故だろうか。
俺の頭は冴えていた。
加速した思考は脊髄反射をも超え、取るべき行動をとる。
ゲロさんの首に触れる手は神威を纏い、俺の脳は、解いたパズルと同じ要領でその神威を動かしていた。
知る力は、ゲロさんを正確に捉えている。
現在の状態、その力の状態を。
そこに、俺の神威が触れていた——————
「なるほど。こういう感覚か」
いつの間にか、その刃は、俺の背中に触れたところで止まっていた。
「何を、した」
「この世界を捻じ曲げた」
その瞬間、背中に止まっていた刃は、あらぬ方向を向き、そのまま壁へと突き刺さった。
「………もしも、今の攻撃が通る道に俺の魔法があったら? 障害物があったら? 重力に異常があったら? なんだっていい。あり得た事象を無数に並べ、一つの事象にぶつける。そして、【攻撃が逸らされた】という現実を作り出す」
地響きが聞こえる。
だが、それだけで止まった。
今度は、天変地異まで生じない。
「お前は、現実を書き換えたというのか………!?」
「大した書き換えはまだ出来ないけどな。でも、修行次第で当然規模は膨らむ。より大きな事象を矛盾なく並べ、完璧に書き換えることができる様になったなら、俺はいずれ、誇張なくなんでも出来る様になる」
怒りは今、収まった。
だから、今尋ねる。
「まだ、戦うか?」
「………………………………………いいや。俺の負け——————ぅご」
腹部に直撃。
しかし、吹き飛びはしない。
一点に集めた衝撃は、そこにだけとどまり、内部を破壊する。
ゲロさんは、呻き声を上げながら、そこにうずくまった。
「お、こひゅ………」
「………」
俺は、奴の顔を持ち上げ、しっかりと目を合わせてこう言った。
「二度とするなよ」
と。




