17 王国の終わりに
アプリコット国の政治体制が立憲君主制に移行したのは、その年の早い段階であった。
これまで自らの意思で国家を運営していた王は、新しく決められたアプリコット国憲法に従って権力が制限されることになる。もちろんこの憲法には、まだまだ改善の余地があるだろう。今後も時代の流れに合わせて修正していく必要がある。しかし明確に「王権は法の下に置かれる」と規定されたことは、社会全体にとって大きな意味を持っていた。
王侯貴族が血筋によって独占していた権力が、市民に分配される。もちろん関係各所からの反発もあったが、精強なダムソン帝国軍を一人で食い止めるような女王に対し、面と向かって強く出られる者は少なかった。
「女王陛下、ちょっと仕事を抱えすぎじゃないですか。ろくに寝てる時間もなさそうですけど」
「あぁ、睡眠は魔力のゴリ押しでどうにか補っているよ。今だけの苦労だからな。議会が正式に動き始めれば、少しは楽になる……と、信じたいが」
「あまり無茶をしないでくださいね。新婚なのにあんまり旦那さんを放っておいたら、愛想を尽かされますよ」
女性秘書官からの厳しい言葉に、女王シャルロッテは気まずそうに視線をそらす。
帝国との戦後交渉がひとまず落ち着いた頃、正式な即位式の済んだシャルロッテのもとには国内外の貴族たちから山のように見合い写真が届いた。それも無理はない。婚約者だったスラグが革命で命を落とし、国に帰ってきて女王になった彼女に、決まった相手はいなかった。さらには国民からの人気も高く、見目麗しい年頃の女性となれば、このチャンスをものにしたい男たちがウジ虫のように大量発生するのは自然な流れだったのである。
そして……シャルロッテが見合い写真の山を盛大に紫炎で燃やし尽くして、錬金術師フリードに縋り付くようにして求婚したのもまた、当然の結末だったのだろう。
「あ、愛想を尽かされる、なんてことがありえるのか」
「そりゃあるでしょ。ちゃんとイチャイチャしてます? フリードさん、あれでけっこうモテる人なんですから……あんまり油断してると、どっかの女狐につまみ食いされちゃいますよ」
「え……いやだいやだ。フリードは私のだもん」
あわあわと急に威厳を失った女王の姿に、サポート役の女性秘書官は内心で苦笑いをしながら、机に山積みにされた書類を取り上げていく。
「それなら、今日の仕事は切り上げてさっさと帰ってください。書類は私たちが分類して、処理しやすくしておきますから。いいですね」
「う……分かった。手間を掛けるが、頼む」
「竜の血を絶やさないことも王族の重要な務めですよ」
暗に「子作り頑張れ」と言う秘書官を、シャルロッテはすっかりのぼせ上がった熱い顔のまま軽く睨みつけ、そのまま無言で帰宅準備をする。彼女だって、王族として子を成すことの重要性は理解している。机上の知識も十分にある。しかしながら、実践の場でそれらをちゃんと活用できるのかというのは、また別の問題なのである。
シャルロッテがいつもよりずいぶん早い時間に帰宅すると、王宮の置くにある居住区ではフリードが錬金術関連の分厚い本に没頭していた。
「おかえり。今日はずいぶん早いんだな……どうした?」
「あーいや……その……えっと……あ、そうだ。学校の設立についてはどんな進み具合だ。国民全員に一定レベルの教養を与えるというのは、なかなか難しい試みだとは思うのだが。しかし、市民が政治をコントロールしようという時代に、教育面での改革は確実に必要になるからな」
「……話題のそらし方が下手すぎるだろう」
パタン、と本を閉じたフリードは、顔から蒸気を出しそうなほど赤くなっているシャルロッテに近づいて、その手を取る。
「どうせあの秘書官が、変な気を回したんだろう。とはいえ……働き過ぎは身体に良くないという点は俺も同意見だからな。今日は少しゆっくり過ごすとしようか」
「ひゃい」
「ララは遅くなるらしいからな……二人きりというのも久々か」
フリードはそのままシャルロッテの手を引いて、ソファに並んで座る。
彼は今、特級錬金術師の資格を得て国のために働いている。市民教育に関する制度を整える仕事。道具とみなされやすいホムンクルスに人と同様の権利を与えるような法整備。医薬学から機械工学まで広範囲に跨っている錬金術の細分化。それに応じた国家資格の制定。そういった仕事に加えて、女王シャルロッテの夫として公務もあるのだ。シャルロッテほどの激務ではないが、彼もまた日々を忙しく過ごしている。
「なぁ、フリード。本当にこれで良かったのだろうか」
「何がだ」
「竜の王国……長く続いたこの国は、私の代で大きく政治体制を変える。毎日新しい問題が起きて、解決のために奔走して、その先に……皆が平和に暮らせるような時代が、本当に来るのだろうか。何もかもが手探りだからな。間違った選択をしていないかどうか、いつも不安になってしまうんだ」
そうやって、普段なら誰の前でも漏らせないような弱音を、小さく吐き出す。
シャルロッテにとっては、王の座につくのさえ想定外だった。それなのに、今は国中を巻き込んで社会を大きく改革しようとしている。その重圧は、自覚している以上に重くのしかかるものである。素直な気持ちをさらけ出せる夫がいなければ、早々に破綻していただろう。
そんなシャルロッテの頬を押さえたフリードは、優しく唇を重ねる。
「シャロ。俺は疑問なのだが、果たして王というのは間違った選択をしたら駄目なものなのか?」
「……フリード」
「大丈夫だ。俺がいる。ララがいる。お前を慕う国民が大勢いる。そしてみんながそれぞれ、自分が最善だと思うやり方を考えて動いている。シャロが間違えた時には、必ず誰かが教えてくれるさ……君が作ろうとしているのは、そういう国なんだろう?」
シャルロッテはそんな言葉を聞きながら、愛しい夫の胸にそっと顔を埋めると、ふっと肩の力を抜いてそのまま身体を預けた。
――優しい魔法が使えるようになりたかった。
そう願っていた一人の王女は、激動の時代の中で女王となり、竜の王国を終了させた。結局のところ、彼女が癒やしの魔法が使えるようになることは生涯なかった。しかし、この国の少女たちは幼い頃から「紫炎の女王」の物語を聞いて育ち、その多くが、彼女のように強くて優しい女性になりたいと憧れるようになっていった。
彼女たちの時代が終わった後も、長い時間をかけて世界には民主主義や人権といった考え方が広まっていき、そんな概念は常識だとまで言われる時代が来た。かつての権力者たちの横暴は白日の下に晒され、なんて酷い奴らなんだと軒並み非難の対象となる。
そんな時代になっても、この国の人々は後世にいたるまで、その優しい女王を敬愛して誇りに思い続けたという。





