6-2
陽が落ち、魔石灯の光がほのかに照らす、モンテナハト邸正門。
夜半過ぎに王都から来た使者は、邸内に足を踏み入れることもなく、アロイスを呼びつけ、その目的を告げた。
「――――カミラさんを王都へ返せ、だと」
二人の使者を見据えながら、アロイスは息を呑んだ。
ただならぬ雰囲気に誘われて、屋敷の人間たちが集まってくるのがわかる。アロイスと使者のやりとりを覗き見る中に、きっとカミラもいるのだろう。だが、それを探すために振り返る余裕は、今のアロイスにはなかった。
開け放たれたままの正門に立つ使者は二人。服装から、王城に勤める武官だと見て取れる。壮年の二人は、覗き見をする幾多の目を気にすることもなく、胸を張ったまま頷いた。
「いかにも。王命である。内乱が起き、戦地となったモーントン領に、シュトルム家の令嬢を預けてはおけない。すぐに王都へ返すようにとの厳命だ」
そう言ってから、使者の一人がアロイスへ書簡を差し出した。丸めて紐で結ばれたそれを、アロイスはその場で解き、中を確認する。
王家の紋が刻まれた紙。走り書きの文字。文字の終わりに、赤い印。内容は使者たちが告げた通り、カミラの返還の命令だ。
「……字が違う」
王からの書簡は、これまで何度か受け取ったことがある。紙も印も、結んだ紐さえも、王家のもので間違いない。
だが、字だけは見覚えがなかった。
「王の印があるのに、陛下の手のものではない。なぜだ」
「手紙を書かれたのは、ユリアン殿下だ。床に伏せっている陛下に変わり、殿下がご命令をくだされた」
「床に? そんな話は聞いたことがない」
アロイスは手紙から顔を上げた。王都とは頻繁に手紙のやり取りを交わしているが、王の具合が悪いという記述は見覚えがない。床に伏したのが最近のことだとしても、すぐさまユリアン王子が代わりをするなど、ありうるだろうか。
「だいたい、エッカルト殿下はどうされた。陛下の代理であるならば、あの方が命じるのが筋のはずだ」
王位継承権は、王家の長子であるエッカルトが持っている。王がいくら床に伏したとはいえ、第二王子であるユリアンに王命をくだす理由はない。
だが、使者は疑問には答えない。背筋を伸ばし、表情一つ変えずにアロイスの疑問をはねのける。
「今は内密のことにつき、控えられよ。この手紙が王命であることは、まぎれもない事実」
王家から差し出され、王の印が押されていれば、それは王の言葉に等しい。分家とはいえ、いち臣下に過ぎないモンテナハト家にとって、王の命令は絶対だ。逆らうことなどできるはずがない。
だからといって、王家の――ユリアン王子の言い分を素直に飲み込むことも、アロイスにはできなかった。
「……自ら追い出しておきながら、今度は返せと?」
カミラを王都から追放したのも、アロイスに押し付けたのも、もとはといえばユリアン王子自身だ。『沼地のヒキガエル』と呼ばれ、誰にも望まれなかったアロイスを、ユリアン王子はカミラの結婚相手と定めた。そこに、ユリアン王子からカミラへの情は感じられない。
なのになぜ、今になって呼び戻そうとする? まさか、今さら罪悪感でも覚えたわけではないだろう。
それに、まだ疑問は尽きない。
「そもそも――――なぜ殿下は、今のモーントン領の状況を知っている?」
ゾンネリヒトの南部にある王都から、北端に位置するモーントンの領都まで、馬車なら五日。早馬で駆けても三日はかかるはず。反乱がおきたのは三日前。王都にいるユリアン王子に伝わるはずがない。
なのに、なぜユリアン王子からの使者はここにいる?
「――――エンデ家か」
ユリアン王子の傍には、リーゼロッテがいる。リーゼロッテ・エンデ。首謀者の一人である、エンデ男爵の娘の一人。
「リーゼロッテ・エンデ嬢。彼女が殿下をそそのかしたのだな……!」
「モンテナハト卿、口を慎まれよ」
「はじめから、エンデ家と殿下は通じていたのか。殿下はこの内乱が起きることを知っていて、止めるでもなく諫めるでもなく、カミラさんの排斥に乗った。エンデ家に与すると決めたのだろう!」
「内乱は貴殿の不徳のいたすところであろう。この王命は、巻き込まれたシュトルム伯令嬢を救うためのもの。まさかこの慈悲深い王命が聞けないとは言うまいな?」
使者が冷たい瞳をアロイスに向ける。
王命に逆らえば、王家と対立することにもなりうる。せめて、あまりに不条理な命令であったならば、断る理由も立つだろうに、一見して理にかなっているのが厄介だった。
それでもアロイスは、エンデ家の影が見えるこの命令に従うわけにはいかない。慈悲深いと思うには、あまりに疑惑がありすぎるのだ。
頷くことができないアロイスと、二人の使者が視線を交わす。カミラを差し出すか、王命に逆らうか。
息を呑むような沈黙を破ったのは、カミラだった。
「――いいわ。私が行けばいいんでしょう?」
遠巻きの輪の中、カミラは意を決して足を踏み出した。
傍にいたニコルが、不安そうにカミラを見上げている。引き留めるようなニコルの視線に一瞥を返すと、カミラは使者たちの元へとまっすぐに向かった。
「カミラさん」
眉をしかめるアロイスに、カミラはつんと澄ました顔を向ける。
「王都に帰ることくらい、なんてことないわ」
「あなたを嵌める罠ですよ」
「そんなの、昔からたくさん嵌まってきたわ」
カミラは腰に手を当て、胸を張る。昔から、罠の避け方なんて知らなかった。いろいろ嵌められてきたし、いくつかはやり返してきた。
「人質に行くようなものです。あなたの身の安全も保障できません」
「だからって王命に逆らったら、アロイス様の方が大変なことになるわ」
不安げなアロイスを見やると、カミラは口の端を曲げる。
ユリアン王子からの突然の帰還命令。愚直なカミラでさえ、こんなもの素直に信じられるはずがない。なにか裏があるに決まっている。
それがどんなものか想像がつかない。怖いと思う。行きたくないと思う。それでも足を踏み出すのは、アロイスのためだ。
力になりたい。支えになりたい。
かつて、ユリアンに抱いていた感情だ。
あのときみたいに苛烈な感情ではなかったけれど――同じ思いを、カミラは今、アロイスに抱いている。
「アロイス様、大丈夫。私、あなたを信じているもの」
カミラの言葉に、アロイスは一度だけゆっくりと瞬いた。
それから、すぐに唇を引き結ぶ。意を決したような強い視線が、カミラを見据えていた。
「……すぐに、あなたを迎えに行きます」
カミラが王都へ戻されるのは、モーントン領が危機にあるからだ。この騒動を収めれば、カミラを王都に置く理由はない。
だから、すぐにこの反乱を鎮めると、アロイスは言っているのだ。
赤く澄んだ真摯な目に、カミラは少し笑ってしまった。
はじめはあんなに帰りたかったのに、今は不思議と、真逆のことを思っている。




