2.5-1
カミラがニコルを侍女にしてしばらく。
ニコルが告発した侍女たちは、アロイスの手で解雇になった。
当の侍女はエンデ家直系の娘であったらしく、エンデ家とは現在もめているそうだ。おかげさまで、屋敷はどうにも落ち着かない。
今までは、貴族直系の娘が解雇されることなどなかった。アロイスはだいたいにおいて寛容で、一度二度の失敗は目をつぶってくれていたし、実際、解雇された侍女の働きぶり自体には問題がなかったはずだ。
それなのに、解雇を強行したのはなぜか。
使用人たちの間では、『実は裏でカミラが糸を引いていたらしい』とか、『アロイスは今やカミラの言いなりだ』とか、『やはりあの女は噂通りの悪女だ』などと、なんだかまた不審な噂が流れ出した。
が、それ以外は至って平和な日が続いている。
エンデ家との問題は、カミラにはどうすることもできない。不名誉な噂は気分が悪いが、それも今さらというもの。
そうなると、カミラの思い悩むところは一つである。
〇
アロイスの食事量は、現在六食。
朝食、昼前の間食、昼食、茶会でのおやつに夕食。それから夜食である。
やっと通常の倍に収まった。
収まったものの、見た目はまだまだ変わりない。
カミラがモーントン領に来てから、およそ三か月が過ぎた。
痩せようと言い出したのが二か月ほど前。二か月の間に、八食から六食へ減らしたのは結構なことだ。一度食事量が戻りかけたものの、なんとか奮起しなおして、現状の六食が続いている。近頃は、さらに一食減らすことを検討しているのだとか。
この調子でいけば、来月には五食。再来月には四食。その次でついに、人並みの回数になるはずだ。
一方で、まだまだ一度の食事量は多すぎる。食事の内容も脂まみれで、甘すぎるし辛すぎる。運動もほとんどせずに、部屋の中で仕事ばかりしているし、見た目に気を配っているようにも見えない。
要するに、いまだ巨大なヒキガエル。使用人たちは、アロイスが痩せ始めたとひそひそ噂しているが、カミラにはいまだ変化が感じられていない。
――そろそろ次の手を打つべきだわ。
見た目はまだ手を打つには早いだろうし、少し駆け足するだけで汗だくになる状態では、運動も厳しいだろう。
となると、次なる目標は、食事量か食事内容。
ふむ、とカミラは一人、部屋の中で腕を組み、口を曲げた。
悪だくみの顔である。
○
モンテナハト家の厨房は地下にある。
地下から上がれば、食器やテーブルクロス、ナプキンなどが置かれた配膳室につながっている。そのさらに隣が、屋敷の主人や客人が食事する食堂だ。
使用人たちの食事をする部屋は、厨房に隣接した地下にある。食事はいつも主人の後。上級使用人の次に下級使用人が取るのが習わしだ。
とはいえ、昨今はそこまで厳密ではない。仕事の都合で、全員が一斉に食事をとれるわけでもなく、主人であるアロイスの食事時も一定ではない。年配の使用人は今も厳密に時間を定めているようだが、若い使用人たちはしばしば遅刻をする。
その厨房は、使用人たちの朝食時も過ぎ、皿洗いのメイドたちも仕事を終えたころ。料理人たちも一仕事終え、ひどく閑散としていた。
その閑散とした部屋の中。くつくつと鍋の煮える音がする。
壁一面を埋める大きなかまどには、心兪の大なべが一つ。弱火にかけられ揺れている。部屋の中央に並ぶのは、二つの長い作業台。そのうちの、かまどに近い台に、男が一人立っている。腕を組んだまま、考えるように鍋を見つめるその男は、厨房への侵入者に気が付いていないようだ。
他に人の気配はない。男が一人きり、気難しそうに眉をしかめているだけだ。
「坊ちゃんの食事量が減った」
厳めしい顔をして、男は呟く。
年のころは四十半ば。角ばった顔立ちに、料理人の白い服が似合わない。まくりあげた袖からは、固い筋肉が見える。料理人というよりも、大工や採掘夫の方が似合うような男だ。
「いや、いや、今まで食べ過ぎてたんだ。いいことじゃねえかよ」
そんな男が、ナイフを片手にしおしおと呟いて、落ち着きなくかまどの前を歩く。
「でもなあ、どうして急にこんな。俺の飯が不味くなったのか?」
たまに、思い悩むように、乱暴に頭を掻く。手に持つナイフを気にする風もなく、まとめた髪をもみくちゃにする姿は、見ているほうがはらはらする。
「いや、あんな塩辛くて、不味いもくそもねえか」
苦々しげにつぶやいて、それからさらに首を振る。どうにも情緒が不安定らしい。
「だけど、坊ちゃんは塩辛くてもちゃんと味がわかる人だ。やっぱり俺の飯が食いたくなくなったのか……」
「ねえ」
「うおっ」
突然湧いて出た声に、男は野太い悲鳴を上げる。声はすぐ近く。男の間近に誰かがいる。
反射的にナイフを振り上げ、しかしそれを下す前に、その誰かの姿を捉えた。
「あなたがここの料理人?」
そう尋ねるのは、どこかきつめの女の声。振り上げたナイフに物怖じせず、胸を張るのは、まだ年若い女――少女といっても差支えがない。
背丈は同じ年頃の女にしては高いが、男に比べればずっと小さく、細身だ。黒い髪を一つにまとめ、簡素なドレスを着ている。服装も、偉そうな澄ました態度も、典型的な貴族の娘だった。
「……なんだお前、どこかの侍女か。驚かせるなよ」
モンテナハト家で貴族の娘といえば、たいていは侍女だ。よほどの遠縁であるか、あるいは事情があるのならば、メイドの身分にもなるだろう。が、基本的にモンテナハト家は、家臣の身分をないがしろにはしない。そこそこの地位につけるのが慣例だ。
『侍女』と言った男に対し、女は少しだけ驚いたように目を見開いた。
しかし、少しの間の後で肯定する。
「そう、侍女。ちょっとあなたに聞きたいことがあるのだけど」
そう言って女は――――カミラは、ふふんと笑った。
○
モンテナハト家の食事は美味しい。
普段のアロイスの食事はさておき、カミラに出されるものは文句なしに美味しい。
だから、料理人の腕に問題があるわけではないだろう。
となると、アロイスの食事はどうしてあんなことになってしまっているのか?
アロイスの生活を握っているのはゲルダだ。しかし彼女に聞いたところで、冷たい態度と言葉が返ってくるだけだろうし、より一層の敵意を受けるに違いない。
ならば、次は実際に料理を作っている料理人だ。いったいどこでまかり間違って、アロイスの食事だけひどいのか。その理由はなんなのか。
――脅してでも聞き出してやるわ!
つまりは、こういうわけである。




